勘・コツの未来

そこに何かがあると言うわけではないか、そこに行かないと無い事は沢山ある様な気がする。それをその時に見たと言う、その事実こそ貴重な体験となるのだろう。経験と勘だけで行なっているものが、実は極めて定量的な行為であって、日本の産業の方向が見えてきているなと感じる。 

難しい話では全く無くて、様々な分野で行なっている勘コツ的な仕事は、これから加速的になくなるだろう。ビッグデータの時代においては当然だろう。かく言う自分の様なお仕事も、近い将来、消えてなくなるのかもしれない。 

哲学者ばかりが闊歩する時代になるのかもしれない。それはそれで面白いのかも知れないが、人類は急速に減って行くのかも知れない。人の為に人がいる事の価値を高める社会になるのだろうか?戦争優先の政治には辟易だ。 

急に明け方、涼しくなった。異常な暑さが続いたからそう感じるのかも知れないが、とても有り難い。たった1日ではあったが、初めて取った休暇中にあっても面倒なメールが飛んでくる。多くを無視させて頂いた。悪しからず。

 

最終日

35度程度の気温では暑いと言えない状況において、これまた炎天下にて活動している。恐ろしいことに、だらだら汗が流れるわけでは無く、一気に乾燥していく。間違いなく喉が渇き汗が滲むが、だらだらとはしない。これが熱中症の恐怖なのだろう。だらだらしていれば水でも飲むかということになろうが、そうはならないところに恐ろしさがあると感じた。

かなり体が慣れてきて、600球を超える打撃を行い、都度都度コーチングを行う。軸を作って回転するだけなのだが、力が入ったり、迷ったりで、想定の距離が出なかったりする。すると焦ってさらに力が入り迷宮に入る。その時、原点を持っているプレーヤーのみが我に返ることができる。結局、戻るところは「我」にありだ。

ドライバーと呼ばれる物干しざおの親戚を10秒に一回振り回して、10回連続で振ってみて欲しい(降らなくても良いですよ)。それだけでもえらいこっちゃである。人間はなんでこんな愚かなことをするのかと、苦笑いである。

いよいよ学生君達のデビュー戦である。キャディーとして付き添うが、今年はなかなかしんどそうだが、地道に前に進んでいけば、いつかはゴールがやってくる。極意は無い。無いのだが、アドレスしていざクラブを振り上げようとしたら、一度、笑顔になると良い。肩の力が抜けてクラブを振り抜ける。力まず振り抜く。これが極意と言えば極意のような気がする。はてさてどうなることやら。若者を鼓舞するのみである。

力む

日差しの強さは容赦なく、体力を奪っていくが、そこは忍耐で持ちこたえるというか、負けてはいけない。ひたすら振って、久しぶりの500超えである。この歳で良くやるよというところだ。やればできる。さぼってはいられない。

体幹がぶれないことが重要だ。特に力むことなく、自然に回れば良い。それだけなのだが、気合が入ると、ついつい力が入る。するとあらぬ方向に飛んでいく。これがいけないのです。いかなる時でも、力みはいけないのです。しかし人は何故か力むのです。止せばいいのにね。

止まっているボールなのだから、冷静にひっぱたけば良いだけなんだけど、それが何故か、妙なところに当たる。力まなければ普通の結果がでるのだが、人間に特有の欲というものがそれを邪魔する。力みってなんだろうか。

個人競技だから力む相手は自分しかいない。それは間違いない。自分が納得するしか無いことはとっくの昔から分かっている。分かっているが、1mでもあっちに飛んで行けという図々しさだ。今日も図々しくいきたい。馬鹿丸出し。それだけである。

年中行事

刈谷方面は突然の豪雨で、灼熱予定の環境が、あにはからんや「それほどでもない」という具合のスタートでありました。打ち出される打球が見えなくなるほどの幕雨に囲まれ、トタン屋根が激しく叫ぶなかで、淡々と打ち出すさまはややシュールでもある。それでも物干し竿を振り回していると汗が滴り落ちる。脱水症状を呈する前に小まめの給水。一日目は被害者ゼロの状況でありましたな。

こちらは仕事というか講義で活動しているわけだが、一般ピープルが平日同時刻に玉打ちをしている様を見ると、やっぱり日本は平和というか、こんな人生を送ることができる方々が我が国にもいらっしゃるのだなと、違う人種の存在を目の当たりにして、なんとなくため息が出る。

昨今のVR青少年ばかりではなく、リアルに体を積極的に動かす若者を目の当たりにすると、これはこれで大変に嬉しい事。遅刻をしてきて黙って体育座りの軍団に交じっていく様は、これまた昨今の人類だなと感じるのだ。これはもう怒る気にもなれない。どんな教育を受けて育ってきたのだと情けなくなってくる。

今日は灼熱となることが予報されている名古屋地方。東北に突き進む台風のおかげで、北からフェーン現象後の空気が名古屋を取り巻くのだそうで、台風が起源ということで、極めてリッチなフェーン現象なのだそうだ。遮るものの何もないところで、物干しざおを振り回す活動は、外出を控えろというTVアナウンスとは真逆の行動ですな。なんとか生きて帰ってきたいものだと、気合で乗り切るしかない真夏の私であります。

新しい事

例えて言うならばという切り口こそエンジニアリングの神髄であろう。今、そこに無いから例えるしか無いのである。定量的な説明で価値を語っているのであれば、それは過去の出来事の思い出であって、我が国には、まぁ、少数民族としては必要かもしれないが、エンジニア全員がそんな調子では困る。まぁ、例えて言うという比喩力を持った人も大いに減っていると感じてはいるが。

某予備校のインタビューを受けたが、見下す目線は実に厭らしい。自分達こそ正義であるという姿勢は、どんなに顔の筋肉を動かしても、その目線で明らかだ。そりゃぁ、皆さんが鍛えた人が入ってくるのでしょうけれど、送り込んでやったぞという姿勢はどうだろうか。それを有難がる大学側の仕組みがいかん。基礎をばっちり体に刷り込んで、自在にそれを取り出す力こそ必要だ。それがエンジニアリングの基本だ。

基礎をどこに向けて爆発させるかが重要で、それは過去の延長ではなく、あなたの未来にである。全く予測の付かない2,3年後であるが、生きている限り確実にそれはやってくるのだ。ひたひたと確実に、一歩一歩未来はやってくる。そして過去になる。それが繰り返されるのだ。誰にも容赦はしない。

年齢を重ねるに連れてときめきを失うから、毎日が早く過ぎるようになると哲学者は言うが、そんなものだろうか?常に全力で時間は過ぎ去っていく。遠慮はしてくれない。時間に遠慮をしてくれとは言わない。言わないが、遠慮が出来る誰かを隣に置いておいて欲しい。それがときめきというならそうかもしれない。そんな時があっても良いのかもしれない。未体験ゾーンだが見てみたい。

Nikon

フィルムカメラの時代から、ずっとカメラ小僧であったのは間違いない。小学校6年生で写真部なる活動に触れ、学内を撮影し、現像し焼き付けし、その反応が面白くて、シャッターを切る楽しさに浸っていった気がします。当時は全てが機械式で、フィルムも現像も極めて高価だったから、そう簡単にはシャッターを切れない。だから空っぽのカメラの状態で、手振れをしないようにトレーニングしましたな。フィルム感度は低いし、どうしてもロングシャッターになり気味。シャッター上で指をどう動かしたら手振れが起こらないか。練習しましたよ。

QV10をカシオが提案してきたとき、これは喜んで飛びつきましたね。今思えば笑ってしまう解像度で、どんなに画素が荒いフィルムでもここまで酷くは無いという状況でしたが、それはそれで良かったのです。所詮、そんなもんだよなと納得すればよく、デジタルカメラとは画質うんぬんよりも構図がそれっぽければ良いと、フィルムカメラとは違ってじゃんじゃかシャッターを切れる喜びに感激しました。

様々なデジタルカメラが登場し、劇的な進化を遂げたわけですが、革新的だったのは、誰が何を言おうが写メールシステムの登場でしょうね。自己満足カメラマンを除く全ての方が、誰かに想いを共有したいという願いを叶えた仕掛け。これによってカメラの在り方が劇的に変化した。エレクトロニクスそのものを進化させ、スマホが唯一のデジタルカメラという人であふれかえり、Nikonなどはミラーレスカメラの市場から消えてしまったくらい。

そのNikonが一眼レフデジカメの市場削減に伴って、再びミラーレス市場に参入するとのこと。Nikon派ということでも無いけれど、硝材からレンズを作る日本で唯一の企業こそ、光を操ることが出来るのだろうと、勝手に信じているところがありますな。勿論、それが本当に世界で最高のレンズかどうかなどとは言いませんが、その魂は素晴らしい。随分と高価な機械になるようなので、手元に来ることはないでしょうが、応援していこうと思っております。何がどう変わったのか、その主張を楽しみにしています。

先生の理科教室

科学館で理科好きの先生になって頂きたいと言う目的で先生向けの理科教室が開催されます。そのお手伝い要員で社会貢献日であります。ほんのすこしでもきっかけになって頂けたらと思うのです。プログラミングも良いけれど、何を成し遂げるためにそれが有るのかを考えられないと、単に宇宙語で会話するだけになってしまいます。先生が楽しくないと受講する側にとっては苦痛のみ。

大学の授業も同様なのですが、聞き手のやる気が最初から無いというパターンもあり、聞き手のスペクトルが広過ぎて、かなり厳しい時もあるのですが、こちらは研究と言うある意味ゴールに向かう最低限の知識の醸成を目指すと言う事で、寝ている学生さんに合わせることは絶対にしない。特に選択科目ではそうなりますな。

自分がガキンチョの頃を思い出すと、磁石に砂鉄がくっつくだけで喜んでいたわけで、理科だかなんだか、そんなカテゴリはどうでも良くて、自然の現象を勝手に面白がっていた、そんな状態でしたな。気が付いたら電子スピン共鳴だのなんだのと、喜んでいる人になってしまっていましたな。

色んなご依頼があるのですが、これからの方々の自立を支援する方々の自主的活動には頭が下がります。それを当たり前と思うか、素晴らしい努力と受け止めるかで社会の有り様が決まるのだと思います。それこそ文化であり、本当の努力にはこうべを垂れる。そんな文化的日本になって頂きたいと思う私であります。

マジンガーZは日本オリジナル

小学校5年生だか6年生だか、超合金Zを身に纏い、金属の塊に人の命を加えると、未来を創るロボットになるという、まさに、我々の行動指針そのものの旗頭を立てて、マジンガーZは頑張ってくれていた。その夢のロボットをぱくっておいて、おら知らねぇだと言い張る連中に、国として何も批判しない。それが日本である。国民が不利になっても助けない。それが国か?

当選するための悲惨さを肉親から聞いているが、国民の知恵と勇気を泥棒されても護ってくれない国家であるならば、もう、それは寄り添う先ではない。何かを言えば、官僚の皆様は大声を、いや、猛烈に黄色い声を上げて、自らの正当性を主張して頂ける。マジンガーZごときで云々叫ぶなと言うことなのだろうが、世代の憧れへの全否定をやられると、それは、やっぱり疲れる。

マジンガーZは偉大なヒーローで、ロボットというか、合体というか、人協調という点において先進のロボットであったことを否定する者は居るまい。ロボットに人の心を加え、新たな命を創りあげる。余りにも感動の曲面、極地である。

しかし、加えるべき人の頭脳が、700万年前と変わっていかなったとすると、これはもう絶望的である。みなさん、挑戦しましょうと鼓舞させて頂いたとて、なんのやる気もない日本企業が何をすると言うのか。それでも2社ほど、本気のお会社が見えた。それで良い。そう感じる。

ワイヤレス

ワイヤレス受給電技術の進化は著しい。携帯電話などは元来、ワイヤレスで使うものだから、受給電だってワイヤレスが望ましいに決まっている。そうなのだが、これがなかなか難しい。抵抗を持つ金属に周波数の高い電磁波を送り込むわけだから、当然のことながら発熱する。発熱要因は他にもあるのだが、目玉焼きは出来ないけれど、発熱は火災に繋がり、極めて危険である。その危険をどう回避するかで次のiPhoneの出荷時期が決まるらしい。

たかが電源、されど電源。身の回りにある電力を消費して稼働する機器には、パワーエレクトロニクス用半導体が多くの場合入っていたりする。交流を直流にしたり、その逆をやったりと、なかなかにして賢い代物だ。発電所と機器を繋ぐ、ラスト1cmの働きをしてくれる。日本の強みでもあるのだが、昨今はTIなど、海外勢が極めて堅調で、いよいよもって日本の優位なエリアが無くなってくるなぁと、寂しい限りである。

イヤホンと言うかヘッドホンは既にワイヤレスが当たり前になっていて、当初の妙なノイズ感もかなりなくなってきてかなり便利を味わっている。化石な小生は、先日、漸くFMトランスミッタを車に積んで、iPhoneに貯め込んだ音源を走行中に聞けるようになった。ワイヤードではやっていたが、やっぱりケーブルは無くしたい。その思いでやってみたら、これがやっぱり便利である。CDと違って無限に存在する音源を、交換することなく聞き続けられるのはなんとも極楽である。

この極楽さこそ価値であって、2千円程度の出費で実現できるのだから素晴らしい。説明書がなんだか分からなかったのだが、こんなところかなという感じでいじっていたら動き出した。こんなものも恐らくはより賢くなって、設定も自己完結してくれるように進化するのだろう。人間はどんどん馬鹿になるのだが、その分、機械を考える人は賢くなるのだろう。机の上のケーブルが一本でも減ってくれたらと、そんな日にとっとと来て欲しいと願う私であります。

7月が終わります

気が付けば7月が終わってしまう。小学生達の夏休みは残り一ヶ月しか無いということだ。その昔、もう、思い出せないくらいに昔だが、一ヶ月はやたらと長かったような気がする。夏休み以外の一ヶ月のお話だが。つい先日、お正月という状況であったはずなのに、既に7月が終わるとはどういうことだ。何らかの締め切りを毎日抱え、締め切りが積分されて、完全なマヒ状態だ。宿題と違うのは解くべき問題も自分で考えねばならぬことだ。大人が生きることはとても厳しいと、ガキの頃は分からなかった。

与えられて解く。機械と材料があって、買ってくれる人が居るから何かを作る。それが未成熟社会の有り様だが、成熟社会になっていくと、なかなかもってそうはいかない。10万個の部品の発注は今日までねと、上位の会社に言われれば、もう真っ暗闇。これは小学生には無い出来事である。真っ暗闇感覚はあったかもしれないが、それでも向こうに灯りが見えた。

見える灯りが無いならば、自らが灯さねばならぬ。それが大人の世界というものだ。むしろ、灯りが無いからこそ、進む価値がある闇である。闇に出会うことは素晴らしい。誰も歩んでいない世界ならば、どんなに恐ろしく、危ない領域であっても開拓するべきである。誰かが行ったら付いて行こうなどと悠長なことは言っていらっれない。進めば良いのだ。

ただ、無理はいけない。無茶は良いが無理はいけないのだ。無理を通せば道理が引っ込む。命の道理を引っ込めてまで無理をしてはいけない。無茶は笑えるが無理は怒りと憎しみだけを連れてくる。そんなもんだ。