教壇と言う名の断崖

教壇に立って想う。恐怖である。人より20cmも高いところに立たされて、口から出たことが正しいことが前提で、300もの目玉に見つめられ、こんな人生を歩むはずではなかったと心底後悔をしても始まらない。人生の後悔と、人生は航海だぁ・・なぁんてちょっと似ているかもしれないなと思ったりもする。漂流しつくして座礁するのがおちだが、粉砕沈没よりはましか。

小学校入学時の先生を忘れない。全くもって心に刻んでいる。石に刻むより、エジプトのモニュメントよりも明確に、心に刻み込んでいる。依怙贔屓で不公平、気に入らなければ徹底排除。名工大のビデオでいけば間違いなくハラスメントと言うやつだ。小学校1年生にハラスメントも何も無いと思うかもしれないが、小生が思う「先生像」はあの人なのだ。

好まなくてもなってしまった教員である。教壇に立たせて頂く以上、その準備は凄まじい。誰も知らない知られてはいけない予習時の小生の姿・・ローソクを鉢巻きに挟み込み五寸釘を教科書に打ち込む・・嘘八百だが、こんな事態になってしまった業を呪うのだ。自らの責任を問い詰める世代と、全てが貴方の責任だと訴える世代がクロスしているのだ。これこそ社会的ハラスメントではないか!

一年の終わりが近づくと、ふたご座流星群を山奥のテントから眺めるなんて情緒は許されず。まぁ、許す許されるなんてことは暢気な世界で、地上で嫌がらせをしている方のなんと可愛く幼いことよ。どんなに隠しても明確に見える。それと知らずにいじめをし続ける人が態度大きくなり続けるのだから恐ろしい。自らの無能を認知出来ない方に言いたい。刮目せよ。努力とは自らの小ささを知ることである。まぁ、無理かな?鉄槌は下されるだろう。

無灯火に思う

街灯の無い夜道を無灯火の自転車が驀進してくる。ちょっと避けると小生の後ろから灯火している自転車が飛び出し気味に出てきて、「ぎゃぁっ」と叫ぶ無灯火の方。幸い、クラッシュ音は無く、双方がご無事のご様子。無灯火自転車は凶器であるのだが、夜ごと出没する街の粗ぶれる者達。何故、他人を想わないのだと残念である。

ここのところ凄まじく締め切りものが増えてきている。そこに来て突然のあれくれ者が現れ、それは電話と言う凶器を使い時間泥棒となって現れる。また、謎のミッションを押し付けられた、まぁ、名工大のFD的にはハラスメントと言うのだろうが、学生君達にも時間を奪われる。小生のミッションとは遠いところで襲われると、ちょっとなぁと感じるのだ。

無灯火で進んでいるわけではないのだが、突然の飛び出しに巻き込まれている場合では無いのだ。諭吉殿ならどんな状況でもOKなわけだが、魔法使いではないからなんでもかんでもやっつけてくれというご依頼にはお応えしかねるのだ。生意気を言うようだがそんな状況である。

師走感満載である。師では無いが兎に角突っ走るだけである。こんな時にミスが発生しがちである。それはとても恐ろしい。一つ一つ、兎に角一つ一つ丁寧に、コツコツ進むのが肝要である。焦っても決して得たい成果はやってこない。走れば走る程、集中して風の音を聞くのが良い。それが生きるコツである。無灯火の凶器に出会ってそう思った。

無心

街中にクリスマスツリーが乱立し、ここは一体どこの国だ状態になってからどれくらいが経つのだろう。小生ががきんちょの頃の記憶には無いのだから、ここ50年の事なのだろう。がきんちょと思っただけで半世紀経ってしまっているという恐ろしさだ。一秒の長さが短くなって切る気がするが、いやいやそうでもないのだ。やっぱり変わらない。それは間違いない。

じっくりと物事を考える時間が無くなってしまい、これは由々しき事態である。と、言うか「モモ」の状態ですな。時間泥棒がやってきて人々の時間をさらっていく。心には隙間風しか吹かず、冷たい世界が広がっていく。冷たいという状況は、自分の時間を自分のためだけに使おうとする人の心であろう。

無心に目の前の事に全力を尽くせば良いだけのことで、お仕事そのものが自分のためのものではない教協においては、まさにそれこそが成し遂げるべきことなのだ。時間が無い無いと言ったって、充実するとそれが案外あるものなのだ。充実とは正に無心になることであって、それは案外、実行している人は少ないようにお見受けする。

自分の実行するべきこと、自分が作り出し責任を持つこと。それを無心になって行動する。無心、良い言葉だ。隙間風すら吹かない、そして冷たくならない。小生にはまだそんな生き方が出来るようで、毎日コツコツではあるが、誰も見ていない世界を見ているから面白い。研究者とはそんな生き物だろう。愉快である。

頑張りMAX!

急に寒くなって北国では氷点下20℃を下回るという、やっぱり冬は来るのだなと、灼熱の夏があると、その後には冬はやってこないのではないかと勘違いしていたのだけれど、そんなに甘くは無いのだなと納得している次第。光あるところに影、暖かさには寒と、物事は表裏一体、うまくできている。 

一点を見ると表裏が問題になるのだけれど、点が続けば線になり、線が絡めば立体になっていく。時系列を考えれば、一点の表裏など問題にならない。良い面だけで繋がっていけば何処かに悪い面が飛び出していく。いやいや、この「悪い」という評価すらなんら意味を持たないことに気が付く。自然には得失は無く、得失は人の心にのみ存在する。だから寒いだの暑いだの言うのだ。 

南国名古屋に慣れてしまうと氷点下20℃の世界に何故に生活するのかと疑問を抱いてしまうのだが、これもその地においては何か素晴らしいことがあるに違いないのだ。素晴らしいこと、それだけを求める思考をすれば良い。人は弱く、自分に都合が良いことをしているのであって、素晴らしいことを本当に求めて努力しているのかと、自らを省みるのが良い。 

素晴らしいことに向かっているときは、何の疑い無く頑張れるのだ。頑張りが最大になるのだ。その最大の頑張りを一点に向けて、そして線にして、そしてそれらを絡めれば、全方位に笑顔になれるのだ。突然、こんなことを想った次第。まさに戯言である。

 

8%のお正月

消費税増に向かって一直線、無駄遣いの謎の還元だとか、店で食べたらなんとかだとか、醜い政治で国家を蝕む状況には、まぁ、国民として仕方がないのだろうなと思う反面、やっぱり変だよとも思うのだ。民主主義の国家だから、国民が選択した在り方に従うのが当然であるわけで、嫌というのは間違っている。従うのだが、果たして来年の10月と言われる消費税増をどのように受け止めれば良いのやら。

物品税なるものがあって、それが消費税になり、税の集約というか家電などはずっと安くはなったのだが、様々に均一に税金が掛けられたことによって税収が上がっても謎の借金が増えるという、国民の未来がどんどん奪われる政策が積層状態になるだけだ。今こそ江戸時代感覚で、良いものを長持ちさせて使う、修理して使う、そんな当たり前の時代を意識して取り戻すべきであろう。勿論、電気を捨てようなんてことは思ってはいない。

キャッシュレスだなんだと言われると、むきになって現金活用でいってみようかなとも思ってしまうのだが、世界の流れを逆行するのもなんだなぁ。実際に、ほぼ呑み屋さん以外では現金を使わない状況になっているわけで、思うが壺というところなのかもしれない。現金を持ち歩かなくなると、新しい「オレオレ詐欺」が出てくるのかしらとも思ったりもする。

年末にしか買わない食材みたいなものを入手しようとすると、お正月価格ということで消費税も効いてくるなぁと感じるのだ。これが更に上がっていった時、ギリギリの量の購入になるのだろうなと今から身構えてしまう。消費税8%のお正月は次で最後だ。ぱぁっとやってやろうとは思わないが、どんどんしみったれていくんだろうなと思ったりもする、なんだかしょっぱい年末で、あと3週間、頑張ってみようと思う私であります。

冬の夜

週末はとても寒いらしい。やっと冬の雰囲気になるのだろうか。路上には落ち葉の絨毯が広がり、陽の長さに連動する樹々は敏感だ。太陽が大地にエネルギーを送っているのだなと、落ち葉の季節に毎年思うことである。近年はLEDの低価格化によって冬の夜は賑やかである。街のあちこちで着飾った家屋に出会う。

夜中に似合わないのはソーラーカーか?暗闇ではチャージが出来ないということが欠点ではあるのだが、バッテリーを搭載しているから全く動けないということでは無いのだ。オーストラリアでは日中の買い物車としても活躍し始めており、お買い物にはうってつけだ。駐車場で排気ガスなど全く出さない。エコカーと言うならソーラーカーでしょと思う。

名工大のソーラーカー部が、クラス1位となり、来年にも大きな期待がかかるのだが、これがなかなか難しくて資金難はいかんともなならない。社会の皆様には3000kmの実験場で戦うマシンの部品開発に共同研究案件など如何でしょう。電池一つとっても完全なものは全くないなと感じてしまう強烈なシチュエーションである。

多くの方々に支えて頂いている面白イベントである。若いエンジニアの玉子達が爪に火を点しながら戦っている。どうぞお力添えをよろしくお願い致します。

無意識の妙

12月で、既に第一週も後半になるというのに暑い事といったらない。コートを着ていてもその下は薄っぺらである。暖かいことに越したことは無いのだが、度が過ぎるとよろしくない。昨年もほざいた気がするのだが、寒さで年を越せない、農作物にとっては害を成す生命が成虫のまま年を越したら、その翌年はどうなるのか?

二酸化炭素は人類にとっても重要な役割を果たしているのだが、深呼吸をしすぎると体調不良になるという、なんとも地球の上に生活している生命として、環境適応という点において学術的に面白いと思っている。身体に入って出たものが役に立つ。これは実に愉快ではないか。

無意識に役に立っている。これこそエコシステムであり、目指すべきところだと思う。茨城県のはじっこで、週に2時間寝ていた時代から随分と経って、気が付けば棺桶の中に居るのだが、無意識の活動が役に立つという状況にはなっていない。

意識しない、していない、だからこそ最大のパワーを発揮できるのではないか。超伝導よろしく、無抵抗で価値を生み出せる。それこそが求める世界ではないか。秩序は人である状態で既にある。ただ、人の秩序すら意識できない、それこそ人であることを意識の外に置いてしまう、そんな時代であるからこそ人である意味を考えたい。そう思う。

智慧

指紋センサーが調子が悪いと起動できない面倒なことがおこる。指を怪我すると困ったもんだということになる。センサはAIの原点となるが、その情報にアクセスできないと「あんた人間じゃないよ」と判定されてしまう。既に機械優位の世界だなと感じる。だからこそ作るべきもの、社会の課題は人間が考えるべきだ。

人間はずるいから、なんでも無料の方向に向かっていく。恐らくは裏でぺろっと舌を出すのであろう。企業はモノを売っているわけだから、モノに見えない智慧は無料と言うことなんでしょうね。また、大学人も智慧はお金に換えられないという清貧の志があるから、うまいこと使われる。相乗効果である。

大学が経営不採算で潰れていく理由の一つがこれだろう。潰れたくて潰れるのではない。社会が潰してしまうのだ。智慧を作り出す機関が潰れると、もうそんな野蛮な国は世界から相手にされない。人間の根幹である。智慧を無料にしてはいけない。

人間が智慧の集積となる。人と人が寄り添って生きていく。そこには智慧が生まれる。その集積は人の中に生じる。必要とするならそれなりの対価が必要だ。それを忌む忌まわしき伝統がこの国にはある。だからこそ価値のある智慧を産まねばならぬ。これは使命だ。

師走にて

いよいよ師走である。即ち忘年会シーズン本格化である。本格化という「化」ということは既に始まっているということでもある。今年も生きて大晦日を迎えられるか、そして越せるか?師走の恐怖というやつである。極力絞り込んでこの有様だから暢気にしていたらえらいこっちゃであったろう。梯子は相当にお断りしている。悪しからずである。

そもそも忘年会って今年を忘れるという会なのだが、ベテランの方から教えて頂くことは、都合が悪い、具合が悪いことを忘れようということなのだが、忘年会で再度悪いことを思い出して記憶が鮮明になるという欠点も隣りあわせだ。忘年会、やらない方が良いんじゃないのと思うことも多々あったりして。

としわすれの会ということで室町時代から続く日本の伝統芸と言って良いのかどうかわからないが、古式ゆかしい伝統行事ということなので、やるかやらないかということであれば、やるべきであると言えよう。しかし、一人一人が関わっている組織が多様化して、その組織が30を超えるようになると毎日としわすれをする必要が出てくるということだ。

良いことも沢山あった今年であった。いや、そればっかりだった気がする。だからこそ忘年会で忘れることはほぼほぼ無いような気がするのだ。としわすれと言うけれど、新年を迎えるということで、今年お世話になった神様とお神酒を頂いて、感謝と厄払いということでは無いのだろうか。そうであれば毎日がとしわすれでも良いのかもしれないと、なんとか言い訳をしてみたのだが、まぁ、そんなご都合も忘れてしまう、そんな師走がやってきたということである。そういうことだ

杉田大内蔵

思ってもみないことが突然生じることは多々ある。と、いうか、新しいことに挑戦していたら思ってもみないことにしか遭遇出来ないのは当然のこと。思うのであれば準備が出来て、思ってもみないことにはならないのだな。動けば動くほど、思ってもみないことが突然現れる。それはそれで面白いのかもしれない。面倒を感じるとすれば、思ってもみない殴打にある。それをやられると流石にへこむ。

それぞれ立場があるからそれを守る力は、まぁ、誰にでも生じるでしょう。なるほどなと納得して頂ける相手かどうかは時と場合、運次第みたいなところでしょうかね。この思ってもみないへこみに出会うとき、思い出すのは杉田大内蔵卿。へこんだとてくじけずに生きるというところ。

いや、むしろ、へこませて頂いたから今があるという考え方こそ、卿から学ぶことだと感じる。「我こそが間違っている」と謙虚になれるか否かこそ、身に着けるべき思考である。巧言で目晦ましをする相手はほったらかして良いのだが、真剣に怒っている人はむしろ親近感が湧く。

猛烈に広がり続ける時代でありながら、その速度に人は追いついていっていない。言い方が悪いが、生まれた世界の環境で生き方が決まるのだろう。新しい世界でありながら古い自分を引きずり続ける。今を疑わないと間違いなくそうなる。今は所詮人が創った世だ。ルールは全て造られたもの。新しいルールを恐れるのか、果敢に挑むのか。時代の向こうで前向きに歩く君は、もっともっと幸福になれる。間違いない。