捨てられない

大量の本に埋もれて亡くなった方のニュースを見た。御冥福をお祈りする。教授室や宿舎の書斎を眺めると同じ運命が待っていそうだなと、テレビが宙を舞ったと仰った三菱電機の先輩のお話を思い出した。備えあれば憂いは無いのだが、本を無くせと言われると、まぁそれは無理だなって思う。活字があって生きているみたいなところがあるからね。書棚だけは固定しているけど、本そのものは狂気となって宙を舞うだろう。

書棚をなんとか空にしたいと、雑誌などは断裁して電子的にスキャンして読めるようにしているのだが、これがかなり決断が必要なのだ。学会誌などはえいやと出来るが、太陽みたいなものになると「いやいや」となってしまって書棚に鎮座し続ける。いずれ死んだらゴミになるのはわかっているのだから処分するべきだが、未練と言う人間臭さがそれを阻害する。

毎日一つ捨てようと決めて頑張るのだが、捨てても捨てても何かが現れる。断捨離を格好付けてやっているわけでは無い。なんだか長い事生きてきて、あちらが近づいてきたので、整理をしておこうかなと思っただけだ。しかしながら未練の塊だから、それがなかなか進まない。きっぱり捨てられる人は偉大な人だ。心底そう感じる。

言い訳はいっぱいある。まだ講義をさせて頂いているから参考書が必要だ。新しいモノを作っているから原子の結合に関する書籍はあればある程良いなんて凄まじい言い訳だ。一つの言い訳はありとあらゆる方向に応用できてしまう。これが厄介だ。引き出しの中には無限の小銭がある。これまたマーケットで使おうと思うのだが、これが気合を入れないと必ず増える。そもそもネットでのお買い物は小銭を減らさない。特に50円玉は減らない。山の頂の心地良さはこんなところにもあるのかもしれない。水平位置に何もない。独特の美しさだ。かくありたい。