一日一歩

一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。名曲である。一歩でも先に進んでいる勘定なのがとても良い。なかなか一歩の確保は出来ないものだ。ほんわか世の中を眺めているのが良い。かつかつでいると、これがなかなか進まない。進まないと焦ってきて、結局、一日一歩ずつ後退していることに気が付く。そんなものだ。じっくり後退していくと、もう、元には戻れずに、そこで居心地良くなってしまう。これはとても恐ろしい現象だ。

岡本太郎先生の座ることを拒む椅子は良い。背筋がぐんと伸びる。心地よさを求めがちだが、そうではない哲学もあるのだ。拒んで何が悪い。その通りだ。拒否と書くと拒んで否定することになってしまうが、否定はしないけど拒むことだって許されて良かろう。嫌は嫌である。何故と言われると困る。嫌なものは嫌だと言える付き合いが良い。一歩進む為に他を拒む事もある。

選択肢が無い道であっても黙って進まないのが良い。その道は自らにとって謝った道かもしれない。そもそもそこに道があるのは、誰かが快適の為に作ったものに違いない。そうであるならば、その道を辿ったとしても自らにとって後退する道かもしれない。失敗を経験と言うが、反省して定量的な解を導き出せたら経験にもなろうが、おおよそ、そんな解を出せたことが無い。何も成らない。

生きている限り活動がある。その活動は誰かの為になっているか?一人の世の中では無い。社会に生かして頂いているのであれば、何かお役に立つべきだ。しかし、これもまた、とても難しい。感謝の気持ちで溢れかえる。それは日々そうなのだが、果たして自らはどうなのだろう。あがき悩む。相変わらずの青春模様である。苦笑いだ。