東海地方考

紙と鉛筆だけだからお金は掛からないと、天高らかに仰る偉人がいらっしゃる。全ての知識を自ら生み出し、他を参考にすることも、他から学ぶことも何も必要なく、全てを生み出されるのだろう。凄まじい能力だ。当然のことながら、図書館もネットも不要なのは当然でしょうね。お金が掛からないと仰るのだから、世の中の学術雑誌も学会活動も一切合切不要なのだろう。

まぁ、そんな事を言い張っても仕方がないのだが、要するに誰もがお金を知らぬ間に使っていらっしゃいますよということなのだ。電車に乗る。そのネットワークもモーターを動かすコントローラもお金が無いと動かないのですよ。そりゃぁ、巨大で数億円もする装置を直接は利用にならないかもしれない。しかし、携帯電話の電池ですら、そんな装置を使った研究から実用化まで到達しているのです。

他人のふんどしで儲けることを考えて、弱者に開発を無償でやらせ、上りで暴利を貪る企業のなんと多いこと。そんな方々の人の見下し方の恐ろしさよ。大学なんて何にも価値を生まないのだから、その成果は我々がタダで使ってやるから喜べとばかり、情報をかっさらいにやってくる。知恵を守らねばならぬ。人は財産である。

共同研究という名において、全てを持っていこうとするのではと恐怖されるのだが、海外企業よりも足元・地元の企業のほうがよっぽど怖い。何でも自分が生み出した如くに振る舞い、みんな持ってく。そして何も残らない。そんなことが繰り返されてきたわけだが、もうそれは辞めにしようではないか。研究には金が掛かる。いやらしい言い方だが真実だ。知恵を生み出した努力に正当な対価を支払わず持ち逃げする。もう少し、学問を大切にして頂けないですかね、世間の方々。頼みます。