火星

地下鉄の駅から南に向かうと、間もなく最接近の火星がでかい。前回の最接近の時にも意識していて「でかい」と思ったのだが、久しぶりに出会う近くの火星は月にはそりゃぁ負けるが真っ赤にでかい。人工衛星が地球が出来る頃をイメージできると想定している小惑星に近づいて、電波で情報を送ってこようが、肉眼で見る、一度も再衝突を経ていない、原始太陽系の状況を維持する火星を、例えやたらと遠いところにあろうとも、肉眼で見る迫力の素晴らしさである。

考え事をしながら空を見たら、それこそギラっと赤く輝く火星に目を奪われた。皆既月食という天体ショーを間近に控えた月の煌々たる輝きも、滅多に近づかない火星の煌めきに比べれば当たり前感が極めてでかい。人間の行いが如何に小さい事かと苦笑いである。最接近というわけではないのだが、その日に出会えるかどうかはわからないので、ここ数日、意識して空を見上げるのが良い。

星々は昼間も無くなっているわけではなくて、太陽に隠されて肉眼で認識出来ていないだけなのである。あるのに無いと認識しているだけ。人はすぐに他人を批判するが、それは自分の目に自分が写っていないだけのことであって、自らが見えないから、見えるものを批判してしまう。賢者は自らが見えているから反省しかない。

肉眼で隣の星を大きく感じるのは普段は月くらいなのだが、火星が「ばぁん!」と大きく見える様には感動する。いや、小生は感動するというだけで、馬鹿じゃないのと思う人がほとんどだろう。宇宙は偶然の産物であるが、それが輝いて見える時、同じ光源の下に存在している星同士なのだと思うと、なんとも美しさを感じるのである。孤高であること。、かくありたい。