杞憂?

様々なところで感じる薄ら寒さ。バブルというなの麻薬に溺れ、その幻想をひたすら追い求める。為政者は既に気が付いているのかもしれないが、国民にそれを見せまいと躍起になっている・・違うかなぁ?それくらいの政治家が居てくれれば有難いのだが。AI、IoTと絶叫されて久しいのだが、既に教育の基礎がそれを軸足にしていることを体感出来ない。

だったら大学がやれよと?冗談ではない。三つ子の魂である。大学生では遅いのだ。そろばんの学習があったから、加減乗除は身についた。それは有難いと思っている。機械が壊れるとそれを分解させてくれた親に、様々な機械の構築をしている今、それは凄まじく役に立っていて、これまた大感謝である。小学校に上がってからでは遅いのだ。

パンゲア大陸から分離独立し、プレートの動きによって大陸に衝突。今もヒマラヤを押し上げ続けるインドだが、かの国こそそれを実現していらっしゃる国である。人々の勢いたるや凄まじい。気が付けば誰も居ない研究室では何も進まない。教員だけが実験室で研究をしているようでは、この国の未来は無いなと実感している。

時代ということは間違いなくあろう。江戸、明治、大正、昭和、平成が過ぎ去ろうとしている。それぞれの時代末の人達が次の時代の旗手たちにバトンを渡してきた。今、自分は渡せているのだろうか。社会人学生の中には、そしてその卒業生の中には何か世の中変だぞと気が付き始めている人々も出てきた。絶望する必要は無いのかもしれない。杞憂であれば有難い。