手観音立像

蓮華王院三十三間堂の通し矢。小生の後輩がアーチェリーなら当たり前の距離なのにと言っていたことが懐かしい。それこそ三十三年前の出来事で、えっらく昔のことなのに今のことの様に思い出す。三十三間堂の仏の世界は恐ろしいほどだ。通し矢の軒先に刺さる江戸後期の矢の凄まじきこと。執念を感じる。 

偶然にNHKで昭和の通し矢を見た。戦後、途絶えていた通し矢に挑む弓道者の物語なのだが、その壮絶なることたるや。武士道はとうに途絶えているが、人間を超えた何かを見た気がした。挑戦とはこれだと。風神、雷神が見守る中、黙々と弓を引く凄さ。人間を はこんな事が出来るのだなと、自分も頑張ろうと震えたことを覚えている。 

その三十三間堂に安置される平清盛寄進の千手観音像が久し振りに勢揃いしているらしい。いつもなんらかの理由で欠員が出ていらっしゃるのだが、この数ヶ月だけはお出ましになっておられる。あの仏の世界こそ、人間の執念と思うのだ。来世にかける想いがおどろおどろしい。

清水寺のご近所と言うわけでは無く、そのために行かないと、何かのついでにということが難しい蓮華王院だが、千体仏の勢ぞろいは出会ってみたい気もする。平安期から立ち続けるからには、なにか訴えるものがあるはずで、その語り掛けに耳を傾けたい気もする。芸術の秋。如何だろうか。