成功者に寄り添う者に捧ぐ

10年一昔、何かを始めて一つの纏まった結論を得るためには、当然、それくらいかかるだろう。いや、穂から落ちない小麦の大量栽培など一千年の時を掛けて行われている。先人の血と汗と、そして歯の食いしばりこそ、今、そのものである。創業から100年を越える企業が我が国には恐ろしいほどにあるが、伝統を時代の変化に沿わせながらも守りつつ、今に至っていらっしゃる。見習うところ大である。

ベンチャー企業がなかなか育たないと、世間ではゼロ金利政策に喘ぐ金融機関殿達が、金儲けになるベンチャーを紹介してくれと、金が実っている企業に投資をさせてくれと、これまた日本の金融業らしい浅ましさでやってくる。そんな連中のために「金」連携を謳ったわけでは無い。金は血と汗の代償だ。まるで、ゲーツさんやジョブズさん達が、遊んでいて金儲け出来たみたいに思っているのか?冗談ではない。

一方で、西洋の偉人(異人ではない)を連れてきて、その成功例を語らせて若者は触発されるという明治維新前の日本の活気溢れる時代の方々と現代とを重ね合わせていらっしゃる方も大勢だ。ネットを見れば何とか講座でどっかのソフトウエアベンチャー企業の若手社長が、御影よろしく陳列されている。確かにそこには努力と成功があったに違いない。努力なく成功などあり得ない・・と信じているが、その努力には敬意を表する。それは当然の事。しかし、その成功事例の二番煎じ、三番煎じはベンチャーとしては成立しないのだ。その領域の他を見つけなければ駄目だよと、強く指導しているのか?一緒に食事をすればそれで良いのか?不愉快千万な自慢合戦だ。

いくつかの業種は業績が伸びているが、電気・機械などは総崩れ、ボーナス削減の方向だ。選挙が終わったとたんにこんなニュースが流れてくる日本。本当に作るものが無くなったわけではないのだ。世界をリードできる技術そのものを作っていないだけで、人が人として持っていたい、持ち続けたいと願う心を養う製品は、もっともっと必要なのだ。便利と感じるだけでは無く、その物に感謝したくなる、そんな物をどう作るかだ。人の心に寄り添うところからの産学官金連携だ。そう思う。