忘れるべきこと

今宵から寒気が東海方面にも、関ヶ原を通って入ってくるらしい。実際のところ、今朝、駅からの道すがら、顔が痛く感じた。いよいよ本格的な寒さの到来かなと、毎年繰り返されえる地球の営みには頭が下がる。最近、屈強な方が心不全で倒れるということを耳にして、明日は我が身と身構える。身構えても体の中の事はさっぱり分からないから、来る日のために覚悟を決めることくらいしかやり様がない。年齢の積み重ねによる気の持ちようの広さと身体の衰えはバランスしないといけないのだが、どうやら後者ばっかりが進むのである。

新聞によればインフルエンザの流行が始まったらしい。今のところ、職場においてはそのお話は入ってこないが、ひとたび流行となれば一気に職場閉鎖ともなってしまいそうな建屋である。インフルエンザのような人類を倒すためだけに存在するウイルスは、弱みに付け込んで元気百倍、増殖しまくるという破壊力だ。どんなに元気でも抵抗出来ないものは仕方が無いが、体調不良の際には一気にもっていかれる。そうはならないように、少なくとも精神的に追い詰められるような仕事はトップに任せておいて、ほんわかと気持ちに余裕をもって頑張って頂きたい。

地下鉄の車内でもゲホゲホと菌をまき散らし、御同輩の増産を目論むウイルス軍の門下生が多く見受けられた。今朝、あっちでもこっちでもマスクはしていらっしゃるのだが、無意識の殺意にさらされて、一駅手前で降車して、健康の散歩よろしく、街を散策した。冷え込み始めた空気が、まだ薄暗い街を覆い、なかなかに良い風景に出会って、人間万事塞翁が馬と、妙に納得する。歩を速めれば身体は温かくなり、地下鉄の二駅の短いことを実感する。

歩いていると例年の如くの毎日が忘年会状態を呆れかえるのだが、何を忘れるべきかを思い出せない程に多くの出来事に遭遇してきた今年、まだまだ様々起こりそうだ。一つ言えることは、十年一日に重ねてくると、何か形になってくるものだということ。コツコツと続けているとどんなに厳しい寒さとて見事に咲く花がある如く、人は何か事を成す。事が成ったらコツコツとやってきたということだ。自分を褒めることなく、また新しい道に進むのが良い。成ったと思うと油断する。油断は堕落に繋がる。忘れるべきは成したこと。それは人が勝手に評価している。そんなもんだ。