借金大国

社会保障費用で33兆円程度の国。税収がいつの間にか58兆円と報告されているが、本当か?と疑いたくなる。58兆円入ってくるだろうから、大略98兆円使っちゃうぜという予算編成だ。1万円貸してくれよ、絶対に返せないけどさと言われて金を貸す奴があろうか。そもそも困っている奴に貸した金は返ってこない。遊びに行くから貸してくれと言っている奴に貸す金は、どうせ返ってこないと割り切れるから質が良い。返すと言っている奴に貸すのは愚か者だ。絶対に返ってこない。

ふるさと創生1億円などと、バブルの金をばら撒いて国力を低下させるのも、政治家の責任では無くて、それを選んだ民の責任だ。民主主義だから、私はあの人に投票なんかしていないという逃げは通じない。だから憂うのである。米国の様にベンチャー企業を雨後の筍の如くに建てる教育をしろとそこらじゅうで叫んでいるが、ベンチャー企業が50億円稼いだ!と週刊誌の見出しで踊るが、1000兆円を超える借金を50億円でどうやって埋めるんだ?

この予算編成が済むとどどどっと社会が動き出して、その金を分捕りたい方々が群れて、あっという間にその金が霧散する。ついこの間綺麗になった道路に切れ込みが入り、ひっくり返して埋め戻すところに使われている以外に金の動きをダイナミックに感じることは無い。新幹線の台車が割れる時代であり、教育をしっかりと言いながら、少人数教育になれば廃校にし、教職員は削減の一途。そりゃぁ、必要なければ不要なのは間違いないが、土日夜無く活動を続ける小中学校の教員などを減らしてどうすんだ。シロートを入れることが相応しいなどと詭弁もいいところだ。そのような専門人財を教育学部等で育てることこそ、100年の計のスタートであるべきだ。

国家がそこに税金を払う人間を守ってくれるなら、それが国家だ。租庸調の時代からその体制は変わっていないはずなのだが、日本人であるという文化的素養を高める教育を疎かにして、守銭奴教育に入れ込み始めていると感じる。高い文化を心根に持ち、その人達が描く将来に向かって地道に国家を創り上げる。その起点を作らずに、似たような政策を別の省庁がうっていく。これではいくら貯金があっても足りない。むしろ借金しかないのだ。人は石垣人は城。その一点突破を骨格に進んでいこうと考える私であります。