蛸壺生活者の未来

プログラミングに初めて触れたのは高校生の時の紙カード時代。キーボード入力なんてなくて、マークシートカードが1行毎に対応して、そこにマークして一つのイベントを創り込む。小生はそこには何の面白みも感じることも無く、結局、大学で研究室に入り、機械をヒューレットパッカード社の謎の機械で制御するようになるまで、真剣に取り組むことは無かった。小さなミスでも命とりで物理現象を再現しようと躍起になった青春時代だ。結局、理想的な再現など、当時の計算機の能力では厳しくて、実験結果優先の、実験屋にとっては明るい時代であった。

スマホが当たり前になって、PCすら持ち歩かなくなった自分の生活スタイルに驚かされる。バーチャル空間で無意識にカード情報などをやり取りして買い物をしている。新幹線のチケットだってネットで予約、タッチで乗車みたいなスタイルになって久しい。儲けるチャンネルはIT産業に集中する。人に最も近いところの産業だからこそ価値を実感できるところにお金が落ちるのだなと、当たり前なんだけど、凄まじい時代だなと感じる。

アントレプレナー教育プログラムを走らせてみると、安全運転すらしない名古屋地域の大学生がわらわらと自主的に集まってくる時代である。就職活動の一助に、起業が選択肢に入ってきている。自分を振り返ると情けない。重箱の隅を楊枝でほじくる研究に没頭し、限られきったコミュニティで安心感に溺れていた。まぁ、その時の蛸壺生活は無駄ではなかったと思っている。そこで得たスキルは、壺の外では得られなかったと思う。

ソフトウエアがハードウエアの極限的深化によって支えられているのは事実だが、計算機科学の進化が材料や素子の深化を呼び込んだのは間違いなかろう。今、半導体デバイス関連産業は史上空前の活況で、これがいつまで続くのやらと恐ろしくもある。このまま電脳空間に安らぎを求めていくのか、それともリアルな人間活動が縄文時代以降、テクノロジーにまみれてきたその便利さを置いておいても人対人の共創に戻ることがあり得るのか。AIって案外、後者じゃないのかなって思ったりもする。折角の人間に生まれてきたのだから、その有難さに感謝して生きていたい。リアルにそう思う。