食糧自給率に想う

衆議院議員選挙である。既に期日前投票が始まっているが、実質は次の日曜日である。投票に行かない国民だらけなのは情けない。少なくとも80%以上の投票率であれば何がどうなっても納得するしか無かろう。民主主義の根本を揺るがして平気な日本は、民主国家か?と疑念有之である。で、あんまり聞こえてこないが食糧自給率である。人・金・土地の三種の神器を支えるのが水を含む食糧であるが、今回はPPTが蚊帳の外だから何にも聞こえない。

秋田で減反補助金を無くすことが争点の一つになっていて(何で秋田を話題にするかは置いておいて)ある地域の農家はコメが安くて補助金が無くなると生きていけないから、その政策には反対を唱える。ある地域は自然肥料を使い、水が良く、米単価が高価であり、加えて、外食産業がやや右上がり気味だから勝負に出て、その政策に賛成を唱える。機械製造業者は減反もへったくれもないから、売れなければ首を吊り、売れれば明日まで生きられるという勝負を続けてきたが、農家だけがこんな議論を昭和40年台初頭から延々と続けている。

気になって農林水産省からの情報を眺めてみたら、米の歩留りが90%であり、10%は焼却というか、人も家畜も食べず、肥料にもなっていないことを知った。主食を粗末にしているなと実感する。更に言えばカロリーベースでは40%に満たない自給率だ。これで国家か?国民を全員食べさせることが出来ないのだ。輸入のために外交をやっていると言うだろうが、世界的天候不順になって世界で飢饉が発生したとして、どの国が日本に食糧援助をしてくれるというのだろう?享保の飢饉では3000万の人口に対し約1000万人が餓死したのだ。今なら4000万人が我が国で餓死する勘定だ。これを政治家候補は語らない。

一方で、心ある若者が八ヶ岳山麓で広大な農地において株式会社農業を開始して、自給率向上を目指し始めたというニュースを先年聞いた。確かに為政者はベクトルを示せば良いわけで、具体的な法律、行動は官僚と国民の務めとも言えるが、こと食糧自給に関してはそのベクトルも示さない。地球温暖化に世界の農業事情が付いていかず、穀物類が不作続きだ。人口の増加は世界ではまだ続く。アスファルトの道路は食べられないし、電信柱も同様だ。まず食って眠れる。人間の基本に立ち返り、お互いに助け合って生きていくという縄文時代からの日本文化を見直しては如何かと、まずは一歩立ち止まって足元を固めようと切に願う私であります。