10年待つこと

桃栗三年柿八年、檸檬の樹は10年掛かった。長い長い年月で、アゲハ蝶の幼虫に葉を食べつくされ、雪にあたって葉が萎れ、様々な学びと共に10年にして漸く花芽を付けた。まだ実のったわけではない。蕾をつけただけだ。それでもそれこそ毎日眺め手塩にかけて漸くの蕾である。

社会は真逆だ。少しでもコストを下げて儲けを大きくしようと、早く安く作って利益を上げようという考えで何が起こったと言えばリコールの嵐。しかしそれに懲りず、何かありそうだなとなると、意地汚く上から目線で無償で奪い取る。そんな企業に多々出会う。

しかしそうでは無い大企業のとある部署もある。10年のお付き合いで、真摯に待って助言をして頂いて、蕾になったら肥料を与え選定し、共に開花を目指そうと痛みを分け合う。そんな出会いも世の中にはある。捨てたものでは無い。

任せると言ったら任せる。私は10年は待つ。世間は狭い。根本的に逃げるところなど無い。無いけれども最初からそのつもりもない。企画を提案し、任せられたら貫くのが良い。しかし、自分だけしか見えないのはよろしくない。常に鳥の目を持たねばならぬ。常に挑戦しているのが宜しい。机上には仕事は無い。身は大海にあり。そうありたい。