真実?

弱と強者を論じたら、どうやら強者は悪であったらしい。あったらしいが裁判をおこすそうだ。そうなると当然だが声紋の化学的分析が行われるだろうが、それは極めて興味深い。マスコミの魔女狩り力と真実との闘いである。昨日はマスコミの力を鼓舞したのは事実だが、マスコミ力を信望しているのでは決して無い。

だからと言って、「力」が好きかと言われれば全くそうではない。真実を達観するのが宜しい。あまりほじくらず、人間的なところでとまっているのが宜しい。そうでないと酔っぱらうことすらできず、生きる喜びが失われてしまう。喜びはそれだけではないのだが、まぁ良いではないか。真実を受け止め作り出す精神的苦痛を分かち合う人々と、神の力で浄化する。これこそ人間のあるべき姿であろう。

こんな風に勝手な解釈をするのが人間というものであって、それが自分で自分のためという間は宜しい。他人の領域に乗り出した途端に宜しくないことが発生する。他人の為にと最善を尽くしたとしても、他人はそれを良いとは思わない。ましてや第三者は偽善者とたたきに来る。自らだけが正義である如くだ。

苦悩は分かち合うことは出来ない。だからこそ苦悩なのだと思う。かのパガニーニは弓を弦に置くことを恐れ、演奏の直前には弓を構えてコンチェルトを夢幻のかなたで演奏したそうだ。学問を技術にし、そして社会に還元しようとする時、恐怖のみがつきまとう。それで良いのだ。誰も信じてくれない。でもそれを突破することが出来ると、行動が真実となる。それだけが正義だ。マスコミが正義ではない。正義かもしれない。真実は一つ。それだけだ。