指示待ち

足元で放火容疑者が走り回っていたんですね。名古屋市緑区のご近所で放火があって、SiCツールズのご近所の病院に居て、犬山まで盗難自転車で逃走という、名古屋市縦断の旅みたいな捕り物なんだけど、そんな凄まじい事件があったとはまったく知らなんだ。地元小学校では児童の帰宅対応に相当に追われ、てんてこ舞いだったとのこと。何があるか分からない、恐ろしい世の中である。

闘争ということでは無いが、小生も本当に時々になってしまったが、未だに宿舎と鶴舞大学との間を健康劣化を食い止めるべく自転車を使って移動することがある。なんと言っても季節の移ろいを感じるのが良く、山にちっとも行けなくなってしまい、塞ぎがちな気持ちが晴れて良い。それにしても犬山は遠いぞ。人間、やろうと思うとなんでもできるということか。

まるで話が飛んでしまうが、要はやる気と積み重ねなのである。指示待ち人間が増え、明日に向かって進めなんて言ってしまうと、寝たまま明日を迎える若者のみになってしまっているので、指示出しが好きではない小生にとっては厳しい時代だなと感じる。指示も相当に細かくしないといけないらしい。まぁ、そのあたりは加減しながらということなのだけれど、自分で考えろというのはいかんらしい。

ゲームというプログラムで育った世代故に、完璧な指示が必要なのかもしれない。乱数などもっての外、ゴールに到着したらそれも支持しないとゴールと判断も自らはしないようだ。ちょっとこっちの路地は面白そうだと寄り道もしない。そんなことでどうやって自らの幅を広げるのだろう?迷い挫折しそれでも一歩一歩。人生とはそいういうものだと思っている。これからも変えるつもりはない。