遥かなる規制緩和

古い雇用を守りながら、新規を導入していくとどういうことが発生するか。思いっきり規制が掛かった中で、旧来と新規が混在して混乱し、旧来が良かったから新規開発は止めましょうと言うことになる。日本の王道で、これは一般民間人も、企業もお役所も全く同じ。マイナンバーカードなどは流石にここまで無茶苦茶だとは思ってはいなかったのだが、コンセプトとしては小生は正しいと思っている。適切なサービスを定量的に評価されることに異論はない。ごたごたが過ぎますけどね。

身の回りで言うと自動運転でしょうね。諸外国ではレベル4だの5だのと実証され始めていても、この国ではレベル2で大騒ぎ。街の規制が新規挑戦を許さない。自動運転に挑戦しようとするベンチャー諸氏は海外に逃げ、技術が日本に残らない。いや、発生する機運すら見えてこない。限られた企業が限られたエリアで実験を続けているなと言うのは見えるのだが、街の中にハンドルの無い車が出てくる気配すらない。

都市伝説的に量子コンピュータのお話が出てくるが、作って試してアジャイル型開発をしていかないと、何が得意なのかも分からない。分からないから盛り上がらず、その開発と活用に挑む学生の芽を摘んでいく。流石に事故を起こしまくられてはたまったものではないが、限られた領域において、どんどんと挑戦する特区が出来ても良かろう。生成AIをどう使うかを大学でどのように考えているのか等という体たらくなヒアリング結果が新聞を賑わしているようでは、数年先も大丈夫かと思う次第。

新しいことが全て正しいわけでは無い。それは当然である。しかし、旧態依然は全てが正しいわけでは無い。技術の進化、世界の趨勢を研究室の中では感じられても、一歩、街に出てみると、おやおやどうしたことかと残念に感じる。自動運転云々はひょっとすると人が移動しない社会と言うのが答えかもしれない。医療だって身体情報をセンサで獲得し、自動で未病対応がなされるのかもしれない。マイナンバーが嫌だから紙も欲しいとか、本心か言わされているのか分からないが、そんな記事が飛び交うところにテクノロジーの進化は虚しいなと思う次第だ。

少年野球から

7月の声を聴いた途端に灼熱がやってきた。夏らしい、激しい暑さに「お久しぶりです」という気持ちがわいてくる。生命のエネルギーを最大に燃やして生きていると、いつ何時、終焉がやってくるのかと、ある意味、楽しみではあるのだが、大好物の灼熱の太陽に再会できたというのは嬉しい限りである。買い物に出歩いてみれば、小学校の校庭で少年野球に熱中している。まだまだ元気はそこにある。

国が求める多くの申請の基準が10年後となっている。2033年の社会がどうなっていて、その時、あんたらはどんなふうに社会に役立っているのか定量付けろ。その定量に向かって毎年どうやって進化するのかバックキャスティングで示せという。いろんな未来予想というか、未来希望というか、少年野球小僧だった頃に、こんな世の中になるのかなと大阪万博で見せられたことを思い出す。

その後に筑波科学万博というのがあって、3D大画面映画を見せられたりはしたのだが、こんなものかなぁという、まぁ、今と大差ない38年前だ。その間に出てきたのがスマホと生成AIかしら。勿論、それらを産みだす技術が地味に成長してきているのだが、原理原則が大きく変わったわけではない。3Dプリンタなんて半導体の作り方が、目に見えるサイズになっただけで、新しさを感じることは無い。

ふと思ったのだが、全く今存在していない技術を描けと言うことがどれだけ困難であるのか。延長は描けるが新規は難しい。こんな世の中になっていたら面白かろうということだって、定量的に描くことはとても難しい。難しいのだが、少年野球団のキラキラの笑顔を見ていたら、これが継続すりゃ良いのではと思った限りだ。でも、変わらないことは難しい。炎天下で子供達が安全に集まって、全力で未来を目指す。教えは何処にでもあるものだ。

電気屋さん

日経新聞を拝見してヤマダ電機がEV販売を手掛けるとあり「成る程!そうきたか」と時代の動きを感じた。そうそう、そうこなくてはということだ。インホイールモーターに電池がくっついて、AIが運転してくれる代物は、最早、自動車整備工場など無用としてくれるわけだ。専用の資格は必要とは思うが、内燃機関とはまるで異なる仕組みになるわけで、街の電気屋さんの生き残りもそんなところにあるかもしれない。

その昔は商店街なるものがあって、ナショナルだの日立だのの看板を掲げた電気屋さんと呼ばれる存在があったのだが、それが新たな賑わいを持つ可能性があるということですな。自らを診断して、エラーが発生しそうになったら、勝手に街の電気屋さんに車が自動で走って行って、予兆診断された部品を交換してくれる。恐らくは、部品の在庫があるところに走っていくのでしょうね。その先がヤマダ電機ということなのでしょう。

修理や車検が電気屋さんというのも痛快である。屋根の上の太陽光パネルから自動車迄扱うようになってくると、生活家電という概念が街と一体化して愉快である。自動車同士がAIで会話して事故ゼロ社会を目指して欲しい。居眠り運転という概念が無くなって欲しい。マイカーという概念すら無くなるのだろうから、自動車関連から税金をやたらとふんだくっていた国家の有り様も変わっていくのだろう。これも痛快である。

スマホが人々の生活に溶け込んで、その生活スタイルを変えてくれたが、所詮はポケットの中の電脳であって、スマホが身体を運んでくれるわけでは無い。既に電気自動車は走るコンピュータではあるが、ハンドルの無い自動運転車が出迎えてくれて目的地まで運んでくれる。体調の管理も自動で行ってくれて、自動車自身だけではなく、乗った者の健康まで見守ってくれる。ヤマダ電機が医局に見えるなんてこともあるのかしら?兎に角、ほうっと思った記事でした。

工学は食糧を供給できるか?

名古屋市から少しだけ東に行くと、豊明市というところに出るのだけれど、畑のど真ん中に物流倉庫が出来たりとか、道路が出来たりとか。一年中草ぼうぼうで、管理をしている人が居なくなったのかなと思ったり。食糧自給率が3割程度しかないこの国で、こんな事で良いのかと思うわけだ。人件費が高くて農家なんかやっていられないというのであれば、すぐさま土地を返納して頂いて、意欲ある人達に食糧生産の場として有効活用して頂きたいわけだ。

肥料の問題や水の問題が大きい事も解っているが、それは旧来の作物に活用されずに海に流れていく肥料が8割以上の状態をキープしようとするからで、そこに何らかのテクノロジーを導入したら如何かということだ。話は例によってそれるが、健康に関するテクノロジーを作ろうとすると、何処からともなくお役所がやって来て、そんなことをやったら病人が減って医者が困るからやめろと言う。波力発電をやろうとすると何処からともなく怖い方々がやって来てやめろと言う。

こんな状況から脱せねばならないわけだが、トラクターによる開墾、圃場整備などはGPSを活用して自動化出来るわけで、肥料と水の問題を何が何でも解決せよという、お役所の背中押しがあって、規制緩和があって、水利権だのなんだの、本来、地球のものなのに個人に帰属させようとする既得権益も壊していけば、食糧自給率などすぐさま上がるのではないか。天変地異があるからそんなに簡単では無い事は承知の上だが、農地が気が付くと工場群になっているのは頂けない。

VRでアバターに仕事をさせれば良いというお話がある一方、食糧を生産するという必要性がゼロになるということではない。ひょっとすると既に薬品接種で食糧を口から獲得しなくても仕事は出来る時代になっているのかもしれない。トラクターとドローンに、加えてどのような機能を加えれば、圃場作業員はゼロに出来るのだろうか?リアルに想像してみる。なかなか面白い。

PCレスキュー

職場で使っているPCが12年選手になって、いよいよがたが来た。当然の事ながらWindows11はインストールできず、10のままアップグレードをしながら使ってきている。残り僅かの職員生活だから、今更PCをリプレースなどしたくない。そう思っていたらCPUファンがお亡くなりになった。しかも謎の壊れ方をして、USBケーブル経由でコントロールしていた精密装置のコントローラが壊れてしまって、いよいよ被害甚大である。

まず取り掛かったのは精密装置コントローラのリプレースである。幸いに、グレードアップしようとしていて、購入していたコントローラ一式が手元にあったので、交換に取り掛かった。不便はあったものの、動いていると面倒が先に立って装置交換をしていなかったのだが、何かのお告げであろうと交換してみた。すると、予想通りに動かない。意味不明な説明書を読み込み、設定をいじり、ローカル駆動が出来るところまで辿り着く。

機械とネットワークを繋ぐわけだが、これにはいろんなお作法が必要で、まぁ、あれやこれやと過去の積み重ねを吐き出してみたら、ノートPCから制御可能になった。こうなってしまうと、今度はデスクトップPCの整備がおろそかになってくる。人間とは何と横着なのだろう。しかしながら、デスクトップPCに入っているデータが欲しいわけで、なんとかCPUファンを入手して駆動させた。

丁度、Windowsアップグレード中にお亡くなりになったものだから、その過程で立ち上げたら、なにやら青い画面から真っ黒になったり、あぁ、絶望感ということで、諦めかけたところ、なんとか立ち上がってくれた。データバックアップ用のNASを用意して、なんとかデータを吸い出せて、ご臨終になってもなんとかなるだろうというところまできた。PCは所詮は箱なのだけれど、長く使うと愛着がわく。大切に使わせて頂こうと、綺麗に拭って微笑んだ。

教育万歳

教育論というものがあって、中国から官位が伝わってきた時に伝来したと言われていますが、その原本を拝見したわけでは無く、ガマの油売り大学で教員コースの講義で学んだだけだ。個性的な先生方の講義は今も目に焼き付き、耳に残っている。先生方の身振り手振りがビジュアルで浮かんでくる。オリジナルの素晴らしさということなのだろう。全ての先生がそうであったわけでは無い。しかし、確実にいらっしゃった。

元教員となって久しく、教育業務はご法度なわけだが、依頼を受けて特別講演という形でお話をさせて頂いた。ややこしい話は飛ばしてしまうが、技術経営コースでの講座なのだが、やりたくてそこに居る人達だけの集まりに向かって語らせて頂くと、消費したエネルギー以上がこちらに跳ね返って来て、益々、体温が上昇してくるのを感じる。上昇し過ぎるとあちらに行ってしまうから、受けたエネルギーを更に増やして聴衆に跳ね返す。すると更に強いエネルギーが嵐の如くに身体を叩きつけてくる。心地良い。

僅か45分であったが、最終講義の場を頂戴し、こんなに有難く、そして忘れることが無いであろうその瞬間を共有させて頂いた学生諸君と、先生方に心より御礼を申し上げたい。教師に成りたくてなったわけではなく、恩師が勝手に決めた道なのだが、いつの間にか熱中できる天職となっていたのかもしれないなと、激しく疲労した自分を振り返って実感した。辛くて厳しい道のりであったが、それが性に合っていたのかもしれないと初めて思った。

まぁ、聴かされる身になってみると、宇宙人が宇宙語でまくし立てて、こんな生命体が地球に居たのだと珍獣に出合った気分であろう。驚天動地、阿鼻叫喚では無いが、そんなスペクタクルを味わって頂けたかもしれない。ドーデ―が「フランス万歳」と主人公に板書させた気持ちが分かった気がする。教育万歳。それに尽きる。

ここまで

気の良いおじさんはもう辞めた。我慢の限界を超えたというわけでは無いのだけれど、もう良いのではないかなと、そう感じたわけだ。天下国家にこうなって欲しい、組織力を最大化させて頂きたいと必死に汗をかいてきたつもりだが、それは勿論、個という限られた範囲であって、気に入らないのは当たり前だし、気に入って欲しいとも思わない。時代が変わってきたのだからそろそろ隠居ということだろう。それはそれで良い。

「君達はもっともっと幸せになれる」と次世代にエールを送った太宰の気持ちがわかるお年頃になってきたということかもしれない。内的要因ではなく、外的要因に屈する組織が哀しくなったというだけだ。そもそも論、俗人性が強すぎてはいけないということだろう。ただ、やりたいと思ってやったことは無いのだ。やれと言われたから、やらせて頂いてきた。全力を出してきた。うまくいったことも、思った方向にいかなかったことも当然ある。外界からお声がけを賜っているのだから、外的には間違ったことをしてきたわけではあるまい。

先日、とあるNPO法人の理事殿にお会いしたのだが、コロナ禍で猛烈なダメージを受け、更に「想い」や「機能」を隠すリーダーの退任がその最中にあり、事業承継がえらく大変であったと伺った。数億の減収になり、人的資源の確保は当然のことながらできず、コアコンピタンスも分からない中、経営に携わりてんてこ舞いの状態であると。批判するのは権利であるから当然の行為。しかし、明智光秀はいかん。

嫌だから滅ぼそう、後は知らないということにならないか?大きな転換には思わぬことが付随する。まぁ、お手並み拝見なんだけど、織り込み済みであったとしても、思わぬほころびを生むものなのだ。満点は無い。無いから発展するのだけれど、及第点以下だと滅びしか無い。無理を通せば道理が引っ込む。当たり前のことなんだけどね。土日なく働いていると頭が沸騰してくる。何とか冷やしたいものだが、なかなか難しい。そんなもんだ。

受益者負担

受益者負担って言うのは簡単なのだけれど、負担の部分がどの程度かにも依る。少子化対策でお金をばらまいたとして、受益者は将来の日本を背負って立って頂けるのか?お金を出したらいきなり子沢山日本が復活すると思ってんですかね?自分自身の小ら設計すらままならないのに、お金と引き換えに人口増やせってどんな命令なのだろう。

それに比べて防衛費の方が何となく解り易い。国家国民を護るのにはそれなりの設備品が必要だ。だから税金から吸い上げますというのは納得できるのだ。全ての民が均等に責務を果たし、そして見返りがある。受益者としての負担は当然だろうという事だ。世界のバランスを見ながらどんなところにお金を使うかということは正に国家レベルのお話だ。

話が飛んだが、どんな未来社会があって、そこに生きる人達にはこんなサービスを実現したい。だから、日本の将来への投資として国家国民を挙げて支援しようと、そんな大所高所からの導きが必要なのだと感じる。それは全く聞こえてこない、感じない。増税したら選挙に落ちるからということが大前提であり、必要な増税を悪と捉える教育レベルの低さも嘆かわしい。

女性活躍の順位もどんどこ落ちていく。政治と財界のポジションということなのだけれど、それもその上位に就きたいという意欲を掻き立てる社会構造になっていないことの表れであろう。小生の周りにはミサイル級の方はいらっしゃるのだが、まぁ、滅多にいらっしゃらない。ガソリンの補助も打ち切っていくから、どんどんと全ての物価が上がっていくだろう。高物価薄給の国家において、受益者負担は正しい考えだ。為政者は断行するべきだ。

水素はやってくる

原子炉の高温動作で水素をじゃぶじゃぶ発生させようというプロジェクトがあるわけだが、原発の良し悪し議論をすっ飛ばして、水素さえあれば良いという風潮はどうなのだろう。まぁ、とは云うものの、水素燃料電池の高効率化がドンドンと進み、水素燃焼エンジンも実証段階は突破したように見えるので、何が何でも水素をじゃぶじゃぶと発生させるという取組は間違いでは無かろう。

インフラを変え行動を変える必要が出てくるが、行政の動きが全く見えない。旧態依然が良いのだという日本古来の風潮というか、変わる事への拒否反応というか。ボスが下知して言いたい放題、やりたい放題が好きな文化。ボスのお仲間同士が慣習的にその当たりをとりしきって気持ち善がる厭らしさだ。水素燃料が主流になれば、ガソリンの既得権益が無くなるので、環境に良くても反対とかね。

水素じゃぶじゃぶは必ずやってくる。いろんな問題はあるものの、それが良いと分かっているし、水素原子は宇宙空間で最も豊富にあるしね。地球上には水という形で主に存在しているけれど、宇宙空間に解き放たなければ無くなるものでは無いし。窒素とくっつければアンモニアに向かっていって肥料になるし、炭酸ガスと反応させればギ酸になって化粧品や薬品になるしね。

石油由来のエネルギーで産業革命が起こったわけで、それが水素由来になっていく過程で、単に掘って使うところから作って使うという人間本来の活動になってきた感じがするわけだ。世界の動きはとても速く、その速度感覚に日本は付いていけているのであろうか。何時まで経っても批判ばかりのマイナカードとか見ていると、失敗を許さない旧態依然の石頭に辟易する。失敗を恐れ石橋を叩いている間に、世界は空を飛んで行った。そんな気がする毎日である。

インドネシア

陛下がインドネシアに国賓として招かれていらっしゃるとのこと。赤道近くの灼熱の国を訪れたのは10年も前であったかと、自らの老人化を納得するところである。日本で言うところの赤門大学に相当する大学において開催されたインドネシア-日本・総長会議なるところに代理で出席させて頂いたものだ。シンガポールを経由してジャカルタに入り、そこからジョグジャカルタまで「コモドオオトカゲ」がプリントされた飛行機で移動した。

印象に残っているのが古都ジョグジャカルタの意味。ジョグジャが平和、カルタが街。平和な街という意味の街であると伺った時、日本のように街の統合で名称を安易に変えるということはない。植民地支配を受けていたことを忘れない為なのかもしれないが、国民の想いを一つにしていこうという意識を感じ、感動した。

そして大学においては、学生には自転車をレンタルし、学内において重量物を運搬する際には、電気自動車で搬送するという「ブルーキャンパス構想」を10年前に既に実施されていた。自分達の街を任せる若者を育てる大学の有り様を、国がしっかりとサポートしている。そんな国家の想いを感じた。当時の資料で恐縮だが(出掛ける前に調べた資料があるので)人口2億3千万の1/3が若者であるという、若者の活気にあふれた国であった。

日本を顧みると、若者がどんどんシュリンクしていく。ガソリンエンジン車はどんどんと増え続け、煤煙をまき散らすことを止めない。自転車通勤時にコロナ禍のお陰でマスクをするようになったが、呼吸が極めて楽になっていることに驚く。マスクをした方が呼吸が楽という現象に驚かされる。ブルーキャンパスなど遥か彼方。陛下のご訪問によって、両国の絆が太くなっていくことを願うばかりである。