大気は梅雨入り

4時台半ばで白々とした朝になってきた。昨夜、宿舎に戻る途上でぱらぱらっとを越えた雨が落ちだして、ちょこっとびっくりした。大気中の水蒸気が増えているのを体感できる。明け方空気が重く感じ、風の圧力が強くなっている。いよいよ梅雨入りですかな。太平洋高気圧はまだまだ北緯10度くらいに中心があり、日本から遥かに離れているわけだけれど、ラニーニャ現象が終息に向かっているということは日本の沖合の海温が上がり始める兆候でしょうから、いよいよ夏が来そうだなと感じる朝です。

4月からスタートした新学期も気が付けば5月は半ばを過ぎ、7月に向かってぐわっと講義が面白みを増してくる季節。教員が面白みを感じるということは十分に予習復習を重ねている学生諸君以外は取り残され気味になってくるということで、中間試験で脱落者が出てくる理由がこの辺りにある。講義回数15回とすると来週あたりに中間試験の先生方が多くいらっしゃるでしょうけれど、試験を実施する側もハラハラドキドキ。全員沈没だったらどうしようと悩む季節でもある。

経団連の皆様がばっちり仕事をこなして頂ける方々の残業手当をゼロにして経営改善につなげようという高度プロフェッショナル制度が議論されていますな。鶴舞大においてはとっくの昔からそんなもの無いし、二部・夜間対応の手当ては付かないから、全学対応と言う、言ってみれば高度プロフェッショナル制度はとっくにあって、いよいよ社会が追い付いてきたかなというところだ。

小生が就職活動をしていた頃、半導体業界ではNEC殿などは飛ぶ鳥を落とす勢い。バブル前の株式時価総額が5兆円越から昨期末においては約8千億になり、4兆円が消えてしまった勘定になり、今期もリストラで体制を立て直すとのこと。日経を見ているといよいよビッグビジネスの終焉かなと感じる今日この頃、日本沈没にならない唯一のカンフル剤は教育である。それは間違いない。そう思う。

シングルモルト

今朝のニュースでびっくりしたもの、それはサントリーのシングルモルトの販売休止。海外販売が優先され、国内ではハイボール程度に抑えていくとのこと。ブレンド用にシングルモルトは必須であり、その原料が無くなってはということなのだろう。それにしても国産ウイスキーの原酒販売が抑えられるとは魂消た。

何が魂消たって「そんなに皆さん、ウイスキーを呑むの?」という驚きである。余市に出掛けてシングルモルトを頂いたわけだが、小生にとっても結構強烈だと感じたんだけどなぁ。あんなものをどんどこ呑んだら、そりゃぁあかんだろう。どっかの芸能人じゃないけれど、肝臓疾患で入院は免れまい。とはいうものの、竹鶴政孝さんは毎晩一本空けていたそうな。まぁ、申し子の方ですからね。マネしちゃいかんということだ。

ちょっと前から日本のウイスキーは海外で評価されて、輸出がかなり増えたと聞いていた。様々な蒸留所が元気よく海外に向けて「洋酒」を作る様は、白モノ家電や自動車の輸出という便利グッズの安価料品の輸出から、人の時間の有効活用グッズという、人生に直結するものを世界に向けて発信できるようになったのかなと、嬉しく思ったものだ。

自動車や工作機械、ロボットなど、所詮は海外から入ってきた概念を勤勉さで形にして送り返しているだけだ。洋酒であっても同様である。昨今、日本酒ブームと共に、枡そのものも海外で受け入れられ始めている。こちらはまだまだ始まったばかりだが、木という人間の営みに寄り添ってきた物質を、人の営みに直結する形に変えて海外に向けて発信出来ていくとすれば、これこそ我が国のあり方ではなかろうか。日本文化でしかありえないもの。もっと大切にしていきたいものである。

都市と地下電車

名鉄が1号線と並行して走っているあたりは、高架される以前は、そこを車で通過することを考えることすら嫌であった。有松あたりはお金が足りなかったのか景観の問題か、外環状線が引っかかったのかどうか分からないけれど、未だに開かずの踏切がでんと構えている。小生としては利用することは滅多に無いというか使わなくて良いので、まぁ、どっちでも良いのだが、車を利用する人にとっては不便だろうなぁと思う次第。

長野にお出かけされた方はご存知だと思うのですが、その昔は路面電車が走っていて、なかなかにして良い雰囲気を醸し出していてくれていました。今はそれがどっか行っちゃってというか、地下電車になっているんですな。冬の降雪と結氷を思うと、思い切って良い選択をされたなって思うのです。人口は40万に満たないところですが、路面電車当時、車が街に「止まって」溢れかえっていたことを思い出すのですが、今、行ってみるとすうすう走ってくれて、見ていて心地よい限りです。

長野でどれだけ費用が掛かったのかは知らないのだが、100億円/1kmとも言われる都市部の地下トンネル工事。優れたシールド工法が開発されたとはいえ、かかるものはかかりますな。それを乗降客が支払う運賃で賄えるとは到底思えず、やはりここは税金使途の考え方と言うことになるのだろう。流石に地下区間はそんなに長くは無いのだが、善光寺を有する観光都市であればこその観光客誘致を考えれば、思い切った投資で良いのではないか。

名古屋城天守のエレベーター問題。税金が投入されるわけだが、税金を投入して文化財もどきを作るのか文化財を作るのか。はたまた、名古屋人文化を作るのかということなのだと思う。本物を作って将来技術で誰もが上がれるようにするのか、木造だけどメカトロ突っ込んで、海外から誰も見に来ないものを作るのか。極めて難しい問題である。短慮は禁物。どうせ耐震的に危険なコンクリート天守は撤去するし石垣の点検・保守も必要だ。それにも相当に時間が掛かる。いろいろと考えてみるのが宜しい。

時間の貧困

米国に入っていく完成車にかけられる税金が2.5%から20%に引き上げられる「かもしれない」という。中間選挙前に保護政策を一気に加速させる米大統領というか米国の民意と言うか、やっぱりそうくるかというところかな。まぁ、日本から行っている自動車はCO2を必ず直接排出するタイプのエンジン搭載車だから、間接的にCO2排出が減り、地球温暖化対策となっていくのかもしれない。一方で、自動車関連部材開発企業群となるとなんちゅうこっちゃとなろう。だからこそいつまでもしがみついていてはいけないということだ。

半導体貿易摩擦が騒がれたのが1987年で、小生は博士課程の学生さんでありましたな。薄膜トランジスタとか、光記録だとか、レーザーアブレーションクラスターモデルだとか、まさに真っただ中の研究者だったわけで、バブルがはじけて就職難に続いて、半導体摩擦でこれまた就職難かと、公務員の給与が目覚ましく墜落していく最中の就職だったから、透けて見える初任給でももらえるだけましと思ったのを覚えている。

日本が頑張っていくとどうやら叩かれるという筋書きがあるらしい。東の果ての国だから、何をやっても良いだろうという外の目と、真面目に頑張る日本人はこれもなんとか耐えていこうというお上の楽観からくるのかどうかわからないが、ただでさえ自動車のエレクトロニクス化とゼロCO2化の流れで次に何を作ろうかシフトの最中の関税引き上げは相当に厳しいところだ。

西洋では農業労働力に家畜を大量投入し、人は時間を活用し思考した。我が国では労働力を投入した結果、一所懸命に努力すれば日常を安楽に過ごせるという石田梅岩の教えに代表されるように、時間の貧困に突っ走っていった。所得の貧困に加え時間の貧困にあえぐ日本に起死回生はあるのかと他人任せにせず、あれやこれやと考えて、何とか広がらないかなぁと結局日夜考えて時間の極貧に陥っている私であります。

ものづくり

MRJの大苦戦、世界の航空機設計の概念を立ち上がり前に深堀というか相手の懐に入り込まなかったのがつまづき始めなのだろうが、それだけだろうかと思う。ものづくり業界全てに通じる日本ならではの阿吽という、旧来褒められてきた部分に根源があるのではと思ってしまう。

こんなものを創って欲しいと、目的の仕様が与えられると、極微に細分化された部署がバトン連携の如くに「こんなもの」を目指して作り込んでいく。自らには「仕様」を作る能力は全くないのだが、「こんなもの」は創ることが出来る。何を目的にするかは考える必要は無く、愚直に自ら与えられたことのみをやっつけていく。一見、良さそうに見えるが、行動の価値はそこには無い。

その時、その場、自らの立ち位置だけを考え、組織の価値などは一切考えない。気に入らなければ悪口を陰で言い、自らのみが正義と立ち振る舞う。それが通った時代は確かにあったと思う。思うが、ものづくりはそれを活用する人の笑顔だけが評価されるべきで、利己主義軍団の勝手な言い分など今は通らない。

自らを社会的価値に向けてどのように企画してプレゼンできるか。その価値の連携こそが最終価値を生み出すわけで、それが出来ない集団ではものづくりは出来ない。個人、部署、企業それぞれが価値を最大化する努力を続けることこそ、ものづくり業界の新連携のキーであろう。そうでなければならない。

入園無料の遊園地

富士急ハイランドがこの7月中旬の、小中学校の夏休み開始時期から入園料を無料化して、好みのアトラクションだけ楽しんでという戦術に打って出るとのこと。この手があったのかという感じだ。高額のフリーパスなどはそのまんま販売するらしく、一日遊んでいくならそっちで楽しんでと言うことらしい。巨大遊園地の入園料が無料になるというのは成る程なぁという感じだ。

ディズニーランドと違って、園内そのものが面白ワクワクという程でもない(怒られるかな?)ハイランド故に出来ることなのかもしれない。ミッキーを見かけるだけでウルトラワクワクということはなく、人工の富士山に登って喜ぶくらいかなぁ?しばらく出掛けていないので今はどんなアトラクションがあるのか分からないけれど、富士五湖エリアの観光客的にはターゲットとなるかな?

ただ、あそこの周辺の道路はかなり少なくて、東名からも中央道からも高速道路はあるけれど、そのまんま遊園地の駐車場に入れるわけでは無いからね。名物のうどん屋さんがある路地などは大渋滞しそう。あの辺りに住んでいる住民達はえらいことになりそうだな。日中は外に出られなかったりして。富士五湖周辺の情報ハブとしてはもってこいなんでしょうけどね。

名古屋エリアだと長島スパーランドの入園料が無料になるみたいなイメージかしら?もっとも伊勢湾しか見えないからアトラクションを利用しないでスパーランドに行く人はいないかな?ハイランドだって富士山が見えない天候だったらしょぼいぞぉ!それでも無料ってなんだかいい感じかもしれない。ジェットコースターにのってきゃあきゃあ叫んでいる人たちを珈琲呑みながら眺めるのかしら?ちょっとしたニュースだけど、そんなのもありかなぁと、何かのヒントにならないかなぁと思ってみた私であります。

観光

観光という点において京都ほどのパワーを持った街は、日本においてはなかろう。インバウンドという点においても世界の認知度は高く、落とすお金の量はとてつもないものだろう。一方で、大混雑はまだしも、芸能人の看板が軒先を飾り、街の美しさという点において随分と普通の街になってしまっていると感じる。観光という観点で出掛けなくなって久しい街、それが小生にとっての京都である。

嵐山に臨川寺という寺がある。嵐山本線の嵐山駅のすぐ近くだが、知っているという方に出会ったことは無い。夢窓疎石が親交のあった後醍醐天皇の皇子の早世を悼み開山した寺である。夢窓疎石は日本中に庭文化を築いた方で、その入滅もこの寺であり、お墓の上に本堂が建っている。その前庭は夢窓疎石自身が一門と共に自らの生きざまを形にして残された、時代が静止しきっている空間である。はっと息をのむ。

現在は拝観は許されず門は閉じられたままである。不逞の輩の侵入が多く、原宿かと見紛う如くの嵐山において、静粛を保つ砦の如くである。恐らく小生が生きている間に再び拝観させて頂く事は無かろうと思うが、庭園の意味を学ばせて頂いた最初の石庭故に、今一度、拝見したいものだと願っている。自らの心の狭さに当たった光を観るというのが観光であれば、これ程相応しい地は無かろう。

日本は大戦で多くのものを失った。しかし、人の息遣いまで失ったわけでは無い筈である。それらが伝わり今に息づくところはまだまだ沢山ある。それらを成長の糧としてどれだけ「若いうち」に体感出来るか。街角のちょっとした遺物、町並みそのものにどれだけ感動できるか。いや、その感動を呼び起こさせて頂ける心を持っているか。電脳の仮想の街ではスイッチは入らない。リアルに限る。

梅雨入り

五月の声を聞いたばかりでも無いが、南方では梅雨入りということで、今年の夏は長くなりそうで恐ろしい。愛知では麻疹が連発していて、収まりそうにない。そこにきて沖縄帰りの中学生が発症したということで、留まるところを知らぬ猛威である。中学生って予防接種を受けているのでは無かったのか?遠い昔に忘れた麻疹と言う単語だが、身の回りにやってきてこれまた恐ろしい。

名古屋城天守が閉じられたが、木造天守に転換するって議論中だと思ったらいつの間にか決定になっていたのですね。なし崩し的に決まっていくのが政治なのだが、どうせなら綺麗なものを作って頂きたい。折角税金を投入するのだから、街からどんどこかえて頂きたい。大通り公園のテレビ塔より北側もこの際だから江戸時代の街並みみたいにして頂いて、ぶらぶら歩いてお城見物など出来るようになったら少しは楽しかろう。

凄まじく熱い名古屋であるから、木造というか江戸時代からの伝統を活かした町並みにして、こんなに熱い名古屋でも家屋の中は涼しいぞみたいな、自然との調和など、出せるものは全部出すみたいな、景気の良いことに挑戦して頂きたい。道路を掘り起こすばかりではなく、住んでいて楽しい街にして頂きたいものだ。

コンクリート製の天守をどかすのは良いが、礎石はどうするのだろう。天守台から外してある礎石を元に戻して使って頂きたいと思う。どうせなら徹底的にやって頂きたい。そこまで出来る江戸期の大型建造物の再建が出来るのは名古屋城くらいだから、思い切り豪勢に挑戦してもらいたい。しばらくはじめじめとした天気が続くのだろうが、豪華な天守閣が出来上がっていくことを楽しみに、これから数年は眺めていたいものだ。城が出来る。実に愉快だ。そう思う。

休暇明け

変わらぬ休日の過ごし方であったと言えよう。買いためた文化的書物をむさぼり、乾いた精神に潤いを注入した。新しい知識をどのように活かすか、この一年の物語の始まりである。毎年の事で、正月より正月らしい。決まったことをする正月に対して、新たな一歩を踏み出すのがこの五月連休である。何も決められていないからこそ、自分の時間がある。人間らしい。

第二四半期も中盤に入ろうとしている。今のところ想定の範囲内での推移だが、講義など、新しく構築しているものもあり、これはなかなかにしてぶれるぶれる。世の中の加速感が物凄く、少し前に新しくても、決めた瞬間に古くなる。自然の営みではなく人間の活動とは恐ろしい速度を持って進んでいく。人同士が繋がり合ってそれらが共に創り上げていく世界故に、その加速度は破壊的だ。

世界が何処に落ち着くのか、いや、落ち着く先など無いのかもしれない。欲望の矛先を深海と宇宙に求め始めれば、いずれそこにも飽きて、さぁ、どうしましょうというところだ。ちょっと前なら5Gが自動運転云々を新しく語っていたが、既に、それが前提で工場の生産工程管理などの世界的流れの青写真は完成し、次はどうするという議論に入ってきている。

週の始まりから雨である。連休中の好天気を忘れさせてくれる点において相応しい天候だ。次のお休みはお盆ということになるが、これはまぁ決まった活動に縛られるものだから、お休み気分は全く無い。だからこそ、年に一度の5月休暇は有難い。学ぶことはまだまだ沢山ある。有難いことだ。

SHURE社

団塊の世代の皆様がリタイアされた時期に、高級オーディオ機器が再び売れ始めたというニュースが流れた。流れたというよりも小生が気にしたということなのかもしれない。音楽再生と再生音楽を楽しむことが趣味であるので、リッチなオーディオ機器を湯水のごとくの金銭で買いあさる人達っていったいどんな仕事に就いていた人達なんだろとか、様々様々思った次第。

丁度、大学4年生になるかならないかの頃に、カラヤンが「俺の第九が入らなきゃ意味が無い!」と皇帝の如くに叫び、今のデジタルオーディオの企画が決まり、そこから延々とLPの駆逐が始まった。軽薄短小、小生もご多分に漏れずそちらの方向に行っては見たものの、機器が悪いからかそれ程の感激は無かった。その昔の秋葉原の通い詰めたオーディオショップのおっちゃんが「LPには勝てないからね、LP買っとけよ」と言っていたのを思い出す。

ハイエンドオーディオって結局はバーチャル路線にも入っていて、それで良い方々には、それこそ全く問題ございません。ただ、一度でも筧の音とか山の中のせせらぎの音、鳥の声、風の流、無音の雲の圧力を感じたことがある人は、それが虚であることに不快を感じるはずだ。小生が求めるオーディオはそこにあって、それで満足できないなら、リアルな音を求めて旅に出るだけである。

SHURE社がレコードカートリッジの生産から手を引くという。コストと納入の点でブランドを維持できなくなってきたからというのが理由。なんと美しい事か。「フォノ製品がお客様の人生の一部を共にできたこと、ひいてはShureブランドを築き上げる一端を担ったことを誇りに思います。」感動の一言である。これからも音楽再生を趣味ですと言えるようオタク道を歩もうと思う私であります。