デジタルトランスフォーメーション考

デジタル化とデジタルトランスフォーメーションとは全く違う。ゴール設定をせずに単にデジタル化という雰囲気で中堅企業殿が動いている様子が見えてくる。ハンコを無くそうと天の声が聞こえてくるわけだが、無くすだけで何が変わるのか、何を変えようとしているのか。まさかそれで業務価値が向上すると考えているのか?いや、まさか、そんなことを考えている筈はない。そもそも論、業務価値と効率が分けられているところに絶望がある。

今、実施している業務が生み出す受益者価値を最大化させる要因を抽出して、無駄をそぎ落とし、見いだされた業務フローにおいてデジタル化が生み出せる価値を考えて、そのデジタルデータによって別次元の価値を生み出す。単にデータベースを作って云々がDXでは無い。社会学者の方に入って頂いて、人がより良く生きていくにはという議論から入らないと、単に紙を無くしましょうという効率悪化の方向に突き進む。ハンコがあるから出社が必須なんて言っているようではね。

業務目標以上の成果を出したらきちんと評価される仕組みと共にハンコレスをやらないと、どんだけ働いて成果を叩き出しても、それが正当に評価されない状況で、活動状況の管理が出来ないからとか、稟議書にハンコが居るから出社しろというのを、PDFに電子印を押せとか、決裁ボタンで済ますとかね。業務が生み出す価値は全く変わらない。それでは売り上げ向上には決してならない。

会って話さないとなぁんて言っている限り、オフィスレス企業がどんどん若者によって立ち上がっている今、旧態依然の企業は淘汰されるのでしょうね。自社だけ儲けようというところから決して離脱しないしね。今の中堅以上の企業の方々のDXネタを伺っていると、あぁ、5年後は凄い世界になりそうだと思いますね。と、言っておきながら、自分の足元もしっかりしなきゃなとやや冷や汗の私であります。

GoToシリーズ

折角GoTo Eatが税金で出ているのに使う場面に遭遇出来ない。使う場面を想像できないと言った方が正解か。5名以上の会食は駄目とか、密は駄目等々、結局は自宅で籠城路線ですね。GoToトラベルで日本中の感染者が増えるのかなと思ったらそうでもなさそう。特に愛知県などほぼ変化しない。という事は東京からのお客さんが殆どなかったという事か。

何を食べたいというものはほぼ無いからEatはどっちでも良いのですが、出掛けたいところが無いわけではない。何処とは言わないけれど、まだ見ぬ、恐らく感動させて頂けるのだろうなという場所はある。そこら中歩き回った小生ではあるが、これは何時かはというところは多くは無いがあるにはある。誰でも何処に行っても怒られない情勢にはなってきているが、気を遣うのは間違いない。気を使ってまで出掛けたくない。

そんなことを思っていたら、Gotoトラベルの割引率が下がってしまうとかね、サービスがいきなり低下するという、なんだかなぁというところだ。国の目指す方向がコロコロ族になり過ぎて、油断も隙もあったものでは無い。こんな時だからこそGoTo Eatくらい使ってみたいなと思ったのだが、申し込み期間があったり、コンビニでチケット買わないといけないとか、なんだか面倒で嫌になる。

使えないサービスは無いと同様だ。お気軽に活用できないような仕組みに何故なるのかと思えば、悪用する民が余りにも多いからだ。結局のところ教育に帰結する。東京都のコロナ感染者数のグラフを見ていて思うのだが、9月初旬を最小値として再び上昇しているように見える。短期の「100人を切りました」なんてどうでも良くて、じわじわと上がっているこの現状がGoToシリーズでどうなるのか。自己防衛は継続しないと。そう思うだけだ。

根気の源

結局のところ元気がないと何もできないわけで、そのためにはそれなりのお休みが必要になる。どんなに精神的に平穏だと思っていても肉体が限界を超えていてはどうにもならない。気の源ということで元気という単語は良く出来ていると思う。元気が一番で、「お元気で」という別れ際のセリフはもっともだなと感じる。

元気があると今日よりは明日という気持ちになる。今日の失敗にくよくよしても仕方なく、タイムマシンには乗れないのだから、後ろよりも前を向くということだ。無理でも良いから前を向かないといけない。そうしないと何も始まらない。元気があって前向きであることだ。

その上で初めてやる気が出てくる。何があっても自分でやり遂げるというスタートに立てる。歩き始めてこれはやっぱり一人では無理だと感じたら、人に協力を仰げば良いだけだ。何も一人でなければいけないということは無いし、三人寄れば文殊の知恵である。それであっても推進力は自ら発揮するのだという強い意志は必要だ。元気があって前向きで、やる気を持っていれば何とかなる。

でも最後には根気が必要だ。元気という「元」という字も、何となく「根」という文字に繋がっているような気がして愉快である。最後は根気なのだと思っている。ついつい忘れがちだが、根気が無ければ何も成し得ない。丁寧でコツコツ進む根本はそこにある。そう思って週をスタートしたい。そう思う。

週末につき

週末は嬉しいのだが、それだけ歳をとって、生きていられる日数が減っているだけのことだ。それを喜ぶ人間の愚かさである。愚かと言うからには愚かではは無い状態があると想定しているのだが、結局のところ、愚かのギリギリに生きている自分にとっては、国会だのなんだので愚の骨頂みたいなやり取りを聴くと、ふぅんとなるわけだ。

それでも週末はなんとなく嬉しい。それは極限まで心身を削る毎日を過ごすことが出来ているからに違いない。水切りの石の如く、回って跳ねてそして沈む。そんな一週間である。週末が終末の如くに感じることが出来て有難い。だらだら感は全く無い。それが良い。

とは言うものの、そろそろ美術館や博物館に出掛けたい。だが、そんなリフレッシュも許されない状況にあるわけで、書斎の書籍が友という、まぁ贅沢な週末を過ごさせて頂いている。審査書類に襲われることが多いのだが、それはご愛敬である。社会と繋がらせて頂いているなぁと実感するだけだ。

台風がやってきているが、きっと名古屋は安全なのだろう。これが凄い。三英傑が出た土地柄だと思うのだ。裏を返すとなんだかそれで終わっているとも感じる。そろそろ次の英傑が出ても良いのではないか。拝金主義はもうやめて、人中心の名古屋になりませんか。そう思う。

遥かなるデジタル化

国勢調査が7日締め切りだったわけですが、回収が昨日時点で約半数。前回は8割5分は超えたそうで総務省は回答期限を延期するという。国の勢いってなんだろうと思ってしまうのだが、税金を納める人間がどれだけいるかの調査ですよね。プライバシーという単語が世の中を闊歩しだした1995年から回収率が下がりだしたそうだ。昭和から平成に入り、ほぼ100%だった回収率が85%程度になり、令和になったら50%程度になった。

小生的にはネットから回答したわけですけど、簡単だったかと言われると、なんだか面倒だなと思ったところが正直なところ。ただ、これって義務と言っても良いのではと思ったり、マイナンバーカードをちゃんと作っているし、税金を納めているわけだから、それらと紐づけしてくれていれば答える必要は無いだろう。同じことを何度も聞くから、情報が何処かに飛んでいき、詐欺な方々のアシストになるわけだ。

書類において認印が無くなる方向は嫌では無い。不正が無ければ電子決済で良いと思う。ただこれも、情報リテラシーに照らして不正を行わない人達に満ち溢れた世界である前提である。どんなに処罰を厳しくしても悪人は善人より強いわけだから、何が何でも悪事を働くでしょう。やっぱり大切なのは教育ということに尽きる。

ただねぇ、電子化の要っぽいマイナンバーカードだけど、電子情報の更新ということが数年毎に求められ、役所の窓口に行かないと更新できないという呆れた代物なんですよ。先日、日曜窓口でやってきたんですけどね。しかも窓口で新たに紙の書類に記載させられる。永遠に変わらないねこの国。仕事が仕事を創りその為の雇用があるという状況は、もう良いのではと考えている。実行しつつあるが面と点ではね。話にならない。国の勢いも測れない国。泣ける。

そんな時代になっただけ

きちんと並んでいると気持ちの良いものというのがある。それが乱れているととても嫌な気持ちになる。年齢を重ねたということなのかもしれないが、妙に目に付く。そしてため息が出る。直しておいても気が付くとばらばらになっている。隠しカメラで犯人を追及なんてことは考えない。バカバカしい。それが履物である。

下駄箱って、まぁ、いろんな意味があるのでしょうけれど、自分の履物をしっかり管理しましょうということなのか、揃えて並べましょうというトレーニングなのか。次に履きやすいように脱いで置いておく。なんか当たり前のことと思うのですよ。特に、共用の場においては。それが言っても、買いても、直してもどうしようもない時代になった。

そんな時代になったのだと諦めることにした。某大学の様に違法麻薬が登場したわけでは無し、まだましなのだと思うことにした。しかし、一脚だけではなく、10脚のスリッパが無残に散乱する様子は実に醜い。吐き気がする程だ。そこに居る管理者が何も言わないのだから、小生の出る幕では無い。要するに醜く見え感じる人はそこには誰も居ないのだ。

研究者倫理などが叫ばれるわけだが、それ以前のお話だろう。と、思うのだが、いや、それはもうそう感じる時代では無いのだ。そう思って思い出すと、出入り口に平気で自転車を立て掛けている輩も居る。成る程、そういう時代なのだ。他人のことなど何も思わなくて良い時代になったのだ。胸が苦しくなる。そんな思いを抱く人はご退場ということなのだろう。なるほどね。

思い込みはしない

昭和世代は巨人の星的に根性世代。石にかじりついてでも前に進む。平成世代はドラゴンボール的にヒーローお任せ世代。令和世代はONE PIECE世代だということで、皆で頑張っていくということらしい。ラジオの向こうで言っていたことが面白くて記憶している。最後のものは読んだことは無いが、絵だけは見たことがある。確かに仲間で協力していこうという姿勢は見られる。

まぁ、そう言っていた人がいらっしゃるということで、否定も肯定もしないのだが、自分に照らし合わせてみれば、それは確かに根性世代であるのは間違いない。殴られて蹴られてそれでも何とかしていく。刃の食いしばりと血の滲みこそ前進力であって、精神論に持ち込んでしまうのはそうかもしれない。そんな世の中だった気がするのですよ。周りを見てもそんな雰囲気があった気がする。

ただ、「それは駄目なのだ」と言われると、あぁ、駄目なんですねと受け止めるところはある。決まりは決まり。そうなんだなということだ。そのあたりのところが昭和世代では無いのかなと思ったりもする。単に根性だけでは無い。決まりは決まりなのだ。ならぬものはならぬという会津藩の教育というわけではないのだが、それには物凄く共感・共鳴するところがある。

一方でへそ曲がりは嫌いでは無い。嫌いでは無いが、嫌だから嫌という輩は大嫌いだ。というか生理的には絶対に受け付けられない。何故ならばこうだから嫌いですと言われれば、あぁ、そうねと聞く耳を持つ。理由、根拠がない会話は異様と感じる。まぁ、世代云々は関係なのだと思う。気に入らないから認めない。あってはならない。

明日は?

貴方にとってスターは誰ですかと言われたら、花山大吉さんと応えるでしょう。苦みばしった笑顔と実行力。笑顔と行動、その原点は花山大吉さんである。江戸末期、改易藩の武士は浪人になり、日本中を扶持を求めて渡り歩く。偶然の席があればその技倆で席を頂ける。バブルが弾けてリーマン、災害、コロナと職位がどんどん減っていく今と、江戸末期と同様に思えるのだ。潰された藩の出身証明を持てば関所を超えられるのだが、扶持は限られていたわけだから、優秀な人材の流入は排除していく。それも今も変わらないような気がする。

賛否が喧しい学術会議委員の首相による可不可だが、学者も本当に天下国家の為に発言しているか考えねばならない。エゴではいけない。理屈をもって賛否だけではなく、理想、即ち真理はここであるから、この議論はいけないと言えない者は学者ではない。反対したから駄目だということなのだが、もしも首相が、この学者は真理を語らないから駄目だと言うなら、それはそれで仕方がなかろう。この真理かどうかを判断するのはとても難しいが。

マイナンバーカードの国民全員取得に積極的な首相の意向に、多くの国民が反対をするのは、何か、ネガティブなことがあるからではなかろうかと想う国民が多いからだ。隠し資産など無いし、あからさまに為って困ることは無い状況に会っても、赤の他人に生活様式をさらけ出す理由は何処にも無いし、それは嫌だ。それが出来てしまう貧弱なエレクトロニクス環境しか無い、技術が堕落しきった国家だから、国民は不安を覚えるのだろう。

国家の証券取引に関わるエレクトロニクスですらダウンする国だ。バックアップどころかバックオフ国家だ。そんな国でマイナンバーカードもへったくりも無かろう。事実、その更新には窓口に出向いて、紙の書類に自分は誰かを書かされるのだ。大馬鹿なシステムだ。それが日本だ。スターは居ないのか?嘆かわしい。

孤立無援

あらまぁ、何という事でしょう。昨日の原稿がそのまんまでしたね。孤立無援というタイトルそのものでありまして、結局のところ自分が動かないと何も変わらないよということを言いたかったんですね。黙っていれば誰かがやってくれるだろうみたいな、そんなわけは無いですよね。誰でも自分が可愛いから辛いことはやりたくない。でも辛いって思うこと自体がどうなんだろうなと思うのです。

8割の人がリモート講義は良いという、一方で7割の人が寂しいという。孤立無援だという。いやいや、孤立無援になることって相当に難しい。車に跳ね飛ばされて意識を失っていても、気が付いたら病院まで運んでくれるしね。孤立していると思ってしまうと、意識の壁はどんどん高くなって、結局その意識が大きくなる。専門家では無いのでこの程度で止めなければならないが、そう感じている。

眠っていてもその間には常に仕事や人が襲い掛かってきて、目が覚めたと思っても、結局は夢の中で「あぁ、夢だったか」なんてなっている。今、こうしている時間の中においても実は夢だったりするのかもしれない。でもどうやらそうでもない。判断し続けないといけない。夢を追い続ける場は遥か遠い世界になったが、この状況は孤立しているのかもしれない。ただ、無援では無いのだ。

検索エンジンを叩けばなんらか答えが返ってくる。これは既に孤立無援でない証拠だ。限界は誰にでもある。そう思うと気が楽になる。超人になんてなれるはずは無いのだ。だって誰もが人だもん。なんだかタイトルだけ与えられてそこに書き込むという不可思議な戯言になってしまったが、本当は別に原稿はあったのです。まぁ、戯言だからそんなもんだ。

三周年

航空サービス企業があえいでいますな。そりゃぁ海外との行き来はダメですよと言われてしまうと、それで稼いでいたわけだから、コロナ禍の被害を強く受ける業種の一つであろう。航空機そのものを作っている企業においてもあえいでいるわけで、それを使ってサービスをする側に成ると、潰しが効かないだけにどうしようもない。エアアジアジャパンがクローズしそうである。海外との行き来も許すとなっているわけだけれど、直ぐにどうのこうのということは無かろう。厳しい環境である。

モノづくりからコトづくりと叫ばれて、場づくりとなってきたわけだけれど、言ってみれば航空サービス企業はまさにコトづくり業種なわけですよね。コトが無くなってモノが売れなくなる。理にかなっているなぁと思うわけですよ。最近、車の売上が回復基調にあるということですが、セールスに用いる商用車の買い替えということで、これは人の移動が始まった証拠。サービスが活況になればモノもそれなりに売れ始める。

金型屋さん達のお仕事が激減しているということなのですが、これは内燃機関向け金型と思われるわけで、それを引きずっていると、まぁ、想像の近未来になりますな。鋳物屋さんもご同様でしょうね。悪く言っているわけではないです。川下の業種を換えるしか無いということですよ。薄いフライパンとかね、もう既に市場は埋まっていますから、二匹目のどじょうは見つからないわけです。先手を打てる人にはかなわないということですよ。

先手を打つ勇気。これは大変なものでして、挑戦者にはその一万倍くらいの足を引っ張る人が現れる。ありとあらゆる、想像を絶する反対を受けるわけです。それでも信念で頑張るわけですが、くじけずに進むと何か起きます。くじけずに無茶をするというわけではなく、あくまでも丁寧に一歩々々なんですよ。機構設立3周年。これからも歩み続けます。