指示待ち

足元で放火容疑者が走り回っていたんですね。名古屋市緑区のご近所で放火があって、SiCツールズのご近所の病院に居て、犬山まで盗難自転車で逃走という、名古屋市縦断の旅みたいな捕り物なんだけど、そんな凄まじい事件があったとはまったく知らなんだ。地元小学校では児童の帰宅対応に相当に追われ、てんてこ舞いだったとのこと。何があるか分からない、恐ろしい世の中である。

闘争ということでは無いが、小生も本当に時々になってしまったが、未だに宿舎と鶴舞大学との間を健康劣化を食い止めるべく自転車を使って移動することがある。なんと言っても季節の移ろいを感じるのが良く、山にちっとも行けなくなってしまい、塞ぎがちな気持ちが晴れて良い。それにしても犬山は遠いぞ。人間、やろうと思うとなんでもできるということか。

まるで話が飛んでしまうが、要はやる気と積み重ねなのである。指示待ち人間が増え、明日に向かって進めなんて言ってしまうと、寝たまま明日を迎える若者のみになってしまっているので、指示出しが好きではない小生にとっては厳しい時代だなと感じる。指示も相当に細かくしないといけないらしい。まぁ、そのあたりは加減しながらということなのだけれど、自分で考えろというのはいかんらしい。

ゲームというプログラムで育った世代故に、完璧な指示が必要なのかもしれない。乱数などもっての外、ゴールに到着したらそれも支持しないとゴールと判断も自らはしないようだ。ちょっとこっちの路地は面白そうだと寄り道もしない。そんなことでどうやって自らの幅を広げるのだろう?迷い挫折しそれでも一歩一歩。人生とはそいういうものだと思っている。これからも変えるつもりはない。

椅子

大学人だなぁと、なんだか思う瞬間というのが床や椅子の上で起きた時。机に突っ伏して寝るのではなく、床の上こそ醍醐味である。疲れなど感じない若い時だから出来る技かもしれないが、先輩が「ふつう」の椅子で寝てしまうと丸椅子を並べて寝るしかない。ガマの油売り大学は夜は冷える。氷点下20℃になる地域だ。今はそんなには冷えないかもしれないが、北海道からこられた先輩が「こんなに冷えたことは無い」というくらいに冷える。その冷えた床から身を護るのが椅子の上で寝る技術である。

寝返りなどとんでもないというか、そもそも数日間、寝ていない状態で椅子の上に横になるのだから、寝返りなどあり得ず、ぐわっと意識が無くなるだけであって、寝ているという意識も無い。意識が戻った瞬間から活動を始めるのだから、横になっていたということは丸椅子が5,6個並んでいる状況を確認して初めて分かることだ。それが研究者であり大学人の有り様である。

辛いかと聞かれたら、そうではないというのが本心だ。面白くて研究をしているのだから、寝ている間に何か変なことになっていたらそれこそ大変であって、辛さとかきついさとか、そんなものは何処にもない。それが大学という城に籠っている、正に籠城戦の面白さだ。何も分からない。だから挑戦する。挑み戦い、その結果、あら、違ったということばかりだが、時にはあたる。その瞬間を想いながら丸椅子を並べる。

流石に、この御年になると厳しい。丸椅子は部屋には無いからプラスチックの会議椅子を並べるわけだが、この形状がよろしくない。座る時には良いのだが、並べて寝るには最悪の形状だ。反った皿のような形になっているのだから、横になる者の気持ちなど何も考えていない。並べて横になっても心地よく疲れが取れる椅子。それこそ、家具屋が大学に納入するべきである。会議では眠くならない座り心地の悪さを呈し、本物の研究者には優しい椅子。どなたか、寄付して頂けないだろうか・・

技術の棚卸し

技術の棚卸しが加速している。特に製造業の技術伝承ということだが、高齢化まっしぐらな状況において、次世代に残るべき技術は何かという取捨選択をしている。これは誠に遺憾なことである。技術にもならない適当な口伝であればそんなものは消し去るのが良い。研究室の先輩が、たまたま上手くいったから、この前処理はこうするのだというようなことがあると、改善ループが途切れてしまう。こんなものには棚卸しは有効に働く。

そうではなくて、AIやロボットが代わりにやってくれるからというだけで捨ててしまう技術が増え始めている。特に腕力が必要な部分において、かなり消え去った技術と言うものがある。いきなり橋が落ちるとか。隠された前提こそ技術であって、それが伝わっていかないと、新しい工学などその上に乗るはずはない。

親方日の丸の仕事に関わって、まぁ、そんな場所に出ていると、世界情勢がひしひしと伝わってくるわけだが、それを先取りできる理解力、解決力、問題発見能力を講義していくとなると、教育プログラムの相当な棚卸しが必要になってくるのは間違いない。それに加えて自習するべき範囲がべらぼうに広くなる。これなどか喫緊の課題であるのだが、大学統廃合などでは決して解決しない内容である。

技術は人のためにあるから、当たり前なのだが、人が成長しようとする意欲と、意欲を支える基礎学力がどれだけあるかだ。江戸の終わりに西洋に目を向け始めた先人は、殆どゼロから言葉の壁を破り、知識の壁を乗り越え学問を身に着けていかれた。自学自習などできないなんてことは正に戯言である。ましてや伸びようとする者を陰口で追い詰めて引き下ろそうなど言語道断。天網恢恢疎にして漏らさず。そんな人間にはなるまいと、こつこつ、やっぱり一歩ずつの私であります。

ロイヤルウエディングにおもう

土曜日の夜中にSNS動画サイトを開くと、ほぼほぼロイヤルウエディングである。当分の間は拝見出来ないので、小生もほぼ100%の興味本位で拝見した。旧来のあり方というか、英国王室では考えられないしきたり破りのウエディングで、う~むと唸るシーンが多かった。まぁ、女王陛下がよくもお許しになられたなというところで、懐の広さ、深さを感じるのであります。

我が国の皇室における女性蔑視の風潮を思えば、英国王室のあり方はなんと素晴らしい事か。それでも長い歴史の中でいろいろとあったとは思うのだが、それを突破してこられた根幹には何があったのかと、ネアンデルタール人と色濃く繋がって出来上がったアングロサクソンと、縄文人との違いかなと思ったりなんかして。

囲炉裏に座れば煙たい席には奥方で、煮炊きの場所にはお嫁さんと、そんな風潮の日本をどんな目で見つめるのだろう。そりゃぁ、まぁビジネスシーンでそこまでの状況にはなかなか出会うことは無いけれど、ちょこっと山に向かえば今もそんな状況に出会うわけだ。ロイヤルウエディングの様子をどんな気持ちでご覧になられたことだろう。

姉さん女房は鉄の下駄をはいてでも探せとお袋は言ったが、ヘンリー王子は見事に探されたということか。引き出物の簡素さも素敵だし、とってもフランクで身近にありながら、でも王族を敬う国民の奥深さを感じさせて頂いた。我が国の未成熟と言うか、ディスプレーの向こうの景色に黙り込んでしまった私であります。

週末は謙虚に

梅雨明け直前に大雨というのは毎年のことだが、今年は梅雨入り前から大雨である。前線が列島を横断したなと思ったら激しく大雨である。5月半ばで30度を超えて、別の場所では大雨。数年前から確実に日本の熱帯化が進んでいますな。社会かで習う地域の気候の呼び方を変えないといけないのではないか?今の日本が亜熱帯だとすると熱帯はどう呼べばという状況だろう。温帯なんて生易しい表現の国ではなくなっているような気がする。

近年、本来、人が住まなかった場所における土砂災害が頻発している。住むことを許す国が悪いのだが、その都度、大災害とまくしたてる。1600万年前に奥三河でカルデラ大噴火が発生したわけだが、そこを雨風が削り、今の様相になっている。その地殻変動と風化が終わっているわけでは無い。変化をストロボ発光で切り取った、そんな瞬間に活動させて頂いているだけである。アスファルトやセメントなど、地球の変動力にとってみればばんそうこう以下の効力だ。

名古屋豪雨を思い出すが、あれとて地上最大の風雨であったわけではない。低気圧だって600hPaくらいまで原理的には下がっていく。肺が破裂しそうな気圧になると、その風雨は凄まじいらしい。1000mを越える津波が大地を襲う時、原発うんぬんのお話など何処かにふっとんでしまう。

四季の美しさを楽しむ余裕がある時は、まだまだ地球に生かして頂いているんだなって感じる。しかし、その地球がくしゃみをすると人類など消し飛んでしまう。この瞬間に必死になる。そうしていると地球が我慢してくれるような気がする。気がするだけだが、今年の天候はどんなものになるのだろう。5月の半ばだというのに連日30度の名古屋。少なくとも熱中症に気を付けて水分補給をこまめにしたい。そんなことしかできない人類である。か弱い存在であり、謙虚に生きようではないか。そんな週末である。

大気は梅雨入り

4時台半ばで白々とした朝になってきた。昨夜、宿舎に戻る途上でぱらぱらっとを越えた雨が落ちだして、ちょこっとびっくりした。大気中の水蒸気が増えているのを体感できる。明け方空気が重く感じ、風の圧力が強くなっている。いよいよ梅雨入りですかな。太平洋高気圧はまだまだ北緯10度くらいに中心があり、日本から遥かに離れているわけだけれど、ラニーニャ現象が終息に向かっているということは日本の沖合の海温が上がり始める兆候でしょうから、いよいよ夏が来そうだなと感じる朝です。

4月からスタートした新学期も気が付けば5月は半ばを過ぎ、7月に向かってぐわっと講義が面白みを増してくる季節。教員が面白みを感じるということは十分に予習復習を重ねている学生諸君以外は取り残され気味になってくるということで、中間試験で脱落者が出てくる理由がこの辺りにある。講義回数15回とすると来週あたりに中間試験の先生方が多くいらっしゃるでしょうけれど、試験を実施する側もハラハラドキドキ。全員沈没だったらどうしようと悩む季節でもある。

経団連の皆様がばっちり仕事をこなして頂ける方々の残業手当をゼロにして経営改善につなげようという高度プロフェッショナル制度が議論されていますな。鶴舞大においてはとっくの昔からそんなもの無いし、二部・夜間対応の手当ては付かないから、全学対応と言う、言ってみれば高度プロフェッショナル制度はとっくにあって、いよいよ社会が追い付いてきたかなというところだ。

小生が就職活動をしていた頃、半導体業界ではNEC殿などは飛ぶ鳥を落とす勢い。バブル前の株式時価総額が5兆円越から昨期末においては約8千億になり、4兆円が消えてしまった勘定になり、今期もリストラで体制を立て直すとのこと。日経を見ているといよいよビッグビジネスの終焉かなと感じる今日この頃、日本沈没にならない唯一のカンフル剤は教育である。それは間違いない。そう思う。

シングルモルト

今朝のニュースでびっくりしたもの、それはサントリーのシングルモルトの販売休止。海外販売が優先され、国内ではハイボール程度に抑えていくとのこと。ブレンド用にシングルモルトは必須であり、その原料が無くなってはということなのだろう。それにしても国産ウイスキーの原酒販売が抑えられるとは魂消た。

何が魂消たって「そんなに皆さん、ウイスキーを呑むの?」という驚きである。余市に出掛けてシングルモルトを頂いたわけだが、小生にとっても結構強烈だと感じたんだけどなぁ。あんなものをどんどこ呑んだら、そりゃぁあかんだろう。どっかの芸能人じゃないけれど、肝臓疾患で入院は免れまい。とはいうものの、竹鶴政孝さんは毎晩一本空けていたそうな。まぁ、申し子の方ですからね。マネしちゃいかんということだ。

ちょっと前から日本のウイスキーは海外で評価されて、輸出がかなり増えたと聞いていた。様々な蒸留所が元気よく海外に向けて「洋酒」を作る様は、白モノ家電や自動車の輸出という便利グッズの安価料品の輸出から、人の時間の有効活用グッズという、人生に直結するものを世界に向けて発信できるようになったのかなと、嬉しく思ったものだ。

自動車や工作機械、ロボットなど、所詮は海外から入ってきた概念を勤勉さで形にして送り返しているだけだ。洋酒であっても同様である。昨今、日本酒ブームと共に、枡そのものも海外で受け入れられ始めている。こちらはまだまだ始まったばかりだが、木という人間の営みに寄り添ってきた物質を、人の営みに直結する形に変えて海外に向けて発信出来ていくとすれば、これこそ我が国のあり方ではなかろうか。日本文化でしかありえないもの。もっと大切にしていきたいものである。

都市と地下電車

名鉄が1号線と並行して走っているあたりは、高架される以前は、そこを車で通過することを考えることすら嫌であった。有松あたりはお金が足りなかったのか景観の問題か、外環状線が引っかかったのかどうか分からないけれど、未だに開かずの踏切がでんと構えている。小生としては利用することは滅多に無いというか使わなくて良いので、まぁ、どっちでも良いのだが、車を利用する人にとっては不便だろうなぁと思う次第。

長野にお出かけされた方はご存知だと思うのですが、その昔は路面電車が走っていて、なかなかにして良い雰囲気を醸し出していてくれていました。今はそれがどっか行っちゃってというか、地下電車になっているんですな。冬の降雪と結氷を思うと、思い切って良い選択をされたなって思うのです。人口は40万に満たないところですが、路面電車当時、車が街に「止まって」溢れかえっていたことを思い出すのですが、今、行ってみるとすうすう走ってくれて、見ていて心地よい限りです。

長野でどれだけ費用が掛かったのかは知らないのだが、100億円/1kmとも言われる都市部の地下トンネル工事。優れたシールド工法が開発されたとはいえ、かかるものはかかりますな。それを乗降客が支払う運賃で賄えるとは到底思えず、やはりここは税金使途の考え方と言うことになるのだろう。流石に地下区間はそんなに長くは無いのだが、善光寺を有する観光都市であればこその観光客誘致を考えれば、思い切った投資で良いのではないか。

名古屋城天守のエレベーター問題。税金が投入されるわけだが、税金を投入して文化財もどきを作るのか文化財を作るのか。はたまた、名古屋人文化を作るのかということなのだと思う。本物を作って将来技術で誰もが上がれるようにするのか、木造だけどメカトロ突っ込んで、海外から誰も見に来ないものを作るのか。極めて難しい問題である。短慮は禁物。どうせ耐震的に危険なコンクリート天守は撤去するし石垣の点検・保守も必要だ。それにも相当に時間が掛かる。いろいろと考えてみるのが宜しい。

時間の貧困

米国に入っていく完成車にかけられる税金が2.5%から20%に引き上げられる「かもしれない」という。中間選挙前に保護政策を一気に加速させる米大統領というか米国の民意と言うか、やっぱりそうくるかというところかな。まぁ、日本から行っている自動車はCO2を必ず直接排出するタイプのエンジン搭載車だから、間接的にCO2排出が減り、地球温暖化対策となっていくのかもしれない。一方で、自動車関連部材開発企業群となるとなんちゅうこっちゃとなろう。だからこそいつまでもしがみついていてはいけないということだ。

半導体貿易摩擦が騒がれたのが1987年で、小生は博士課程の学生さんでありましたな。薄膜トランジスタとか、光記録だとか、レーザーアブレーションクラスターモデルだとか、まさに真っただ中の研究者だったわけで、バブルがはじけて就職難に続いて、半導体摩擦でこれまた就職難かと、公務員の給与が目覚ましく墜落していく最中の就職だったから、透けて見える初任給でももらえるだけましと思ったのを覚えている。

日本が頑張っていくとどうやら叩かれるという筋書きがあるらしい。東の果ての国だから、何をやっても良いだろうという外の目と、真面目に頑張る日本人はこれもなんとか耐えていこうというお上の楽観からくるのかどうかわからないが、ただでさえ自動車のエレクトロニクス化とゼロCO2化の流れで次に何を作ろうかシフトの最中の関税引き上げは相当に厳しいところだ。

西洋では農業労働力に家畜を大量投入し、人は時間を活用し思考した。我が国では労働力を投入した結果、一所懸命に努力すれば日常を安楽に過ごせるという石田梅岩の教えに代表されるように、時間の貧困に突っ走っていった。所得の貧困に加え時間の貧困にあえぐ日本に起死回生はあるのかと他人任せにせず、あれやこれやと考えて、何とか広がらないかなぁと結局日夜考えて時間の極貧に陥っている私であります。

ものづくり

MRJの大苦戦、世界の航空機設計の概念を立ち上がり前に深堀というか相手の懐に入り込まなかったのがつまづき始めなのだろうが、それだけだろうかと思う。ものづくり業界全てに通じる日本ならではの阿吽という、旧来褒められてきた部分に根源があるのではと思ってしまう。

こんなものを創って欲しいと、目的の仕様が与えられると、極微に細分化された部署がバトン連携の如くに「こんなもの」を目指して作り込んでいく。自らには「仕様」を作る能力は全くないのだが、「こんなもの」は創ることが出来る。何を目的にするかは考える必要は無く、愚直に自ら与えられたことのみをやっつけていく。一見、良さそうに見えるが、行動の価値はそこには無い。

その時、その場、自らの立ち位置だけを考え、組織の価値などは一切考えない。気に入らなければ悪口を陰で言い、自らのみが正義と立ち振る舞う。それが通った時代は確かにあったと思う。思うが、ものづくりはそれを活用する人の笑顔だけが評価されるべきで、利己主義軍団の勝手な言い分など今は通らない。

自らを社会的価値に向けてどのように企画してプレゼンできるか。その価値の連携こそが最終価値を生み出すわけで、それが出来ない集団ではものづくりは出来ない。個人、部署、企業それぞれが価値を最大化する努力を続けることこそ、ものづくり業界の新連携のキーであろう。そうでなければならない。