人類の進化

滅多に地震はこないけど、来ると出雲大社が倒壊するくらいの(大昔の大きなやつね)揺れが来る出雲地方。昨年度までで地方創成に関わる事業が終わったので、行かなくなった途端に大揺れだ。別に要石をやっていたわけではないが、知人も多く、心配である。TVなどによれば大きな人災は無かったようでほっとはしている。大小の被害は出たであろうが、粛々と頑張って頂きたい。それしかない。自然災害は全ての人に平等なのだから。

昨日、NHKで700万年の人類進化を、実にコンパクトに纏めた放送をしていた。可もなく不可も無くというところなのだが、科学的発掘調査に基づいた報告だけに留まっていて、見ていて心地よい。民放の興味を煽るようなところはほぼ無く、既知の内容をビジュアル化して頂いて、これはこれで愉快であった。

それを見ていて思ったのだが、やはり次の新人類もアフリカの原野で発生するのかと?いや、そうでもあるまい。他の地域で滅んでしまったから、滅んでいなかったアフリカが出立地ということで、今の時代であれば、如何なる場所から発生してもおかしくは無い。いや、既に発生しているのではなかろうか。小生的にはとてもついていけない若者が跋扈しているではないか。既にホモサピエンスでは無い人類が溢れている気がする。

人間の脳では思いつかない状況を生み出すAIをはじめ、体力的にはロボットには勝てないし、走る速さは車や飛行機には敵わない。進化するのか退化するのか分からないが、仮想空間と小生が言っていた世界は、実は現代人にとってはそれが現実空間であり、手に触れる世界は仮想空間で実現される世の中だ。貨幣とて同様だ。こうなるとどうなるのか。取り敢えずエネルギーと食糧の各自完全自給を達成しておかないと「お前なんか不要(既に?)」と駆除される側に回るのではないか。そんな気がしつつも、まぁ、気合で今日も切り抜けようと様々思慮する私であります。

入学式

遠い遠い、遥かに遠い昔の物語だ。筑波大学と言うと「筑紫?九州の私立大学?」と親戚一同に蔑まれた時代だ。あの時は晴れていた。間違いなく晴れていた。国を捨て親から離れ、結果、出たまんまの人生であるのだが、悔やまれることは度々生じたが、やり直そうなんてことは一度も思ったことは無い。何故なら人生、やり直しなんて効かないしね。前に行くだけだ。

今日は入学式。入学式がやってくるたびに思い出す。宿舎から延々と続く道を歩き、全員を収容できるホールにて行われた入学式。まぁ、贅沢な施設ですな。孤立無援だったのだけれど、6人のシェア生活は、生き方の原点になっている。

いろんな国の学生が居て、北欧の彼は桜は白くて面白くない、隣のピンクの花は国の花の色で嬉しいと言っていたが、それは八重桜って、やっぱり桜なんだけどねと全く違う形なのに同じ桜と言ってしまう日本人はおかしいと、今思えばそんなことで熱くなれた青春だったのだなと苦笑いだ。

人間50年と思っていたら、気が付いたらそれを突破している。今が春と思えば良い。春夏秋冬があるとしても、春と思えば残りがあるし、冬かもしれないけどきっと春が来る。一所懸命に頑張れば何かおこる。足を引っ張る奴は何処にでもいる。でも、自分の内側に創り込んだものは誰も盗めない。それが青春だとすれば、入学式はその始まりだ。頑張ってください。

つつじ

群馬と言う県は栃木と埼玉の間にぬぅっと割って入って、茨城に接するかと思うとやっぱり嫌がって、ぎりぎり茨城には接していない。そんなぬぅっとしたあたりにつつじが丘公園がある。館林市なんだけど、つつじが咲くと必ず思い出すのがこの公園。

室町時代にはつつじの自生が確認されていて、特に江戸に入ってから、館林城主が植栽に努めたとのことなのですが、延々と400年も育てちゃったもんだから、それこそ山につつじが植わっているのか、つつじで山になっているのか分からないくらいに、正直物凄いという表現以外見当たらない。

これに匹敵するのは御室桜くらいなもんで、各地にある牡丹園も艶やかだが、凄いという表現の花見は満開の館林のつつじだなと今も思う。トヨタ元町工場周辺も凄いけれども、後、400年経てば同様になるのかもしれない。単色の美と言うのだろうか。一見の価値はある。

一見の価値はあるのだが、名古屋からだとそれだけを目当てにとてもではないけれど行けない。日光の手前だから、日光東照宮の見物がてらというのが宜しいが、花の時期が微妙だから、やっぱり行けない。行けないところを紹介するなと言われるかもしれないが、所詮は戯言だから仕方が無い。花と思い出。それぞれお持ちだろうが、そんな心のオアシスがあっても良いのではと思う私であります。

路地

桜が散ったと思ったら花桃も満開、そして今朝はつつじも咲き出した。春がスタートダッシュと言うか、夏がじんわりとやってきたというか。路地裏の植木鉢で咲いている花々もかわいらしい。江戸から続く路地の風情は、何も京都などに出掛けなくてもその情緒を味わえるところが沢山あるのが名古屋の良さだと思う。戦火に焼かれた街であっても人の心は奪われはしない。

4月4日でぞろ目である。日本人なのでなんとなく縁起悪いなぁなどと、祀られたお社を巡りながら大学に向かう。冬の間、姿が見えなかった天白川の巨大な鯉がいつの間にか戻ってきていて、ゆったりと泳ぐ様を橋の上から眺めた。冬の間は真っ暗でさっぱり見えない朝の景色も、今は既に陽は昇っている。向かう西の空は妙にかすんでいる。

韓国では今の季節、黄砂とPM2.5で凄いことになっている。防毒マスクまで飛ぶように売れるのだそうだ。日本ではそこまでのお話は聞かないのだが、名古屋においてもベランダの手すりが白く汚れている。重い黄砂は九州に落ちるが、軽くて煤煙などがくっついた危険な黄砂が名古屋辺りに落ちるとすると、気管支系に悪影響を及ぼすのは、実はこの辺りではないかと気分が悪くなる。

それでもやはり花の季節は良い。年中咲いていないのが良い。毎年学ばせて頂ける。葉を茂らせ風雪に耐え漸く花開く。生きるものはみな同じ。なんてことを思いながら路地を楽しんでいる私であります。

落とし物

舞い散る桜の潔さ。散った後のこれまた美しい事。四季のスタートは雪景色か桜かと言われたら、小生は桜と答える。真っ白な雪景色もこれはこれで素敵だが、艶やかさと言ったら桜だろう。散り際の見事さ。人もかくあるべしだ。

天空から降ってくるものは隕石だけではない。地球は46億年掛けて大きく育ったが、そのお陰で毎日とてつもない数の隕石が降ってくる。多くは大気との摩擦で気化してしまって、気中の金属元素として存在し、雨や雪の核となって地上に潤いを与える。

最近は人工衛星が巨大化して、地上までかけらが到達してくる。中国の巨大宇宙ステーションが落下してきたが、地上において総重量の1割が到達したそうだ。10m越えの化けものの1割が朝の通勤時間帯に丸の内に落っこちたらどうだったであろうか。タヒチから100kmしか離れていないところに落ちたそうだが、漁船などが操業していなかったことを祈るのみだ。

何が降ってくるか。天からは声も降ってくる。いや、こちらの方が当たる確率が100%だから恐ろしい。見えないものほど強力だ。見え始めたら滅んでしまう。暗いうちは滅亡しないと言ったのは実朝だが、暗くても天の声は地上に届く。今日はどんな声に衝突するのか。恐れずに進むとするか。見えないものに怯えるほど愚かな行為は無い。単純が良い。そう思う。

新年度

新年度である。既に2日目であって、新年度2日目というのが正解だが、その辺りはご勘弁いただくとしよう。年度とか節目とか、そんな単語は好きではない。いろいろと変化もあるが、年度が変わった程度で人間が変わるものではないので、本質的には継続ということだ。常に変革を続けていく。それだけのことだ。

昨日、買っておいて封も解いていないCDを聞いた。久しぶりにそれなりの音量でオーディオ装置を動かした。何故久しぶりかは勝手に想像して頂くとして、やはりそれは素晴らしい。ハイレゾ以外は音楽ではないという風潮があるが、それは電子的録音に向けられた表現であろうと思う。バイオリンでもウクレレでもカスタネットでも、リアルな人間がリアルな環境で目の前で演奏する、あるいは自らが演奏するという体験をしたものにとって所詮はデジタル音響である。好みの場を作るという点において反対はしない。反対はしないから他を小馬鹿にして排斥することはやめて頂きたい。

その楽曲が創造されたのは大略1720年と言われる。幅があるのは自著の楽譜が残されていないからで、もしもその奥様が写譜をしていなかったら永遠に消え去っていたことだろう。その写譜が出版され、偶然、バルセロナの古本屋にて1890年に発見された。正に発見されたのであって偶然の出来事であった。その偶然が無ければ、我々はその芸術に永遠に触れることはなかっただろう。

開封して聞いてみると、妙なエコーとデジタル録音ならではの機械的味付けでうんざりだ。ただ、BGMにはうってつけで、引き込まれたりしないから他の雑音を消すくらいの働きはしてくれる。多くの方はそれを良い音として楽しむのだろうが、良いホールで良い楽器を真面目な演奏家が操った出来事に遭遇していないならそれも納得だ。本物を追求しよう。新年度も頑張っていきたい。そう思う。

年度納め

3月30日で金曜日。明日は土曜日だから、基本、今日が年度末の出となる。本年度も多くの皆様にお世話になり感謝申し上げます。センターの見直しを進め、一歩踏み込んだ機構となり、戦術の選択肢が明らかに増えた。それらを整理し、より一層の改革を進めなければならない。でもまぁ、新年度の前に深呼吸して一息つきましょう。

昨日、刈谷と岐阜に出掛けたのですが、午前の刈谷行きにおいて電車が遅れ、午後の岐阜行きにおいては電車が来ない。名鉄で岐阜に行ったのって記憶に無い。そりゃぁわざわざ遅い電車に乗るわけが無いのでそうなるのだが、最近の鉄道のダイヤの乱れには辟易する。日本のモノづくりも地に落ちたなと実感する。

その逆に、中小企業の技術力とモノづくりをしようという意気込みには感激する。1年間の仕事づくり講座をひとまず終えたのだが、これが実に素晴らしい成果であった。自分探しの旅を続けて、やっと目的地が想像できるところまでやってきた。これが大事で、樹林帯の笹薮を漕いでいる状況から、目指す尾根が見えたような、そんな気持ちだ。

自分の足元を見てもまだまだ笹薮。見渡せる岩稜帯はまだまだ見つからない。だからこそ一歩一歩である。ゆっくりとだが確実に進んだ1年と思う。単純と堂々と。それだけだ。

新築現場

棟上げを見た。集成材と人造ボードでぱたぱたと作られていく。最近では3Dプリンタで家まで作ってしまうらしい。それこそプラモデルである。考えてみればそんなもので良いのかもしれない。いや、むしろ、腐食しないという点において、そして隙間風も入らず、完全密閉を可能としたいなら理想的な作り方かもしれない。建築とは言いそうにないが、まぁ、そんなものかもしれない。

俗にいう駅近物件で、どれだけの価格が付くのか分からないが、朝に棟上げだなと思っていたら、次の朝にはほぼ出来上がっている。あとはサイディングパネルを張り付ければ完成というところだろう。棟上げがあるだけ良いのかもしれない。工場で組み立てられ、ブロックをクレーンで重ねればいきなり電気水道工事が入って終了という場合もある。

学生時代、枝豆畑だった目の前の土地が整地され、土台が出来たなと思っていたら、ある日、トラックがやってきて、部屋のユニットをどかどか重ねている。ほぼ半日だったと思う。いきなり2階建てのアパートが出来上がってしまった。そんな中で棟上げがあるだけでも立派なものか?どっちが頑丈か分からないが、恐らく、4月の新学期に間に合わせるのだろう。瞬間芸である。

緑区はド田舎で、まだまだ田畑が沢山ある。それが見る間に宅地に変わっていく。やや寂しくもあるが、名古屋駅に直通の地下鉄が通ればそれもそんなものか?接着剤で固められた木っ端に住む。どうせ壁の中身だ。シロアリも寄り付かず理想かもしれない。人はどこまで横着になるのか?これがテクノロジーか?と疑問を抱きつつ、10年後にはどんな住宅建築事情になるのか、ちょこっと楽しみな私であります。

新緑

満開になると歩くルートがある。辿ってみると葉が混じった桜がある。あれと、辺りを調べてみると数本ではあるが葉桜状態。奇妙な光景である。で、ふと気が付くと、既に銀杏は若葉を吹いている。もうそんな季節なのかと、今日は25℃まで上がるという気象予報に首をかしげる。今年はどこまで気温が上がるのか?

明け方は羽織るものが必要だが、日中はYシャツ一枚で過ごせてしまう。無理に上着など着る必要は無い。一気に散ってしまうかもしれない、そんな勢いだ。これだけ一気に気温が上がると、山の雪も加速的に消えてしまうだろう。そうなると、海に供給される山のミネラルのバランスが崩れて、海の魚の生態系も変わってくるだろう。乱獲と相まって得られる海の幸も大きく変わるかもしれない。

ここ数日、すかっと晴れて恵那山がよく見える。まだまだ稜線には雪が豊かだが、気温が高くなりすぎるのはよろしくない。まぁ、温暖化は間違いなく進んでいるし、今日明日に騒いでも何の意味も無いのは分かっているのだが、満開の桜に若芽は画竜点睛というもの。変なものは変。

南の沖合には台風もいらっしゃる。こうなってくるとなんだか冬と夏しかない国になってしまったかと錯覚するが、気が付けば間もなく4月だ。直ぐに新入生がやってくる。これ以上に引き締めようが無い気持ちだが、気合を入れていこう。それだけだ。

年輪

昨日、卒業式だったのですが、名工大、随分と晴やかになりましたな。小生が名工大に初めて訪れたのは平成4年だったからかれこれ26年も昔。2号館の前身の建物を撤去し、だだっ広い空き地が広がっていた。その頃「男子校かここは?」と思ったことを覚えている。ガマの油売り大学には教員養成ということもあったけど、女子がわんさかいらっしゃって、その差が激しかったせいもある。

灰色装束一色の男子も、それはそれで凛々しいが、壇上からだと暗闇で何も分からない。その中で大輪の牡丹の花の如くの着物姿、諸外国の民族衣装はそれはそれは美しく、見目麗しいではないか。きょろきょろするわけにいかないところに座らされているので隅々まで眺めたわけでは無いけれど、視線の範囲にどれだけいらっしゃったか。まぁ、一人でも10人分ぐらいに見えちゃうから、大勢いらっしゃったように感じただけかも知れない。

自分の頃を思い出そうと、帰りの桜並木で頑張ったのだけれど、特に4年生の卒業式はほぼほぼ覚えていない。自分のボスが確か学類長(まぁ、学部長ですな)だったから、段の上にいらっしゃって、凄いなぁとそれだけは覚えているのです。5年一貫の大学院だったから、2年目の修士などは課程長のお部屋に行って修士号を頂くのだが、「机の上にあるから持ってって、冷蔵庫にビールがあるよ」と素っ気ない事この上なし。

博士号の時は、総長が謝恩会で「○×▽□!!!」(とても書けません)と気炎を上げていらっしゃったことだけははっきりと覚えている。強烈なことだけは覚えているのだなと苦笑い。まぁ、そんなものなのかもしれない。毎日毎日、恐ろしい程に行事があり、それこそ一週間前のことなど何も覚えていない。突き進むのみである。卒業式という節目も、年輪の一輪に過ぎないのだけれど、でも頑張った証として写真でも見返そうかなと、ちょっとは人間らしいところもあるなと苦笑いの私であります。