先輩風は

産業技術の発展は目覚ましく、研究すれども油断をすると、あっという間に世界に置いてきぼりを食わされて、新しいと思っていたのは自分だけで、たこつぼに居たことに気が付いた時には50過ぎ・・若手支援のメニューが世の中に増えてきたのは、何も、研究者人口を増やそうというだけではなくて、頭の柔らかい、そして博士課程の内に海外で修行して、それらの知恵を社会に還元して頂きたいからだ。若い内に企業の厳しい目線に晒されて、要素技術の深堀に挑むことは、研究者としてプラスになる。

教授先生が助手を私物化していた時代、いや、今もそうかもしれないけれど、自由な発想なんて許されなかったですよ。「それは既に論文が出ているのか?出ていなければそんなものは信用できない!」と怒鳴られて、随分と文化の違う大学に来てしまったなと思った昔を思い出す。挑戦レスの国立大学時代。そんな研究者が多かったのかもしれませんね。今は、まぁ、駆逐されていると信じてはいるのですが、それは定かでは無い。

もうれつなスピードで変化していく社会情勢ではあるが、例えば、カメラのミラーが無くなるとかね、無くせるものは無くせば良いのですよ。いや、ミラーの高速動作の機構に一生を捧げたのだから、無くなっては困るなんてお話は要らないのだ。しかしながら、研究者にも企業にもそのような考え方が根強く残っている気がするのだ。カーボンニュートラルとかプラごみを無くそうとか、そんな時代にありながら、やっぱり利便性を考えると研究は続きますよね。

工芸・美術の世界があって、人の感性に働きかけるものづくりはプラスチックでも金属でも可能である。しかしそこに到達するまでのプロセスを思考していくこと。それは過去を知り抜いた老人は、その知識と経験が邪魔になる。若手研究者支援というのはそんな意味もあるのだと感じている。経験が無駄口を叩くこともあるのだ。先輩風は最悪の暴風だ。肝に銘じないといけない。

一眼レフ製造休眠に想う

ニコンが一眼レフカメラ製造をお休みされているのだと、新聞紙上で拝見した。ミラーレスに注力していくということで、どうしてかなと思ったら、スポーツ撮影などで、高速コマ撮影が可能だからと言うことで、納得した次第。電子素子のリフレッシュも高速になってきましたしね。銀塩を超えるかどうかは解らないけれど、その利便性を考えれば当然の事でしょう。機械駆動部が無くなれば軽くなるし、その分、他の機構を限られたサイズの胴体に押し込めるしね。

寂しいか寂しく無いかと言われれば、Nikonフリークとしては寂しいと言わざるをえないんだけど、大きくて重いカメラの時代では無かろうし、産業機械の進化に伴うモノづくりの方向転換を、勇気を持ってやられたのだなと、これは感心というか、褒め称えるべきでしょうね。最初に月に降り立った、偉大なるNikon Fの系譜を脈々と受け継いだNikonレンズマウントであったが、それも絶たれていくのでしょう。それも良いと思う。レンズの硝材も進化しているしね。

Nikonさんと言えば、そのレンズの素材から作っている偉大な企業様であられるわけだけど、その硝材を巨大な石臼で引いていたそうで、そのすりへって退役した石臼が、硝材を作っていた工場の入り口に「でん」と鎮座されていたのを思い出す。感動しますな。益々Nikon愛が深まったというか、ずっとお付き合いをさせて頂こうと思ったことを思い出す。研磨に関して討論をさせて頂いたりね。想い出多きNikon殿ですよ。

手元には数本のレンズと筐体があるのだけれど、フル機械仕掛けのNikon F2は今も現役ではあります。時々、巻いてはシャッターを切って。20年くらい前に東大寺の大仏を撮影しようと、首から下げていたら、もぎりのお寺の方が、じぃぃっとこちらを見つめているなと思ったら「それF2?、おい、この人、F2持ってる!」って叫んで頂いて、なんだか嬉しくなったことを思い出す。これからもカメラというものは無くならないのだと思う。そんな想い出に浸らせて頂いた、一眼レフ製造の休眠の記事でした。

空箱に思う

先日、栄のど真ん中で、偉い方々の演説を聴いておりました。そんなにうまいこといかんわなと、それが正直な気持ちです。選挙のお話は、もう、呆れるだけなのでどうでも良いのですが、一票の重さが3倍以上あったとか、投票率が53%未満だったとか。高校生が「選挙に行きましょう」ポスターを学校に貼ったら、教師が発狂したとか、なんかもう、この国、未来を自ら断ち切っているなと感じることばかり。野党の振りをして与党の見方をするとかね。もう、飽き飽きしてきました。

偉い方のお話に戻るのだけれども、当該地域は起業家が少ない。それは「ワイガヤ」する場所が無いからだ。その場所を作ってあげればなんとかなるのだというのが骨子なんだけどね。産学連携の担当とかをさせて頂いていると、どんなに時間と労力を掛けて、その後、企業殿の大儲けに繋がった事例であっても、買いたたかれて「ゼロ円」でしょ?みたいに言われる。要するに、ゼロ円で仕入れて利益を最大化しようとする連中が、当該地域のマジョリティだということだ。

地味に頑張る若手、起業からスピンアウトして、根性で起業しようとかね、そんな方々をリスペクトして、「赤字覚悟で面倒みてやろう」くらいの場で無いと、人は集まってこないでしょうね。集まっても、結局のところ、アイデアだけ頂いて、陰で金儲けしようとかね。アイデアとノウハウを持ってきたら、現場でサンプルと言うかアジャイルで試作してやろうとかね、そんな金を公金でも企業からの助成でも良いのだけれど、使い勝手の良い、そんな雰囲気が必要なんだと思います。

超超精密だったり、3Dプリンタでとんでもないことが出来上がるとかね、そのとんでもないというアイデアをしっかりと受け止めて、アイデア提案者をリスペクトして、しっかりとフォローする。10個しか売れそうにないなと思っても、まず、形になるんだということを見せることではないかな。空箱作っても、アイデア墓場ではどうしようもない。お偉いさん達の上から目線に嫌気がさしたとかね、あんまりそんなことを言っているとろくなことにはならないかもしれないけれど、鶴舞大学は粛々と地味に若いエンジニアを支援させて頂こうと、そう思っております。

Web会議機器異常につき

Web会議で調子よく使っていた機器が故障して、マイクが通じなくなった。重要な会議中だったらと冷や汗をかいてしまうが、それなりのネットワークトラブルを経験してきているから、代用品でカバーして、何とかシステムトラブルの要因を突き止めることが出来た。出来たのは良いのだけれど、使っているPCがかなり古くなってきていて、処理能力に限界を感じているのだが、残りの時間を考えると、ここで新規購入と言うのも馬鹿馬鹿しく、何とか乗り切れないかなとか思っている。そんな逃げ腰が宜しく無い事を引き起こすのは通例である。

職場の同僚に助けて頂くわけだが、新規にエコーキャンセルスピーカーフォンを購入した。ネット曰くなのだが、Windowsシステムが公に「これは使えるよ」と宣言しているのは1機種だけということに驚いたが、まぁ、折角だからそれを入手してみた。例によってAmazon殿は巨大なマトリョーシカを送り付けてきて「何、買ったっけな?」となり、開封して「あぁ、こんなに早く来るのだ」と驚かされる。車に乗ってY電気に行ってなどの時間を節約・獲得出来るのはとても有難い。誰しもが感じるところであろう。

で、お試しするわけだが、ここで何というか、トラブルが発生するわけですよ。マイクは使えても、スピーカーから音が出ないとかね。デバイスのテストでは動いているのだが、肝心のTeams環境で音が出ない。会話を一旦終了して、なんだか解らないから、そんな時の再起動。デバイスを駆動した状態で認識させ、さてお試しなのだけど、さっきまで使えていたマイクが駄目になった。システム設定を見直して、漸く音声会話が成立した次第。ご協力に感謝申し上げる。古いPC故の問題のような気もするのだが、まぁ、それはそれ、動けばそれで良いのだ。

当たり前になったWeb会議なのだけれど、動いている時は良いのだが、一旦、トラブルに入り込むとやっぱり面倒ですね。今回の機器においては、なんらか、デバイスの故障らしいのだが、LSIがごちゃまんと入り込んでいるAI機器は蓋を開けても何が何やら状態。スピーカーは生きているので、Bluetoothスピーカーとして余生を全うして頂こうと思っている。久し振りにデバイスで格闘出来て、オタクとしては楽しかったですけど、トラブルはやっぱり嫌ですな。トラブルレスのエレクトロニクス社会っていつ来るのだろうと、結構、面白がった私であります。

笑顔を疑わないよ

先週、某所に出掛けたら、同じ思いを持った人達が「やぁ!」とお声掛けを頂き、これが生きているってことかなって。昨日も某所で妙なことがあって、帰りの地下鉄で「おいおい」ってことがあって。段々、隠れられなくなってきて、困っちゃったな。それはどうでも良いのだけれど、毎日を必死に、それが誰かのためにと思っていると、自らの命のすり減りは、まぁ、当然なんだけど、それよりも他の人の笑顔が見たくなるね。それが自らの他律機能だ。

解らない。何が?そう、命というか、人生というか、時代というか。何故、同じ時間軸に命を頂いたのか?爆弾雨降る時代を過ごさざるを得なかった方々が世界で大勢いらっしゃるのだ。つい、この間までコロナ禍で、在宅が許されたのに、今は許されないとかね、それは理不尽だとは思うけど、そんなどころではなかったのだとは、そうだろうとは理解しようとするのだが、この頭上に爆弾が落ちた事が無いから、政治家諸氏同様、脱兎の如く、恐怖から逃げるという経験がない。色々言う人は居る。でも爆弾では無いのだ。

小生の父親までが零戦乗りだったわけで、その後の皆さんは「戦争知らない子供達」なのだ。終戦記念日に生まれたと威張った方がいらっしゃったが、結局のところ、その方の頭上には爆弾は落ちなかったのですよね。火薬というのは発火と共に周辺の気体を圧縮させ、そしてそれが解放される時、とてつも無い衝撃波を生命体に及ぼす。整体組織の破壊という奴だ。聞いただけだけれど、肉親に語り部が居るか居ないか、えらい差だ。

人の命を救いそうな、医工学連携などを考えているのだが、ナノラボを切削とプレスでじゃんじゃか作って、細菌兵器とか、そんなもんの増産に使われないのだろうなとかね、弱気になって考えたりしますよ。もう、とっくにやられているのかもしれないけど、新しい薬を作るとかね、殺人に使われなければ、工学って、やっぱり素敵ですよ。笑顔になるもん。そんな工学を発掘して、社会にお届けさせて頂きたい、お招き頂きたい。素直に思います。と思っていたけど、コロナ禍、増えてきたね。そんなもんか。

同窓考

ガマの油売り大学卒ということなのだが、学部がどうの学科がどうのなんということはどうでも良い。とっくに名前が変わって、無くなってしまってますからね。同窓と言うレベル感では大学そのものだ。同窓生に合うと、辺境の地で生き延びが当時が思い出されるわけで、そんなところが同窓生の良い処なのでしょう。個人情報保護とか、それはとっても大切なのだけれど、大学を卒業して、その後何処に就職して、今、何やってますという情報も、その同窓に持っていて欲しいとは思っている。

思っているだけで、大学に届け出などしていないし、そんなものを受け取ってくれる窓口があるのかどうかも解らない。解らないからやらない。これが卒業してしまった後の、まぁ、多くの方々の有り様では無いか。以前、米国ミシガン大学にお邪魔させて頂いて、産連本部で名刺交換をさせて頂いたら、その後、延々と、同窓生向けの案内がメールで送られてくるのだ。それを見るにつけ、アルムナイを大切にしているなとしみじみ思うのだ。

転じて足元を見ると、卒業生名簿は何処にあるのやら?聞いてみると分野単位でなにやらあるらしい?大学とは別組織の同窓会が名簿を持ってはいるらしいのだが、定期的なメンテナンスをしているのかしていないのか?相当のコストを掛けてやっているらしいのだが、DXなどどこ吹く風。作業の為に作業を作っている、その為にお金を集めるという、我が国の何処にでも見られる仕組みになっているらしい。

大学に入学したら、その大学が一生、貴方に寄り添いますみたいな仕組みを作らないといけない。卒業してしまった人が不利になるとか、そんなものはテクノロジーでカバーすれば良いのだ。大福帳を後生大事に持っている場合では無い。いろんなところにDXがある。大学と入学者との関係性も大いに変わっていかなければならない。一生学び続ける時代の大学の有り様だ。そう思う。

3Dプリンタ考

3Dプリンタって何処まで進化するのか分からないですが、家まで作ってくれる時代になっていることを考えると、その素材的なものまで「出来ないものって無いんじゃないのか?」なんて思ったりする。大きさ的とか、時間的とか、コストの問題で使わなくても良いというレベル感であって、まぁ、凄まじい勢いで進化し続けている。ゴキブリ型というとやや好ましくないイメージを持たれてしまうが、自走しながら形を作り込むなんてことになっていくのだろうな。映画だとマイクロロボットが合体していって、一つのものを作ったりする。今のところSFだけど、まぁ、いずれはということか。

レーザーという便利なエネルギー発生が1961年に人類が獲得して以来、いろんなモノに照射されて、溶かしたり切ったり、そしてくっつけたりと、様々な用途で活躍している。当然の事ながら3Dプリンタにも応用されて、鏡の反射で光を任意の場所に飛ばせるという原理原則を活かしたモノづくりが成されている。セラミクスの焼結をレーザーを使って促進させていくという、極めて時間の掛ることなのだが、組み立てでは無く、一体成型となっていくので、入れ子になっているような、複雑な代物も作り上げることができる。その代表が航空機の燃料噴射ノズルであろう。流体計算通りの理想形を作り込み、30%近くの省エネを獲得している。

我が国だと、ご多分に漏れず、規制によって使えないものも沢山あるんだけど、海外では当たり前のように使っている、普通の道具である。JISがぁなんて言っている内に、既に我が国はものが作れない国になっていることに気が付かねばならぬ。要素技術開発時に、社会が求めていないというようなというか、規制で使い物に成らないというか、そんな業界の圧力で、貴重な産業応用に繋がる芽を摘み取ってしまったのは、この国の産業界の悪癖である。そんな事例が多過ぎる。

道具としての発展は、地味に進んでいくのでしょうから、それでしか出来ないもの、考え方は、まだ知財獲得も含めて可能性はある。人工臓器という凄まじい提案も成されているようだし、なんらか、若い知恵を注ぎ込んでも良かろう。Si半導体だって未だに基礎研究が続いている。だから更なる高密度実装等が実現していくわけだ。基礎技術は生まれてくる。応用であってもそうだ。それでなければできないもの。その視点で頑張ること。工学とはそういうものだ。脅かされる連中の規制強化はまっぴらだ。厭らしい世の中である。

Outcomes保証

教育の質保証において、未だに提供する側からの目線が、本社から強く求められている。留学生を沢山集めろとかね、思考の根源が違うのでは無いかと思ったりする。JABEEではOutcomesが強く求められるわけだが、その保証は実はとても大変で、受審校は四苦八苦しながら、Outcomesがちゃんとしているぞというエビデンスを集めてくる。ぶれないKGIを持ち、そこに到達するKPIを柔軟に管理していく。こうして書いてしまうと簡単なのだけど、具体的にそれをやろうとするとえっらく大変なのだ。

まぁ、それはそれとして、労働者云々のお話が高齢化社会の達成によって、今更ながらに声高になっているわけだが、労働者の数を考える前に、世界に活用して頂いている商品の質を議論して欲しいと思うのだ。その昔、他国の技術を真似て、小型・軽量に持ち込みじゃんじゃか儲けていたわけだが、真似するものが無くなって、高額で大量に社会に活用頂ける商品が無くなってきている。勿論、関西のEV連合などは攻めていて、日本の新たな砦を築いて頂けるような気がするのだが、他に見当たらないのは悲しい事だ。

製薬のための機械なんて、日本製なんだけど、日本では規制の為、活用できないとかね。こうなってくると、政治って一体何と言うことになる。科学技術立国に成れとか言っておきながら、作ったら法律で「先行者利益が損なわれるから使っちゃダメ」とかね。お役人は思い切って事を成したいと思っているに違いないのだが、政治がね。ブレーキを掛けていく、そして極めて遅い。すると企業だって死にたく無いから、今ある商品を低価格で提供するようになって、いつの間にか三流品となって、我が国からなにも出荷できなくなる。

現状のコロナ禍による輸出規制などが、優良な食料品の輸出を妨げているが、農業生産の皆様の頑張りは素晴らしいと感じている。加工食品に至っては、それを作るのは工学である。工業製品にも活路があるわけだが、今までと同様の思考ではじり貧である。当たり前の健康を先取りして、それを軸に生活にフィードバックしていく。働き甲斐という切り口も必要だ。テクノロジーは更に進化するが、精度向上と言ったって、温度で変化する金属の大きさを抑えることは出来ないから、限度がある。しかしまだ、そこまで行っていない。教育の質はそこまで突き詰めるべき。そこから考えていかないと、先は無い。

若者を枯死させるのか?

巨大地震など、自然災害は誰にも平等に発生して、突如として平穏無事を奪い去る。時として命までも奪い、精神的苦痛を強烈に与える。一方で、戦争を除く人為的行為と言う事ではどうだろう。税金が上がる、給料が下がるなど、実際に発生しているのだが、日本人って「まあ、しょうがないか」で過ごしてきたんだよね。決して「しょうがない」で済むレベルでは無いのだけれど、「給料を上げた会社には減税でお応えします」なんて公約を聞いてしまうと、何というか、寂しくなるね。この国の価値観ってそんなもんかって。

税金って、国の存続と言うか文化レベルを維持・発展させていくことに必要なものでしょ。それを簡単に「減税」という。そりゃぁ、安いに越したことはないですよ。ただ、税金って必要だから集めているんでしょ。国で集めているんだから、国家の為に使うのでしょ?一企業が給料上げたら、そこに国民全体から手当されるってどんな理屈だ?簡単に「減税します」と言うより質が悪い。

今年も7月で後半ですねと言った途端に台風がやってきて、名古屋水害以来の、時間雨量が小牧市で観測されたとの事。あの時、マンホールを持ち上げるように水が吹き出して、凄まじい経験をした。あれ以来、幸いにして、名古屋市は大きな災害には見舞われていないのでは無いか。災害への備えは大丈夫か?学者連はきちんと行政と関わって、適切な意見を述べているのか?そして行政はそれを咀嚼して、納税者の命を守ることに税金を適切に使っているのか?

人口が極端に減っていて、現役世代が高齢者をサポートするという図式は、もう無理では無いのか?経済安全保障とか言っているけれど、今の年金制度をほったらかして、政治もへったくれも無いもんだ。平和憲法と言うものも時流だから変えてしまえとかね、懲りない国民と、世界から見られちゃうんだろうね。うんざりだ。

ビジネスクリエーター

気が付けば7月で、今年も後半に入ってしまった。酷暑と思ったら台風がやってきて、既に真夏本番の勢いである。某所でビジネスクリエーターのお話をさせて頂いた。いきなりiPhoneビジネスなんてできるわけはなく、そんな大袈裟なことではないのだが、自分達が関わる「場」は何から成り立ってどのように社会に活用して頂いているかを描く者ということで使わせて頂いているのだが、これがなかなか難しいのだ。そもそも自分って見えにくいしね。

自分の存在が他人にとってどうなのよということを悩んでも仕方がないのだが、企業にとって見れば継続的に売れ続ける商品を出し続けられるかということなのだが、当然のことながら、ライバルも出てくるし、特にエレクトロニクス分野においては、そのスピードが極めて速く、進化の先取りなんて簡単に言ったり書いたりできるわけだが、現実のところ、そんなにうまく行くはずはない。

それでも出来ることはあって、技術の棚卸はできるのだ。ただ、これが「何かがある」とか『もの』だけがリストアップされることが多くて、それでは全く役に立たない。使った機械がだれをどんなふうに換えたのか、その目線でリストアップされなければならない。キーマンが居たとしたら、その活動具合までが棚卸されないといけないのだ。苦労の末に立ち上がった商品開発事例があるのであれば、全構成員のストーリーまで盛り込まれないといけない。価値観醸成まで含めてね。

そこまで突っ込んで考えていくと、ものづくりの有り様も変わってこよう。現在、世界情勢が極めて変化していって、電力エネルギーの価格も不安定極まりない。特に石油発生がゼロに等しい我が国において、新しいエネルギー開発って極めて急務なはずなのに、巨大な電力企業というか、電線企業と言っても良いかな、他社参入が出来ない仕掛けを国家が後押ししている状況においては、大学においても有用な研究が生まれない状況になっている。国家レベルのビジネスクリエーターって居るんでしょうけど、国家として世界に有益な絵を画いて頂きたいものだと本気で思う。