いつかは?

クラウンセダンの製造が終わるという。「いつかはクラウン」なんてコマーシャルがあった。ふぅんと思っていたら、バブル経済の時代には「いきなりクラウン」なんてのが『気まぐれコンセプト』という漫画に出てきたのを覚えている。ガマの油売り大学には『ソアラ坂』という名所があるのだが、学生がスピードを出しすぎて中を舞い、坂道の途中で木の幹をなぎ倒しながら、その残骸を晒したことから名付けられたが、要は、学生がソアラ、後のレクサスを乗り回していた時代があったということだ。その象徴的言葉がいきなりクラウンであって、それが今まで延々と作られていたことに、ある意味驚かされる。

別に、クラウン賛をしようというのではさらさら無い!あのような図体の車は大嫌いだしね。「いつかはクラウン」と呼ばれた名車の製造が終わりますなんてタイトルを見て、今の中学生や高校生の皆様から見て「いつかは○○」って何なのだろうと思ったのですよ。自動車の所有欲が減退したという都市伝説があるのだが、商用車は相変わらず売れているので自動車販売台数は極端に減少しているわけではないのだが、年齢別の所有率変化なんて統計があるといいなと思いつつ、あるのだろうけど興味が無いから探しもしない。果たして今の時代の「いつかは○○」って何なのでしょう?

普遍的な文学全集とか絶対に無いだろうななどと思うのだが、さっぱり想像つかないのですよ。『11月11日』は中国では独身の日ということで、某サイトを巡ってみると「一体、どんな値段設定なんだろう」という挑戦的な製品が並んでいるわけですよ。小生よりも先輩の皆様はどうせしょうもないのだろうと思われるかも知れないが、バックツトゥザフューチャー宜しく『良いものはみんな中国製』かどうかは分からないけれど、少なくとも日本製より良いものが沢山あるわけで、その商品の並びを見ると、まぁ、背伸びすれば手に入るものが並んでいるなと感じるだけで、○○の傾向が見いだせない。

小学生アンケートみたいなもので、将来はユーチューバーみたいな状況に為っている今、撮影機材とかになるのかもしれないけど、それだとあっという間に入手できそうなので、クラウンと比較するのは申し訳ない。欲しいものがあるうちは貧乏から脱出できないなどとお坊様みたいなことも言いたくないが、本当になんなのでしょうね。そんなことだから「何を作ったら良いのでしょう?」と三代目社長殿が訪ねて来られるのだなと、いよいよ感染爆発が進み始めた今、この先どうなるのかさっぱり見えないからこそ、じっくり将来を見つめないといけないなと、見るものもの無いのに天を眺める私であります。

JIMTOF2020はオンライン

これが出来ないかとか、お金は何処かに落ちていないかとのお尋ねをしょっちゅう受ける。これが出来ないかはまだましで、お金を努力せずに獲得したいという願望をぶつけてこられるのには辟易だ。同じものを作っていたら将来が無さそうだから、取り敢えず機械を買いたいからお金が欲しい、欲しいからあぶく銭が欲しいという。コロナ禍でそんな企業に国がばらまくから、市場からロレックスが消えたというのは本当のお話。日本の民度はそんなもんだ。

現行商品よりもちょっと能力が高いものくらいであれば、もう、日本で作る必要は無い。海外からそれなりの価格の物を購入すれば宜しい。国も、関税で差別化しようなんて考えず、どんどん導入して、挑戦者が学ぶ機会を作るのが宜しい。図抜けたものは国内で購入する人は皆無だから、海外の挑戦者に買って頂くしかない。それなりの政府機関があるから、それを活用すれば宜しい。覚悟と挑戦が必要だ。あぶく銭で出来ることなど何もない。

燃料電池にしろ半導体製造機器にしろ、既にその精度はナノメートルに達している。数メートルもある機械の先端が、ナノメートルオーダーで動いて、物の形を変えていくのだ。恐ろしい時代である。それが当たり前の世界になっているのに、日本は何処に向かっていくというのか。幸い、IoT機器が全く広がっていない状況だったから、その関連企業は実入りがあるが、それもいつまでも続くわけでは無い。

こんなものにこんな加工が必要か?というものが求められる。必要なのだ。精密さは上がってしまったら、もう元には戻らない。オーバースペックでは無い場所は沢山あるのだ。マジックで書いたインクの厚さだけ削り取るなんて当たりまえ。物質表面そのものが機能を発揮しだす。その表面を作り込む要素技術に見向きもしない人達の何と多い事か。熱膨張があるから意味がないと直ぐに言う。キノコだって0.1℃の温度管理で育てる時代だ。今年のJIMTOFは幸いにオンライン。楽しみである。

自衛

台所の生ごみを片付けずに「生ごみ臭い!」と叫んで消臭剤だの住まいの香水だのを買うのがこの国なんだなと、まぁ、某答弁を聞いていて思うのですよ。感染者がべらぼうに増えた場所は閉鎖して、元からの出発はフリーのままだ。別の場所が急激に感染者増となるのを黙認する。なんだかなぁと思う。重篤に成る確率が低いということを根拠にしているのかもしれないが、致死率はゼロではないのだ。突然変異もある。

遺伝子調査によれば発生源は国の中心部らしいのだが、これとて「学者の言うことは多面的に見なければならない」という一流のかわし文句であっさりと打ち捨てられる。学術会議もへったくれも無かろう。都合の良いところだけ持っていくのであれば、もう、学者の意見などどうでも宜しい。大陸移動説だって、根拠が見いだせない間は荒唐無稽と抹殺されたが、観測技術が進んできたら「その通り」となるのが学者なのだが、今の時代は遺伝子という根拠を示しても信じて頂けない日本である。どうすりゃ良いのか?

まぁ、人の命より経済だと、拝金主義がまかり通るわけだから、何を叫んでもどうしようもなく、自衛以外に方法はない。組織としては可能な限り手を打ちたいが、物理的にどうしようもないところもある。物理的要因の解決は「明日まで」というわけには行かないことが多いわけで、そうではない方法でなんとかしていかないといけない。知恵が必要なのだが、思い込みの大声に負けるのが社会通念だ。大声の持ち主が勝つことになっている。

鳥インフルエンザでの大量殺処分ほど悲しい出来事はない。いや、某国のミンクも同様だ。人の都合でカゴに閉じ込められ、命を作られ、そして奪われる。奪い続けて「罪深い」と言っていれば済むのか?そうは思わない。一つ言えることは、発生源を開放すれば、感染するものは必ず広がるという経験を得たのではないのかということである。お上はそうは思うまいが、ここは自衛していきましょう。誰も守ってくれないからね。

堕落

愛知県のコロナ感染者の推移グラフが新聞等に掲載されている。7月〜8月期のピークの次のピークがやってきたなと眺めていたのだが、その傾きの原点がどこにあるのかに注目していた。エラーバーが大きく、なかなか起点を決めることは出来ないのだが、10月の第4週目の頭くらいになっているのかなぁと読み取れる。これは漸近線の引き方で全く変わるから、小生の主観であることは間違いないのだが、何を気にしていたかと言うと、GoToキャンペーンの効果が表出するのは何時頃のことなのだろうかということだ。

これは即ち、感染者に接触した方がPCR検査を受けて、それが陽性と認定されるまでの日数だということなのだが、10月初頭に首都圏からの移動が本格化したことを考えると、従前から言われていた2週間ということではなく、3週間を実質の潜伏期間と見ないといけないのではということになるような気がするのだ。これはグラフから読み取っただけの話なので、特に意味は無いのだが、これから寒くもなり、より一層の注意が必要な時期でもある。3週間も行動を封印されたらえらいことである。気を付けねばならない。

海外との行き来においてハワイ州のお話をニュースで見ているわけだが、グローバルな資本主義において、人件費が安く、税金が安く、環境規制がゆるいところにどんどんものづくり現場が移動していって、マスクすら国内に無かったという現実が4月前にあったわけだが、そんなことはもう忘れ去られているような気がする。熱することもなく冷め続ける日本の有様に、背筋も寒くなる。国内購買力の欠如を海外に求めた結果だが、各国が地域主義に移行を始めていることに少しは考えるところがあっても良さそうだ。

入試等においても、県外移動意欲が減るかもしれない。足元の教育を、将来、何を成し遂げることが出来るかというアウトカム目線からの体系に急速に変化させねばならないのだが、急な変化は我が国の文化には似合わない。じわじわと行くしか無いわけだが、昨今、コツコツとした努力も流行らない。一歩々々堕落することは得意なのに。某国の大統領選挙にちょっかいを出すネタがネットで突如拡散し始めた。どんなことにはお熱を上げる。呆れるばかりだ。

自動化

終着駅の周りに自動車販売店がやたらと軒を連ねる。驚くほどの数だ。そして、営業時間帯には購入希望者と思しき方が、ほぼ、いらっしゃる。必ずとは言わないが、かなりの確率で打ち合わせをしている。車を購入する余裕をお持ちということだ。と、言うか、車を欲する気持ちがあるのだなと、こうやってガソリンを燃やす方が増えていく。確かに便利なツールである。世の中に出た途端、いろんな人が作って、そして買って、道路が整備された。

これ程に世の中に便利と富とをもたらしたツールは他になかろう。スマホもそのたぐいかも知れないが、自動車の販売価格を考えると、その影響力は桁違いだ。と、思っていたのだが、果たして本当か?スマホが3億台、自動車が5千万台。高いも安いもあるのだが、それを作るのに必要な装置群は、まぁ、自動車のエレクトロニクスをセットアップするのに必要な機械で、携帯も出来てしまうのかも知れないが、金額だけなら似たようなところに落ち着いているのかも知れない。

しかし、自動組み立てという点においては、自動車は圧倒的に分が悪い。流石のイーロン・マスク殿も人力はまだ有効ということで、若干の人力を活用しているが、スマホとなると、ほぼほぼ自動で組み立てられていってしまう。というか、細かすぎて人間の入り込む余地が無いくらいになっている。人力も必要とされるが、その数は圧倒的に少ない。すると売り上げに対する人件費は下がるわけで、儲けは必然、大きくなる。

雇用がそれ程生まれないということだ。これからのモノづくりの方向性が間違いなくこっちにある。勿論、裕福な諸氏は高級な手作り家具だとか、ロールスロイスだとか、人力の権化みたいなものと暮らすのでしょうけれど、チーム無縁のメンバーとすると、無人化量産品に囲まれて生きることに成る。売れるものを教えてくれとか、40万円の手間賃を出したくないから補助金を求めるとか、なんだか身の回りがどんどん暗くなる。泣けてくる。

自分の明日

美国の大統領選挙が続いているわけですが、それを気にすることは大切なのだけれど、自国として何をどうするかのほうがよっぽど重要だ。そうなんだけど、なんだかほっぽらかされるわけですよ。何かあると競争しろという。競争というのは少なくともスタート地点が同じで、ゴールが同じ時に、力の優劣が明白に成る道具だと思うのだが、ところがそれが違うというのが我が国の伝統芸ですな。ゴールに入っている奴に勝てという。

自分達でなんともならないから、何とかしてくれという。ただし、ゼロ円だという。これが我が国のあり方で、まぁ、それで成り立っているところが面白おかしくもあるのだ。将棋の駒を全部持っているから勝ちだと思っている。既にルールが変わっているというのに、過去に安住の地があると信じ続けている。まぁ、どうぞ、そのままでいらっしゃるのが良い。地面も走れなければ空も飛べない。

いやいや、お若い方々は頑張っていらっしゃる。力を合わせてドローンを飛ばしGPSで宇宙基準で自分を見つめる。そして耕し、工場誘致という国土破壊から農地を救い、食料生産を高効率で行っていらっしゃる。いや、一人ひとりにあった面白いツールを、文化を作っていらっしゃる。そんな方々が続々と出現している今であっても、四ツ輪神話にしがみついて、まぁ、なんといいましょうかね。

既に就職から起業という流れが出来始めている。日本においてもそうだ。学生時代に身につけた能力と、そして世界の笑顔に通じるアイデアがあれば、直ちに挑戦できるというものだ。勿論、無責任なことは言わない。全てが明日の糧に繋がるかと言えばそうではない。ではDXすらおぼつかない大企業に身を投じることが正しいのですか?それは解らない。一つ言えることは、必死に学ばなければならないということだ。どんな失敗でも救われると思ったら大間違いだ。それだけは永遠の真理だ。それは正しい。そいいうものだ。

散歩考

読書ばかりして飽きたので散歩に出掛けた。一昨日の薄ら寒い雨から、一転、秋の日差し暖かく、小春日和とはこのことだろうなと呑気に歩き出した。散歩と言うくらいだから行き先など無く、目的もない。歩くことが目的であるから呑気この上ない。緑区の端っこは、延喜式神名帳に記載される神社が勧進されている程度にお土地柄は古く、更に東に行くと白鳳時代の駅の跡も見つかっており、縄文海進の時代の東西を結ぶ経路があったことが記録に残っている。縄文・弥生期の遺跡も多く残る。散歩をしていて愉快な土地である。

東京の小金井というところに、街のどまんなかのゴルフ場があるのだが、そこと比較してどうすんだと笑われそうだが、ゴルフ場というものは、短いコースであっても、街のどまんなかにあると、町並みをドーナツ化させるには十分な広さとなって往来を寸断する。緑区東部もご動揺で、巨大な公立墓地と相まって、極端な都市化をさせないところが気に入っている。愛知用水もその体を南北に横たえ、南は豊明の中京競馬場で封印されている、本当に名古屋市かここは?という感覚に陥って面白い。

斜面に在しているので、昇るか下るかどちらかしか選べない。ぐぐぐっと下ると、今度は昇る。17世紀の新田開発期の地図に明確に示される池が今も明確に残り、明治末期の地形図ではっきりと周囲が解っている土地である。頼朝が通った鎌倉街道の回り道がはっきりと残っていたが、山野を切り開く開発に拠って失われつつあるのは寂しいものである。鶴が沢とか亀が洞なんて地名を紐解くと、池や湿地があり、田んぼとして生活を支えていたことが地図で読める。歴史散歩は心地よい。

6〜7kmで小一時間、適当に散歩を切り上げて戻るのだが、足を動かし、アップダウンを繰り返し、気晴らしには丁度良い。知った顔には誰にも会わず、マスク越しの数少ない人とのすれ違いだけの時間ではあるが、半径1m生活とは違う楽しさがある。欧州ではコロナ禍が猛威を奮い、再びロックダウンで散歩もままならぬ。油断大敵ではあるが、血液循環も大切である。寒くなって「風邪」にかかるようにコロナウイルスに負けてはいけない。そう思う。

名工大テクノフェア開催

給付金受け取り詐欺が蔓延し、逮捕者が出た途端に、勘違いでしたと返金する人が続々と出てくる。まぁ、所詮、日本人の民度ってそんなもんなのでしょうね。国民を想う気持ちも裏切られるのだから、政治家の皆さんも大変だなと思う一方で、お金って一瞬のものなのに恐ろしい代物だなと、改めて思い知らされますね。お金を無尽蔵に創り出せる権力者が、希薄な責任感でばらまくわけだから、受け取る側もおかしくなるということなのかもしれない。

先日と言っても10月中旬の18日だから、もう旬は過ぎている戯言で情けないのだが、気になっていた岡崎市長選挙で、箱物よりも瞬間のお金でお勝ちになられた新市長殿ですが、まぁ、市民の民意の反映だし、こちらはよそ者なので何を言うことも無いのですが、この後、どうなるのかなぁと、お付き合いの深い岡崎市だけに気になるのですよ。箱物行政は大嫌いなんだけど、箱物に掛けるお金を市民にバックするという政治が何処までもつのだろうと、ある意味、全国的テストケースだなと思っているわけです。

岡崎ってモノづくり企業が集積していて、新東名や東名高速道路のICもあり、23号線という産業道路へもアクセス出来る地域で、コンベンションホールという箱があっても活用されるんだろうなくらいには思っていたのです。旧来の展示施設の老朽化も感じていましたしね。市民に「そんなもん、要らないよ」って言われてしまうのだから、その程度のものなんだなってことなんだけど、そこそこの街には、それなりの箱もあっても悪くはないとは思います。

勿論、新市長殿の政策全てがそんなものというわけではないです。少人数教育を進めるなどは積極果敢に取り組んで頂きたいのですけれど、それに対しても財源は必要なんですよ。財源と権力と、そして責任が一体化して初めて政治の長なので、その手腕を拝見したいなと、近隣行政区であるだけに気にしていこうと思っています。それはそうと、今日からオンラインテクノフェアの開催です。進化し続ける展示会の事例になれれば良いなと、一同、頑張りますのでどうぞよろしくお願い致します。

GoToとコロナ禍

「なんという門!」で有名な京都知恩院の御影堂の落慶法要期間が終了、コロナ禍が落ち着いたら見に行ってみようかなと思っているが、果たしてそれは何時になることやら。GoToターゲットとしてはグッドなチョイスなのだろうが、小生的に移動を考えることすらナンセンスであるから、当分はお預け状態ですな。誰か行って見てきて頂戴とお願いしたいところだが、それも無責任なので、まぁ、静観ということですな。

東京都の感染者が、まぁ、大略200名/日で推移しているわけだが、愛知などでは徐々に増えてきましたな。感染源が蓋をしていないわけで、自ずと増えるわなと、当たり前の現象が当たり前に発生すると、異様なことしか起こらない日本において、想定通りのことが発生していると、ちょっと驚いてしまうのだ。体操の内村選手も感染されたそうで、心配である。頑強な肉体をもってしても感染は決して防げないということだ。

晴れていれば自転車通勤ということで、今週は無事に5日間のサイクリングである。マスクをして走っているので、高地トレーニングではないけれど、酸素の取り込みは足りているのだろうかと心配に為ってしまうが、まぁ、なんとか活動しているわけだ。この時期、大学に到着の頃に夜が明けてくる。夜明けと共にお仕事スターとと言うのは気持ちが良い。廊下の向こうに朝日が昇る様は気持ちが良い。

びくびくしていても仕方がないとメールを下さった方がいらっしゃるが、あぁ、そうですねと、ご自由にお考えに成るのが宜しい。勝手に感染して頂ければ良いので、他の方にご迷惑を掛けないでねとお願いしたいところだ。油断大敵である。10月も気がつけば終わりというところになってきた。インフルエンザも恐ろしい。粛々とやれることをやる。それだけのことである。

聴いて頂く事

最近、コミュニケーション問題に揺れまくっている。というか、凄まじく時間を取られるのに「何故、このようなことが生じるのか」と思考回路を持って行かれている。プレゼンテーションとは何かと学生諸子に問うと、パワーポイントシートを使って発表することですと真顔で応えられてしまう。良くぞ企業の採用に通ったなと、お企業様に頭が垂れるのだ。「相手にYesと言って頂く事」、これがプレゼンテーションである。

そもそも論なのだが、そうであれば根幹に相手と共通言語を持たねばならぬ。相手のフィールド、ビジュアルの中のキャラクターになり切り、お互いの言語でゴールを共有できることが第一歩である。ゴリ押し、無理強い、泣き落とし、脅しが近年の手法らしいのだが、小生はそれは全く受け付けない。一方、こちらとしても懸命に頑張るのだが、聞く耳持たずシャットアウトされることも多くなってきたと感じている。

何故、聞く耳を持って頂けないかと言えば、恐らくだが、期待感を持って頂けていないこと。こんな野郎に時間泥棒されたくないと思われてしまえば、耳を閉じられる。過去のやり取りなども含めて、期待をして頂くことは出来ない。当然なのだが、相手の価値観を揺すぶるくらいの投げかけを事前にしておかねばならぬ。敵を知り己を知るという古来からの手法は今も生きていると思っている。

単に情報伝達では勿論無いのだ。最初に申し上げたパワーポイントシートで発表することなど、相手の意識に乗せようという意識が無い者の戯言である。自らの価値観を揺さぶって、明日に向かうことは勇気がいる。変化は恐怖と同居するのだ。それを乗り越えさせる強烈で猛烈な瞬間こそプレゼンテーションの根幹である。勇気と根気、魂の糸電話が出来るか?そういうことだ。