身の丈

言葉の続きになってしまうが、身の丈という言葉は極めて難しい。分相応と捉えることが多く、どちらかと言えば、卑下しているような意味合いに捉えられる。大臣がどんな意味で使ったのかは当人しか知る由は無いが、普通はそんな風に捉えるだろう。一方で、辞書によれば最初に来る意味は「せいの高さ」であり、身長である。

小生はこちらの意味で使うのだが、聞いている方に誤解を招かないように気を遣う。揚げ足鳥が無数に飛び交う世の中であるから恐ろしい。勝手な勘違いで無駄な時間を取られるのはご免こうむりたいところだ。話を戻すが、身長と言う意味での身の丈という言葉を、敢えて何故使うのかということである。

卑下した身の丈と捉えられることを想定していることは間違いないのだ。それでいてギリギリのところの言葉のやり取りを楽しむというところであろうか。身の丈に合った洋服と言った時、ぴったりとしてオーダーメードの上等の洋服と捉えるか、2年越しのバーゲンセールで購入し、身の丈に合ったというのかはまるで別だ。前者の意味の身の丈を使いたいのだ。

今ある自身の器一杯のお仕事のアウトプットをさせて頂いているのか?あるはその人ならと見込んでお願いし、その身の丈に合った返事を頂けているのか。自らを最大に活かすという意味で小生は使わせて頂いている。小生がそれに対して使う単語は御の字であるが、それは「ぎりぎりのまぁまぁ」ではなく、「御」ということかわ分かるように最上の意味のことだ。身の丈を超えるお仕事を頂き、それに御の字と言って頂けるようにお応えさせて頂く。人の世は斯くありたい。そう思う。

伝承

NHKによれば、言葉の使い方が徐々にではあるが、本来の意味と異なる使い方が多く使われているとのこと。金田一先生は社会の変化に言葉の使われ方が変わってくることは不思議では無いと、流石のコメントをなさっている。ただ、意味を取り違えて会話をすることの問題は大きかろう。勘違いでは済まない結果もあるかもしれない。閣僚の失言もこんなところからくるのかもしれない。

某高校でプレゼンをさせて頂いたのだが、既に御巣鷹山へのジャンボジェット機墜落などは「全く知られていない」ことに驚く。これなどは言葉ではなく事実の伝承が成されていない事例であるが、既に伝達する必要が無いという事なのだろうか。背筋が凍る思いがする。こうやって背筋が凍るなどと書くと、だんだん不安になってきて辞書を引いてみるが、正しかったことにほっとする。情けない話だ。

ものづくりで日本に貢献と言うのが中京圏の強みでは無かったか?つくることと、そのつくられた物のユーザーと創造者の間にあるのが快適と不快であるとすると、不快の方に墜落事故などは入るだろう。それは二度と発生させてはならないことであって、ものづくり屋とすれば心に刻み付けねばならぬ事故だと思っている。しかしそれはどうも伝わっていないらしい。

1985年の出来事で、今から34年も前の出来事と、改めて驚く。つい、昨日の出来事の様に記憶している。その頃、生まれていない先生がいらっしゃってもおかしくない。水素禍が引き起こすジュラルミンの破壊。材料に原子核をぶつけて欠陥を作るのを生業としていた小生としては、材料に入れられた加工歪が大勢の人を殺すという、それ以来、頭から離れない事故であった。しかし若者は全く知らない。これはいかんだろう。そう思う。

戒壇巡り

信州善光寺と言えば戒壇巡りと直ぐに思い浮かぶ。真の暗闇は無差別平等の世界であるそうで、確かに、光無き世界は真の平等と言って良いなと感じる。初めて体験した時には、首は竦み体中を硬直させてそろりそろりと進む状況でありましたな。見えないことの恐怖と、ある意味、妙な安心感が湧いてきます。誰にも見えない世界。居るのだけれども居ない感覚。

夢想疎石さんが昼間に明るく輝く星を見て、無いと思う心があるから、あるものが見えないと悟られたように、真っ暗闇ではあるが、壁はあり、錠前もある。錠前などはそれが錠前であると聞かされているからそう思っているだけで、実は違うのかもしれない。真っ暗闇を歩くことで得られるものがあるというのは、少し面白くもある。

東海地区にも戒壇巡りをさせて頂ける善光寺があるのだが、善光寺と名の付くお寺さんは、なんと全国に119もあるそうな。人々の信仰心は強いものだなと改めて感じるのです。お寺が尊いのではなく、そこに寄り添う人々の心が尊いということなのでしょう。

信州善光寺とうり二つの構造体は信玄公が模した甲府善光寺だけとは言われていますが、それも行ってみないとわからない。東海地域にも3つの模された善光寺があるわけで、それらに出掛けて戒壇巡りをやってみたいと、心を暗闇にさらけ出してみたい気持ちになっている。時にはそんな気持ちになるのも悪くは無かろう。そんなところです。

来春の箱根駅伝

何が起こったのか分からないが、ガマの油売り大学が箱根駅伝に26年ぶりに出場できるという。永遠に無理では無いかと思っていたが、それなりの人数が集まったという事なんですね。箱根駅伝の凄さは、10人がそれなりの実力を持っていないといけなくて、傑出した一人が居るから何とかなるということは決してないということ。先日まで盛り上がっていた日本のラグビーチームの様に、実力者が一体となって初めて認めて頂けるレベルになる。ちょこっとお正月が楽しみになった次第。どんな結果になっても呑みすぎそうである。

シード権があって、残りの10校を選ぶわけだが、ちゃんと10人で走って、総合タイムで競うという、分かりやすい判定基準である。一発勝負というのが素晴らしい。オリンピックのマラソンのように、一発勝負かと思ったら実は抜け道があるんですみたいなものは最悪である。まぁ、東京でマラソンをやらなくなりそうなので、東京で走って負けた選手にとっては、あの予選会はなんだったんだみたいになっちゃうのかもしれませんけどね。これなどは競技の私物化であって、許されるものではなかろう。

箱根駅伝経験者がオリンピック出場枠に入ってきていることは朗報と思う。そもそも箱根駅伝の成り立ちがそこにありますからね。その時で燃え尽きるのではなく、オリンピックにおいて戦える、そして勝てる選手を生み出すための駅伝なのだから、是非ともオリンピックで頑張って頂きたいものだ。しかしながら世界の壁はまだまだ高く、そして遠い。科学的トレーニングなどと言っているが、それだけなのかしらと思ってしまう。

ラグビーを見ていて思うのが、骨格や筋力はアングロサクソン系の方々にはまだまだ遠く及ばないのではないかということ。こんな事を言ってしまうと身も蓋もないのだが、見ていてそう思いましたよ。気合と根性だけでは太刀打ちできないものがある。でもやっぱり悔しいから、勝手ながら応援する次第である。やっぱり日の丸が真ん中に上がる様を見てみたい。鬼に笑われても来年の夢を語っても良い頃かなと、駅伝出場校決定のニュースを見て感じました。

10月も最終週へ

気が付くと来週で10月が終わりである。余りにも早すぎないか?ときめきが少ないと年月が早く過ぎると言われているが、ときめく間もなく過ぎていくぞと文句を言いたい。鶏と卵で、ときめきが先か月日が経つのが先か悩むと眠れなくなりそうだが(死語)、兎に角、新学期から一カ月が経ってしまった。気が付けば桜の葉は既に落葉を始めているが、こちらも赤くなる間もなく落ちている気がする。

10月の半ばを過ぎると、予定表には縦一列のものが多く存在するようになる。出張や学内イベントがその正体で、最近はそれが二列並んでも一泊仕事とは限らないところが恐ろしく、日帰りで何処へでも出掛ける。東京なんかは当たり前だが、朝晩に飛行機があるとそれだけでも日帰り要因だ。というか、日帰り出来ないところには出掛けなくなっている気がする。それも新たな働き方改革か?などと捻くれた見方をしてしまう。

土日に山などを気軽に歩いてみたいのだが、土日のどちらかにも公務が入りそれもままならない。いつの頃からかこんな状況が続いている。なかなか普通の男の子に戻れそうにない。お仕事が純増で増え続けるとこのようになる見本みたいなものだ。反面教師にしなければと思う。組織のお仕事をどう減らしていくか。これもまた、純増の思考だったりする。

最近、いよいよお仕事を受けなくなった。なんでも受けていると、迷惑発散装置になり、社会悪の根源になってしまう。仕事の私物化、組織の私物化は最も避けねばならない。一つ一つ丁寧に、これをもう一度思い起こし、座右の銘として進んでいきたい。丁寧なこと。多くのプレッシャーを頂くが、頑張っていきたい。そう思う。

人災と災害

鶴舞大に面接で呼ばれた時に仕切っていたのが「大門」先生でしたな。すげぇでかい声で「箱根を超えてきて恥ずかしく無いのか?」と聞かれたのをはっきりと覚えています。関東に居ると箱根は確かに一つの壁で、関西との境界線みたいに思えるのです。あれを超えると別の国みたいな。元々、名古屋以北が関東であって、天皇が住む都より遥か東の地が関東なのだから、箱根を超えたってどうってことは無い。今ではトンネルで気が付いたら抜けているしね。

その昔は、箱根は温泉地で、ちょっと物価の高いぼったくりエリアくらいのものと思ってはいましたが、富士山を間近に見える景勝地だなとは感じていました。その山に登るには登山鉄道がお気楽で、気が付くとケーブルカーに接続し、ぐんぐん高度を稼いでくれる。走って登ってしまう人達は凄いが、観光用と言っても良い車窓は心底楽しめる。雰囲気も良い。

それが台風19号で線路が流され、現在、運休中。冬は凍ってしまう山中だから、急ぎの復旧を応援したいが、お正月の駅伝までに間に合うのか?箱根に限らず、日本各地で毎年寸断される鉄路のニュースに出会う度に、首をかしげたくなっている自分に気が付く。日本の国土ってこんなにも災害に弱かったのかって?

コストを考えると頑丈すぎるものはできませんよということはあっても仕方が無いのかもしれない。昨日の「しなの号停車事件」もそうだが、安全サイドに振って待機するということもありだろう。人が作ったものはいつかは必ず壊れるということも事実だろう。ただ、なんだか弱すぎないかなぁと思うのです。自然には勝てない。その通りだ。でも信玄堤は未だに健在。構造物が老朽化してねぇなんて政治家の一言はそれこそ「たわごと」である。箱根は地震も大雨もある。復旧は十分に考えて行って頂きたい。付け焼刃で直ぐに崩壊と言う記事は見たくない。

即位礼に思う

知恵と慈悲深さと武力の象徴である剣璽等承継の儀から始まる即位礼の日に、天の汚れを祓う大風がやってくるところが神がかっていているなと、勝手に思ったのであります。日本の国の仕組みがいつできたとかなんだとか、そんなことはほったらかして、存在する頂点ではあるものの、決して統治はしないというのが今の在り方。これはこれで良いと思っています。憲法にもありますしね。

意見を求めて決めるのか、独善で決めるのかは大違い。共通認識のベースを作る努力は惜しんではいけない。その上で世論が形成されて、耳を傾け、方向性を定めたら、現場に近い人達の議決を待って、それを固めて前に進める、あるいは戻る。為政者ってそんなものでしょう。古代国家においては大王の地位が生まれて、必然、為政者となっていったわけだが、卑弥呼のお話にしろ、ダビデ王にしろ、皆にせっつかれて誕生したというところは同じで、集団としての国家の出来方ってそんなものなのかなと感じるわけです。

出雲国風土記にあるように、能登の方面との交流で翡翠の加工技術が生まれ、勾玉が出来(剣璽の「璽」ですな)、朝鮮半島から伝わったとされる製鉄の技術で、地元の砂鉄を打って作った剣、四国、岡山と伝承され出雲に伝わった青銅によって鏡を造り三種の神器が出来たわけだが、本物かどうかは置いておいて、それを伝承することが大王の条件としているところが、何やら面白くて良いなと思うのです。御璽・国璽の前にそれらが伝承されるというところに価値があるかな。

上皇陛下の時は博士課程の学生であって、元年度卒業だったので、小生にとっては就職年代が平成そのものでした。それがいよいよ次の年号になったわけで、気持ちを新たに頑張らないといけないなと思いつつ、流れる時と共に進化し続けないといけないとも思っています。日本にとって節目であることは間違いなかろう。そう思っています。

線路上にて

今年は台風に追いかけられていますということを先日お話した通り。超精密工学との架け橋化を目指し、昨年から諏訪圏メッセにお伺いして、交流を始めさせて頂いているわけだが、講義が詰まって動けないので、最終日の土曜日だけお邪魔させて頂いた。ロシア軍が開発した表情読み取りシステムなどで盛り上がったのだが、問題は帰り道である。金曜日は大雨であったそうなのですが、土曜日は、まぁ、しとしと降っている、そんな状況。

無事に塩尻まで戻り、若干遅れている「しなの号」に乗り込み、快調な滑り出し・・だと思ったら恐れていた通り、減速、そして停止。それを繰り返しながら奈良井の駅まで到達したら、もう動かない。7月下旬、甲府の科学館で小中学校の先生向けの理科教室に参加させて頂き、その帰り道、別の場所でしなの号は90分停まった。どうも名古屋に戻るしなの号は、小生が乗ると動かなくなるらしい。

いや、その列車にたまたま居合わせただけということだが、今回は、小一時間停車の後「ドアを開けます」のアナウンス。これはまずいと思いましたね。ドアを開けるって余程ですよ。もう列車を動かさない決意表明ですな。その昔、新幹線で1度経験しているのですが、その時は3時間以上、停まってましたよ。新幹線ホームですからね、売店はあるし、トイレもある。シートも良い。ところが真っ暗闇の奈良井駅にはなぁんにも無い。

結局、2時間以上遅れて戻ってきた次第。20時に到着予定が、宿舎に戻ったのが23時過ぎという状況で、もう、へろへろですよ。先週の台風19号騒動に続き、2週連続、週末出張で風神雷神様にお越しを頂いた次第。また、台風が太平洋上でこちらを伺っていらっしゃる。気になるのですが、実は今日も東京に出張だ。夜、最終に近い列車を予約はしているのですが、動けばラッキーくらいの気持ちで行ってきます。なんちゅうシンクロだこと・・

明日は諏訪

長い長い一週間も、既に金曜日である。余りにも大きな出来事が連続し、何が何だか分からなくなっている。台風に追いかけられた先週に続いて、諏訪に日帰りでお出かけをする明日においても、どうやら雨の予報は覆らない。今年の小生の遠距離の旅には、風神様と雷神様が付き添って頂けているらしい。

小学校6年生の頃であったと記憶しているのだが、お昼休みに校長室で給食を食べながら「千曲川旅情の歌」を暗唱するのが流行っていた。千曲川いざよふ波の云々かんぬんだが、今でも時々思い出す。その千曲川が氾濫して一週間だが、人間が作った堤防が自然災害に破壊されるという、やはり天災にはかなわないということだ。

それを如何にかわし、人命を守るか、それが担保されるのが国ということなのだと思うのだが、どうもそれもままならない国になってしまっているという気がしている。だとするならば、教育の場としての大学は何をどのようにして人財を世に送り出させて頂くのか。学問の基礎の土台に、人間としての土台構築をしっかりと成すべきだし、そこには高大接続もカギになると思っている。大学だけで全て完結できるはずはない。

明日は諏訪工業圏メッセでご挨拶廻りをさせて頂きます。一年ぶりのメッセ出席となります。風景の如くに認知して頂けるように頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

6G

10年以内に6Gがやってくる。NTTでは既に実験済で100Gbps超えということで、もう、何がなんだかというところである。5Gもままならない日本だが、それがわかっていればちょっかいの出しようがある。その速度でどのようなサービスが実現でき、その実現をアシストできる機械要素をはじき出し、未来に備える必要がある。

ちょっと宜しくないのが、4Gから5Gに対してでさえ「そんな高速は要らない」という声。エレクトロニクスにおいて高速は正義だし、HDD等大容量な記憶メディアを持ち歩く必要が無くなるだけでも、様々なメリットがあるではないか。医療、工場、様々なシーンで想像もつかないサービスが生まれると思うとワクワクするではないか。

Wi-Fiの最新規格でさえ5Gより遅い。となってくると、Wi-Fiも当然のことながら高速化してくるのか、それとも6Gに統一されてしまうのか分からないが、延々と止まったままのネットワークの呪縛から解き放たれるのかなという期待は大きくなる。思考を停止させることの無いネットワーク環境は有難い。

とまぁ、えらく贅沢なお話なのだが、いつ頃、日本において主流になるのか分からない。リニアモーターカーが先か、6Gが先かと言うことなのだと思うのだけれども、情報のやり取りの高速化は、AIがバックヤードで当たり前のようにお仕事をアシストして頂ける時代において必須の事であろう。ネットワークの発展は事業所の肝であることは間違いない。多くのスタートアップが生まれそうで、これはこれで楽しみである。