連休らしく

昨年は10連休であった。ステアリングを握り、アクセルに足を置いたら、長野と新潟の県境で雪に出会った。13時頃である。この時期であったのでノーマルタイヤでグリップ弱め。それでも簡単なことである。ベクトル演算を思い出せば、慣性力と制動力の合成方向を決めれば、ハンドルを1度変えれば、車は向きを変える。一定速度運転が美しい。もしも連休でステアリングを握られるのであれば、速度一定を心がけて頂きたい。事故は発生しない。

折角の連休習慣であるから、昨日まで続いた流れを断ち切って参ります。余りにもつまらないですからね。所謂、一般民間人的連休開始でありますから、5月10日くらいまで、おちゃらけたネタを非定期で連ねていきたいわけですよ。朝起きて、冷蔵庫を覗いたら、セロリがあったからこんなサラダを作ってみました的な、そんなライトでエキセントリックな朝が良いですな。コーヒーなんか、ちょっと粗挽きにしちゃったりしてね。

何しろ、非常事態宣言時という、地球規模で何とかしなくては!という状況にあるわけです。だったら何とかすることに協力するしか無いわけですよ。そこに留まるという命令でありますからして、過去の事例を紐解いて、「留まるしか無い」事を思い出すわけです。『崖だなぁ・・』・・留まるというか呆れると言うか、天空に向かって道が切れているというか。まぁ、そんなもんです。

多くの方がいろんな意味でのデスクに向かって第二関節の運動に勤しんでいらっしゃる。今よりもっと良いものをって、きっと全力を尽くしていらっしゃるに決まっているのです。生きた証は100年後にしか現れません。教育は国家百年の計。伝えているつもりが自ら学ばせて頂いているだけと気づく時には天幕が閉まっているかもね。こんな感じで、不定期非定期の連休習慣の戯言であります。

大局観

コロナウイルス担当大臣(妙な言い方だな?)だからPCR検査を直ぐに受診出来たことに対して、ネット上で批判が起こっている。昨日のアンチ他県のネタもそうなのだけれど、そこらじゅうで巻き起こるネタが、あっという間に文字化されて伝わる世の中の恐ろしさを感じる。大臣である。国民が民主主義選挙で選んで、国民の代表として舵取りをしている人である。代表なのである。選挙で誰に入れたか知れないが、民主主義国家で選ばれた人を、もっと大切に想っては如何か?

隣国では少なくとも数千件の検査体制が整っているのに、我が国では3百件程度(首都圏)である。この医療体制も、皆、選挙で選んだ代議士が実施していることであって、国民が望んだ結果なのである。経済は毎月活性化して、景気指数は上がっていくことを望んだのは国民である。人の命よりも平和よりも、経済と派兵の憲法俎上を望んだのも国民である。これが民主主義の結果である。

担当大臣が誰よりも先に検査を受けて、無事であることが確認され、陣頭指揮に戻ることに、何故、批判をするのか。何故、ネガティブキャンペーンを張るのか。そんなに文句を言うのであれば、自ら立候補して、国政の中に身を置いてみると良い。国民を想っていても、国民から慕われないことがどれだけ悲しく、寂しいことか解るのでは無かろうか?

東京での感染者が、いきなり30名台に入った。このままゼロまで到達して、全国的にゼロ更新となれば、6月からは気をつけながらの試運転状態になれるのかもしれない。いやいや、それは早かろうとなるのかもしれない。いずれにせよ、お互い同士が思いやりを持って活動しなければならないのは間違いない。大局からの判断をしなければ国難は去らない。それだけのことだ。

どうした?

島国の美しさがこの国にはあったような気がするのだ。良いとか悪いとか、そ言う言うことではない。この極東に居を構えてから、共に手を携えて自然と協調し、それはお互いの尊重に繋がり、単に馴れ合いではなく高め合う文化があったのではなかったか?他県への移動を避けましょうと言われた途端に、他県ナンバーの自称者を見たら傷つけるとか投石するとか。マイカーに「何県の者です」みたいな排他的行動を集団で行うとか。何と醜い。

こう書くと偽善者だの何だの言われる。もう慣れっこだから偽善者と言われても、心の傷つき方は知っている。まぁ、良いけどね。排他って自己肯定の最も安易な手法だからね。ナショナリズムが高揚するとそっちへ動いていく。第二次大戦へと突入した歴史なんてとっくにリセットされているんですね。この国からは。

30万円と10万円の経済援助だって、全ての人が大切だからって原点はあったのだろうけれど、基本、国債を作るところと換金するところがおんなじという不可思議さを疑問にも思わず、自社の強さを換金の胴元が買ってくれているから高止まりしていることに気づいていながら、今度も何とかしてくれるよねと思っている脳死状態は如何したものか。

緊急事態だし、目に見えない相手が命を奪いにやってくる訳だから、追い詰められる空気感に身を置く恐怖は相当のものだし、極限のストレスであることは間違い無い。だからこその教育の成果が試されるし、人としての智慧を発揮しなければならない。何がお互いに求められる行動かを。5年後に笑顔で大切な人達と会話を楽しんでいる姿を想像してみると良い。時間の長さが変わっている訳ではない。慌ててはならない。

休日を待ち構えるべし

来週から、待ちに待った連休週間に入ります。コロナ禍でとんでもないことになっている日常を断絶して、心の底からリフレッシュして頂きたいと本心から願うところです。古典的日本の働き方というか、根性で出勤して、誰か一人でも残っていると、その場に一緒に居ないと罪悪感を感じるような雰囲気はやっつけましょう。どっかぁんと集中して、ぱっとお仕事の現場から立ち去る。それで良いのですよ。

と言うことで、基本、4月25日から、5月の10日までは心のリフレッシュに励んでいただければ良いのです。重荷は機構長に任せてですね、くたぁっとして頂ければ良いのです。あの、メリハリ大好きな機構長の事ですから、都会のど真ん中でテントを張って、ガソリンバーナーで調理して、一杯やるに違いないのです・・・そりゃぁ、山奥が良かったんだけどね。

ずるずるだらだらはいけません。スパッと割り切る。それで良いのですよ。パソコンをいつも開いていざとなったらお仕事しますなんてのはいけません。それは常在戦場人間だけの割当ですから、そんなことはしてはいけないのです。休日でも仕事をする覚悟で居ますなんて輩で、小生が期待する次元のお仕事に到達している人類に出会ったことは無い。そもそも花見も新歓も無かった今年ですよ!あっちゃあられんこっちゃっ!

この世に戻ってきて思うのですが、出会ってもいない恐怖に万民が怯え過ぎ。そりゃぁ志村けんさんや岡江久美子さんが突然亡くなる程のウイルスですよ。どっかの知ったかぶり学者がインフルエンザより怖くないと威張りまくってますが、怖いのは間違いない。でも、地球上ではペストやスペイン風邪どころか、生命の99%を死滅させた自然災害が3度も起こっているのです。原子の存在を認め、ものをつくり、そして知恵を獲得したならば、どかっと構えて達観いたしましょう。そんなもんです。だからね、休暇、取得しましょうね!!

コロナ禍ニモ負ケズ

とあるお会社が原料から最終製品まで国内で賄おうと準備を始められる。従来、市場価格を考えて、隣国から原料、中間材を輸入し、最終製品の組み立てのみを国内で実施し、国産ですよと仰っていたところを、隣国依存の高過ぎ状況を見直して、本当の国産に仕立てていこうと方針の大転換に挑まれるとのこと。これは相当のチャレンジである。人の雇用も増やすことになる。自動化を相当に導入するのだとは思いますが、その結果をトレースしていきたいし、成功を大いに期待するところである。

方や、世界中に原料、中間材を製造する拠点をお持ちのお会社が、今回のコロナ禍によるサプライチェーンの断裂は、チェーンの広がりが狭かった故であると、更に広くネットを広げられるとのこと。世界との協調ということで、こちらも思い切った挑戦でいらっしゃる。勿論、良い成果を期待するし、トレースを継続していきたい。

どちらも単にコストを下げるという事を謳ってはいらっしゃらないところが美しい。人件費の削減や利益率向上という、まぁ、企業としては当然の方向性で進んできた我が国の巨大戦艦企業殿ではありますが、その中から、別の方向に展開していこうという流れは、コロナ禍という黒船が来なかったら現れなかったのではなかろうか?

研究開発を怠らない企業群も頼もしい限りである。素材開発の内製に拘り、とある分野では世界シェアの30%を決して切らないという状況を作り出し、方や、最終製品の在り方を見直して、部品そのものを無くしても大丈夫な設計とモノづくりを実現していくお企業もある。世界が求めるもの、即ち、人々の心の感動を約束するモノづくり。それは価値がソーシャルにあり、そこに自らの要素技術の研究成果を打ち込んでいく人々がいらっしゃることが大前提であろう。そのストーリーの中に鶴舞大学は求められ続けるのか。そう言うことだ。

させて頂く

GW中に他県に移動するなということで、高速道路の料金割引を無くすという。なかなかにして狡猾であり、うまいことをするなと感じた次第。それにしても日本人にとっての生き甲斐であるGW縛りは強力だ。歓楽街に出歩くなというよりも強烈かもしれない。とは言うものの、それでも動く人は動くのでしょうね。拳銃や罰金でも仕掛けないと収まらないのだろう。でもこれって情けなくないか?

長期に会えない家族に連休だから逢いたいとか、様々な出会いを止めなさいというお達しであるから「そんなもん、聞いていられるかぃ!」という気持ちは、それはそうだろう。先日の江ノ島周辺の道路の渋滞が、GWに入ったら、東北道渋滞32kmみたいなことになって良いはずがない。自分のことでは無いのだ。相手の気持ちを推し量る、「させて頂く」という日本人の美学、文化は何処に行ってしまったのでしょうか。

非常事態宣言の延長云々が議論されているわけだが、国債を発行し、日銀に買わせて国内還流して現金を作り出す、所謂錬金術でここ数年、株価・為替操作にいそしんできたツケが、コロナ保証で一気に湧き出した。そんな経済施策しかやってこなかったのだから、家から出るなと言われても飛び出すわな。閣僚の方々は10万円の配布を受け取らないという申し合わせをされたそうだが、それもまた、なんだか変なお話だ。

人が家から出ない。これはサーベルタイガーが闊歩していた太古の昔、洞穴に立てこもり、隙を付いて食料を獲得に走った時代に等しいのだろう。店舗なんてなく、身の回りのものは全て自己調達。原点回帰である。ジュールベルヌの宇宙戦争を思い返すと、工学によってなんだか強くなったと己惚れていると、目に見えない程の弱者に食われるぞと、今の世を予言してくれていたのではと思ってしまう。「させて頂く」。その美学に立ち戻りませんか。

出張いらず

多くの国がロックダウン、日本で言うなら県境封鎖か、区域封鎖か分からないけれど、その単位で人の行き来を制限して、感染禍から立ち直ろうとしている。日本の場合、昨日の江ノ島周辺の大渋滞ではないけれど、どうもおっとりしているように見える。おっとりというか、為政者の言うことを聞かない。危険を顧みない。そりゃぁ、誰だって天気の良い休日ならどこかに行きたくなる。が、それをやってはいかんでしょう。

ネット会議なら良いでしょうという雰囲気があるが、自宅からの接続もあれば、職場からの場合もある。面白いと言えばそうだが、この非常時に密度高く割り込んでくるネット会議はどうだろう。出張に出掛けていれば1,2件の会議で済むのに、隙間なく入り込んでくる恐ろしさがある。録音もされて油断できない。

しかし、考えてみれば、かなりの方々が電子会議で良しとしているのだ。そりゃぁ、全てがそれで良いとは思わない。思わないが、全員がそれが当たり前となったら、もう、会議の為の出張は止めて良いのではと思う。オンラインだからこそ実現できることがあるではないか。人の意見を聞きながら、文字列チャットで意見表明する。対面会議では時間の都合で言えないことが出てくるが、オンラインだと問答無用で発言できる。

審査なども同様で、短い質疑の中で「まぁ、良いか、少しくらい」などと思う場面でも、目の前に批判対象の文字列が並ぶと、じっと眺めて意見を言える。どうしたら良くなるかというレベルで考える時間が与えられる。悪いことだけではない。良いことも多いのだ。であるならば、今年はこのまま全ての会議をネット、メールで済ませてみては如何か。黒船である。機会を捉えねばなるまい。そう思う。

自分ごとと思う

土日の行動がまるで変わった。何処へでも出掛けていくスタイルから、じっくり読書、音楽鑑賞みたいな高等遊民の如くの過ごし方になってしまった。本来、土日というものは休息に用いられるべきものだったのかもしれないが、頭をフル回転させる方向に向かっていきそうな気配だ。それはそれで良いことかもしれない。新聞も隅々眺めるが、こちらのほうは読むべき記事などは見当たらず、ネットニュースと大きくは変わらない。

感染拡大は継続していて、4月いっぱいで緊急事態宣言が収まるとはとても思えない。接触者を減らせということだが、人と人の接触が無くなればそれで良いのか?接触をゼロにしようと思っても、食事という行為を停止できないし、当然のことながら食料品店には出掛けるわけで、そこで集う人達の何と多いことか。買い物という、ある意味ストレス発散行為であって、人の群れの密度向上に自らも貢献しなければならない。これは仕方がない。

情けないけれど、仕方がないという表現を使ってしまう。街を車で走れば交差点は大渋滞だ。車の数がどんどん増えている気がする。できる限り人との接触を避けるという点においては、自動車という閉鎖空間に閉じこもって移動することは正しいのかもしれない。それは本当なのだろうか。外気が入ってくるモードで走行していたら、気中に漂うウイルスの蔓延空間になったりしないのだろうか。何と恐ろしいことか。

行政的にお金が掛かるから病院を減らしましょうとか、学校を統合しましょうとか、効率・コストを重視してきたわけだが、そのつけが回ってきたのかなとも思う。経済成長という単語に踊らされていて、何が成長したのかさっぱり分からない。じっと周りを見渡す時間が出来た今、皆で考えるのも悪くない。そう思う。

戯言らしさ

規制大好き、縦割り大好きな日本の企業と行政。それだけぢゃ無いけどね、既得権益があるならまだしも、そんなものは全くないのに、新しいことが大嫌いとかね。AIに定型仕事はお任せして、通勤時間はテレワークで排除して、空いた時間を自分ブラッシュアップに使おうとか、そんなことは眼中に無い。ただただ、規制という名の防御バリアで年がら年中冬眠状態。

コロナ禍でいろんな企業や民間が医療最前線の皆様に対してエールを送ろうとしても、海外ではすぐさま動けるのに、審査に4か月掛かるとかね。国難においても「経済」という業界が喜ぶ単語にこびへつらう国家。国民の命はどこへやらだ。

いやいや、その政権を選んだのはその国民であることは忘れてはならないのだ。税金の無駄遣いマスクは許さないとか言うけれど、選んだんでしょ。マスコミ等々、それ程強く政権批判はしていないものの、その代わりに街の方々のインタビューなどを流しまくって自分達は逃げているわけだが、マスコミも野党批判で潤っていらっしゃるわけで、まぁ、そんな国家という事だ。

ただ、諦めたくはないのだ。エントロピーは増大するのが自然の流れで、利用可能エネルギーはほったらかせば必ず減少するのだ。他国の情報がどれだけ正しいかは分からないが、エントロピーを縮小させるように痛みを伴う改革を採用しているように見える。コロナ禍は必ず終わる。その時では遅い。今直ぐに反転するのだ。そう活動する。

銀輪

公共交通機関の恐ろしさに自転車通勤に戻っているわけですが、帰宅時刻の自動車の渋滞には驚かされます。コロナ騒動以前よりも増えているのは、多くの通勤者が自動車という安全空間に籠っているからか。本当に安全かは謎ではあるが、自己責任領域であることは間違いない。自転車の場合、空間に漂う様々な菌の中を突き進むわけだが、体幹から鍛えていこうという点に着目してその利用を選択している。

そもそも自分を運ぶためだけに地球環境を悪化させるのかという点に疑問を持っている。何か特別な面白さの為にステアリングを握るのではなく、宅配便の荷物の如くに自らを運送するツールなのだ。産業の申し子であることは間違いないが、自動車通勤だけは好きになれない。誰かとシェアライドしてくるとかね、そんなのなら会話もあって良いかもしれない。情報共有の場と言う別の意義が生まれる。

パンクさえしなければ体力が続く限り延々と距離を延ばせるお気楽なツールではあるが、余りにも無防備なのは恐ろしいと言えばそうだ。自動車に正面衝突された時の恐怖を思えば、止めた方がいいかなとも思ってしまうが、満員電車でコロナウイルスにまみれるよりはましかなという比較級だ。どっちがどれだけ良いのかというところに尽きる。

マスクを掛けながら心肺機能を全開するわけで、高地トレーニングかと思わんばかり。満開の八重桜に喜びながら、なにか楽しみを見つけないとやっていけない自転車通勤ではありますが、サイクル小僧の本領発揮で、天気が良ければ血液循環運動という感じで、血気盛んな毎日であります。