進化?

挑戦があれば結果がある。結果を得ることを恐れると何もできない。天の声、神の声、様々な声と鉄槌があるが、その瞬間に猛烈に強烈に生きることをしないと、凄まじく短い人生なのに、何もせずに、そして生きた証すらなく終わってしまう。誰も尊敬することなく、畏敬の念を抱くことなく、我儘し放題な連中は、そんなもんだ。天上天下唯我独尊と、利己主義人種は、結局のところ、自らも幸せにすることなく消えていく。

このプロセスは、思うに人間という種の在り方とは異なるのではないか。お互いに声を出し合って、助け合い喜び合い、時には怒鳴り合い納得しあって数万年を生き抜いてきた種とは異なっている。声の無いネアンデルタール人に回帰していると感じる。学びで自我を埋めもせず、智慧の発信源を尊敬せず、そして自己満足もせず、シナプスを繋げることもせず、そんな新人類が出回っている。遺伝子的にはホモサピエンスかもしれないが、脳細胞は別のものだ。

会話は無く、誰とも目を合わさない。他人を無視する素振りを見せて、その実、徹底的に排除する。それが現生人類であり、それらが学校の先生という職に就き、同人種を指数関数的に増大させ続けている。未来ではなく自らの価値観、いや、エゴ、いや、なんと言ったら良いのやら、自らを除く同様の形態をした物体を喜ばせることは決して無く、そこで完結したその物質は、気持ちの悪いことに、どんどん、他種を仲間に取り入れ、気が付けば、昨日まで「おはようございます」と声を掛け合った方ですら、むすっとさせる。

6千5百万年前、ユカタン半島に落ちた、直径400mの隕石が遺伝子の発展の終焉にたどり着いた種にとどめを刺した。単一遺伝子で動くたんぱく質集合体であるホモサピエンスは、まだ、1億年の時を経ていないから、まだまだ遺伝子は変異を続け、新種の発現を止めることはない。共食いを始めた新種は旧種を滅ぼすだろう。気分的にはさっぱりだ。と、数年前から感じていたことだが、「のぞみ1号」という始発に乗ってみたら、隣の背広を着た新人類が、旧人類では理解できない様々な活動で朝の静寂をぶち壊してくれるので、とっととこのステージから消えていこうと、ぐっと握り拳、決意を固めた私であります。