ご都合工学

中部圏にやってきて、それこそ年がら年中(大げさ)出掛けている場所が奥三河地域である。1500万年前の火山地帯を感じることが出来る、極めて貴重な地域であって、新東名と建設途上の三遠南信道を使えば、あっという間に東栄に到達できる。ダムの底に沈んでしまって見ることはできなくなったが、大地を割いて上がってきた溶岩の岩盤などは、自然の力を見せてくれる筈なのだが、人間はダムを作って見せ無くしてしまう。

エレクトロニクスなどを否定することは簡単だが、生まれたからにはそう簡単には死に絶えたくないと、自然に抗うのが命というものだから、工学そのものを否定したりは決してしない。その在り方、使い方が世界中で見直さないといけない状況になっているということだ。

デザイン思考などと奇麗な言葉が流行っているのだが、正確さよりも満足度を高くすることを目指して思考するというのが根本にあるのだが、それはそれで無意識に生命が行ってきたことにラベルを張っただけに過ぎないので、言葉はどうでもよろしい。3Dプリンタなどは思考のサンプルを目の前に創り出してくれて、思考の相方として「見える化」の道具として極めて優れていると感じている。

きっちり形を決めてゴールに到達する道筋を最適化していく過程で、決めたゴールが間違っていたなんてことは良くあることで、それも含めたデザイン思考なのだが、ゴールを守って道筋にバイパスを造っていくと、見えないインチキが生まれるのだろう。美しい仕上がりの予定が「そんなもん、機械的に出来ないぞ」という声に押されて汚らしくなる。そんなものづくりが未だに幅を利かせているのだなと、昨今の見えないインチキの横行に出会う度にがっかりするのだ。