わき道

T字路のわき道にそれてみる。山の中ではあまりやらない行為だが、都会では気になる路地にどんどん進んでみる。緩やかに曲がるその細い路地は、雰囲気よく、これは日常歩いてみたいと思える雰囲気の街並みと空気感を持っていた。早速、明治時代の地図と比較してみると、その時代から存在した、集落同士を繋ぐ道であり、成る程と思った。明治初期の通路は、大略、江戸時代から存在していて、田んぼでは無く、畑の中の道だから、小生にとっては伝説の御器所大根でも作っていたのかもしれない。そんなことを思うと愉快になる。

わき道にそれることを恐れているのでは、これは、常日頃の心構えがなっていないと感じる。常軌を逸脱してこそ人生だと小生は思う。勿論、勢いがあって、今、この道をまっしぐらに進むべき時は、わき道などに気が付かないから、それはそうでなければならない。正に今という時に、わき道などはほったらかして、ずんどこ先へ行くが良い。わき道の探査は遅れてきた者に取っておいてあげて欲しい。

思えばわき道ばっかりの人生であって、紆余曲折が多すぎて、どちらに向いて歩いているのかさっぱり分からない。あれやこれやと考えてもなるようにしかならなかったんだろうなと、あちらの世界が近づいてくるとそう思ったりする。しかし、いんちきは出来なかった不器用さで、救われてきたなとは思う。人が掛けた橋を一番に渡るようなことはしてこなかった。今に見ていろ俺だってなんて格好の良いことは思わない。凄いなぁと思うだけ。自分は他のわき道に入り込んで、迷っている間に何処かに出た。そんな人生だ。

明治24年の測量図に出会ったのは、名古屋に引っ越して間もないころに、名古屋市市政資料館にて行われた、名古屋の古地図展でであった。陸軍が精緻な地図を起こし、それが今も閲覧できるのは素晴らしい。鶴舞地区は古道がかなりその痕跡をたどることが出来て、むしろ、その古道を探して歩く楽しさを与えてくれる。わき道、大いに結構。迷子になったら探して差し上げるので、どんどん、わき道に進んで欲しい。わき道は現実である。そして自らが歩くことでそれが脳裏に刻まれて力になる。そしていつか、道の無いところに気が付いたら進んでいるだろう。これからもそうするつもりだ。