長くは無いけれど、連休明けで数日間通勤していると、やっぱり嫌になるのがカバンの重さ。その昔、祖母が倒れた時、やってきたお医者様が下げてきたカバンから繰り出される様々なツールを見て、カバンとはこのようなものなのだなと思ったことを覚えている。瞼に焼き付くというのは本当で、これは忘れようにも忘れられない。
電脳を携帯するようになってカバンの中身がじわじわと変わってきた。変化の歴史は電子機器の進化の歴史に繋がるのかもしれない。重くなったり軽くなったり、大きくなったり小さくなったりである。背広でリュックを背負うことがポピュラーで無かったころ、学会にリュック姿で出かけたら思い切り冷やかされた。両手を空けて安全を確保するという当たり前の行為だが、常識のシールドをまとった大人達には小馬鹿にされた。されても意志を貫いてリュック生活は続いた。
当初はブリタニカ国際大百科事典一冊分の大きさのブックシェルフ型PCも、今や、熱さ1cm、重さは1kg以下が当然の状況になってきた。そうなってくるとリュックからショルダーバッグへと変貌出来る。このショルダーバッグへの変貌の途中には、とある事故でリュックを背負えなくなったことがきっかけだったのだが、トートバッグ生活の便利さに驚いて、ショルダーバックとは便利なものだなと、今現在はその状況に落ち着いている。
最小限の大きさの中に、必要不可欠で、毎日使うもののみを入れて持ち運ぶ。それが理想なのだが、万が一のためと、何かが付加されてしまうのが情けない。保険と言う奴なのだが、生命保険と同様で、万が一起こる筈もないものに、患い悩む愚かな毎日を過ごすことになる。自分の将来にまで忖度している。情けない毎日だ。