残るもの

古来の芸能というものの根本は変化してはならないのだと思う。変化しない骨格の上に時代をリードする新しい技が載ることで、見る者を勇気づける。芸能のもたらす効果の源泉とはそんなものではなかろうか。技術をあたかも芸能の如くに捉え、ベンチャー企業さえ出来れば経済が活況となるというトップの安直な思考は、文化を無視した人間離れした思考としか思えない。

地球人が想像する宇宙人の容姿が人間に似てしまうのは、人間の思考の限界があるからと言う者もいるのだが、それはそうかもしれないが、学術的に、地球環境と類似した状況では人間型になっていくという学説もある。学者の言うことだから何処か怪しいのかもしれないが、小生はそんなものでは無いかしらと思ったりもしている。

数十億年を掛けて到達した中において、革命と呼ばれる事件とも言える発明、開発が成されたわけだが、確かにそれは一か所から発生し、地球全体のあり様を変化させる可能性が無いとは言えない。特にネットワークが高度に発達した現代において、アイデアだけを発信するYouTuberの存在を見ていると、一人一人が発信し、全ての人がベンチャー企業化していると判断した方が良いのではなかろうか。その中から自らに都合の良い組み合わせを選んで、形にしてみると、既に自分にとっては革命的生活変化をもたらせると感じる。

イノベーションを求めるよりも、生きるという本質を見つめ直すことが第一ではなかろうか。バブルを求める強欲こそが人間の本質であるということでは生きる希望が無くなってくる。大型書店が閉店し、特色ある書店が生まれる今、画一化されたバブルの時代がとっくに終わっていることを意識するべきだ。他者と共に活動する中における本質を軸に、新しい思考をする。全てそぎ落とした時に何が残るのか。それを大切にしていきたい。