折角の職場のお休みがあっても、それを誰かが奪いに来る。奪い合って何かが生まれるのは事実で、それを実感できるのも事実なのだが、それでもやっぱりお休みに個人的にやりたかったことをやれる生活の方が有難いと感じてしまう今日この頃である。贅沢な思考かもしれないが、やらなければならないことに押しつぶされる毎日を送っていると、時間の獲得の妨害者は排除したいと感じるのだ。
モモに出てくる時間泥棒が何処にいるのかということに尽きるのだが、それは自分の中に居るのだろうなと理解してはいるものの、それを他者のせいにしたいという狡さも自分の中にある。結局のところ自分がどう考えるかであって、自分への忖度を消し去れば、妨害者が自分の中にあることが見いだせる。
妨害を最大限に排除するために、どうしても道具に頼らざるを得ない。それがAIでありロボットであるならば、正しい選択のような気もする。AIとロボットが人の隙間を埋めてくれるものにしていくことは人間の行うことなのだろうが、一方でアナログの有難さもあるなと最近は感じている。
IoTの時間的拘束力の凄まじさである。メール一本で締め切りは一か月後ですよと、3万文字の原稿を要求してくる。デジタル化文書だから、余程気を付けていないと忘れ去る。いきなりARゴーグルの向こうから督促者が襲い掛かってくる時代に入っている今、そこから逃げるのはアナログしかない。アナログ時代人の限界を感じつつ、時間泥棒との戦いを続ける日々である。