共通テスト考

日本の謎の慣習である共通テストなる、天下り人材保護活動が開始される。決まり切ったパターンを唱え、見張り役を務めるわけだ。何もしないで時間を過ごせという強迫に耐え二日間を過ごす。代休など獲得できるはずもなく、見せかけの働き方改革に呆れながら、これまたやはり時間泥棒との戦いになるのだ。

遠い彼方の記憶なのではっきりとはしないのだが、大学それぞれで入試をするのではなく、共通指標で大学をランク付けしようみたいなところがあって、そうはさせるかという大学側の反撃で作られたシステムであると聞いたことがある。だったら各大学で入学ポリシーを決めているのだから、それを見て一発勝負の入試で合格者を決めたら良かろう。

すると、一発勝負はかわいそうだの、選択の機会を奪うだの偽善的とも思える外野の意見が直ちに飛んでくるわけで、受け身の学習しか望まない学生を作りだす社会のおぞましさを追求することなどマスコミはしない。ベルトコンベアの上を移動して、ロボットにピックされて装置に組付けられることを待つ部品の如くの学生達は何処から生まれてくるのか。全てでは無いがかなりの数だ。

最低限理解しているべきことを問う入試であれば、全員が満点を獲得できるべきだし、更に言えばやる必要は無い。クリア基準以上を求めるのであれば、もうそれは一発勝負の入試で良いのだ。教育システム全体で考えるべきことだから、一校でどうのこうの出来ることでは無いが、そんな流れにしていかないと世界の孤児の養成校になってしまいそうな恐怖を感じる。大学のあり様を考える。監督などせず、そんな時間の使い方をしてみたいと願う私であります。