ボトムアップ

ボトムアップとトップダウン。細胞分裂からすれば、単細胞から無限元素結合体の人間などに変異する様は、ボトムアップである。極微の要素を繋ぎ合わせ目に見える形にする。目に見えなくても良いのだが、いずれにせよ、極微の世界を繋ぎ合わせ、目的のサイズに組み上げる様がボトムアップだ。触媒を使って創薬するなどはまさにこの仕掛けと言えよう。原子の性質を活用して、言ってみれば勝手に何とかなる仕組みを、さも、自分が考えたの如くに振る舞う人類に失笑してしまうが、純粋培養という言葉が示すように、目的の元素以外のものの混入を無視できる程に少なくしているのは工学であり、人の工夫であることは間違いない。神のいたずらでは無い。

神のいたずらでは無いから恐ろしさもある。人間が神の如くに元素を創り出し、その合成までやってのける時代にきた。イオン注入と言う言葉を創られた偉大なる先人の恩恵を、核爆弾と言う無間地獄まで大きくすることはボトムアップという概念からは外れるだろう。平和活用だからと言って、イエローケーキの破砕物を砂漠にばらまき、地球気圏にその汚染物質を遍く広げ、遺伝子レベルで生命を破壊する様は、これはトップダウンと言える。それを率先するのが日本であって人々が助け合う当たり前の縄文文化を捨て去った成れの果てが日本人だ。

共に助け合う村の文化と、村の存続によって税金の使われ方に歪が出るから過疎地を潰そうなどという議論は言語道断だが、一部の為政者の所有地があるから、その土地の価格をあげるような政策はボトムアップでは決してなく、単なる国賊の象徴的行動であるのは言うまでもない。突如として大きな橋が架かり、誰も住まない土地が出来、ほったらかしておくとゴルフ場になって、そしていつの間にか荒廃し消えていく。地方を回っているとそんな世界に出会う。しかしそれはそのエリアの住民が望んだボトムアップの姿であって、その瞬間の快楽のためだけに税金が投入された結果でもある。

人が人と出会う。そして議論しお互いを活かしあう方策を考える。これなどはボトムアップであり、将来のありたい姿から今を思うバックキャスティングであればなおさらだ。瞬間の為政者の都合に合わせるトップダウンは安直で思考停止で良いから楽だが、必ず不利益が発生してくる。日本人の安直なトップダウン待ちの姿勢を、挑戦の二文字に換えていくにはかなり大きな意識改革が必要だ。気に入らないからどなりちらす。何も生まないトップダウンには消えて頂き、未来をこうしたいという願いの集合がボトムアップから産まれてくるべき時代である。チャンスである!