葉書が届く。かれこれ三十年になる。凄いことだ。この季節、決まって頂くそのお便りの温もりたるや。あぁ、今年もこの季節になったのですねと、やんちゃな時代を思い出す。まぁ、今も十分にやんちゃなのかもしれないが、あの当時から比べれば深層の令嬢と言ったら過言だが、想像付かないほど人非人であったと思うのだ。そのお便りは「大人とはこういうものだ」と言うことをしみじみ、そして切々と問うて頂ける。胸に手を当てよと。それでも当てないから困ったものだ。
叱られるわけではない、褒められるわけでも勿論ない。ただ、その方と過ごさせて頂いた12年間を思い出すのだ。当時は土曜日の午後に専門の集団ゼミがあって、それが面白くて道を踏み外した・・のではなく、今に通じる門を潜らせて頂けたのだ。なんだか偉い先生方が、自論をぶつけ合ってそれぞれの根拠をぶつけ。ディベートは続くよ何処までもと言うことで、結論は出さない。何故ならばどちらも、その時現在の証拠は正しく、そして不十分だから。今では分析可能な内容だったのかもしれないが、当時はエレクトロニクスは、まだ、超LSIが出来ていない時代だからね。PCよりもHP電卓の方が計算は早かった。
研究者という生命体の神秘もその方に教わった気がする。圧倒的な神ではなく、ねちっこく、しつこく、そして憎めない。人情に厚く、親身である。独自の色を醸し出す、唯一無二のお方であった。そんな方々に育てて頂いた訳だから、幸せでしたと言わないといけないのだろうが、そうでも無いとその当時は感じたこともあったわけだが、まぁ、時効だから許して頂こう。そんなもんだって。人と人ですもの。今はもう、全てが素敵な色ですよ。
来年も頂けるだろうかと、もう、その葉書を期待してしまう。お互いのどちらかが先に逝ってしまうのは自然の摂理だが、それまでは続けていきたいものだと心から願っている。これもお互いの執念で、きっと先方も同様に思っていて頂いているに違いないのだ。そんな方が小生にはたった一人ではあるが居る。これは宝物だ。そうに決まっている。