暑い

この3日間、他に何も言うことの無い位に暑い。実に暑い。少し歩いただけで、照り返しを受けて日焼けで体力を奪われる。裏庭の草刈りをしてみたのだが、日陰であるにもかかわらず、猛烈に噴き出す汗。登頂時並みに噴き出す汗である。心地よいを通り越して、恐ろしい程である。

ちょっとした買い物に車を使ってみたが、ボンネット裏に付いている温度計が43度を示す。40度以上を示すのだなと、面白がっていたりして。走行中に風の循環がある状態にあってもその温度であったのは驚きだ。目から暑くなる。視覚効果は恐ろしい。暑さを納得してしまう。

梅雨の間、野菜などは高価かつ、品数が少ない状況であったが、突如として大量の野菜が店頭に並ぶ様は、流石に太陽は偉大だなと感じる。雨の後の一気の気温上昇で「草刈りしなきゃ」となったことと同様であろう。植物には雨と太陽が必要だ。その条件が揃うとこのようになるのだなと、理科の観察ではないが、それを実感する。

今週も同様に暑い毎日だそうだ。水分を多く摂取し、熱中症対策をしっかりして頂きたい。体力を過信せず、この酷暑を過ごす必要がある。単に地球温暖化というものでは無いだろうが、それでもやっぱり温暖化なのではと感じたりもするが、南極の氷が溶けたという話は無く、単に地球の揺らぎなのかなと、地球は案外大きいのだなと感心する。横断歩道を歩いていると、赤信号で突っ込んでくる車・・殺気立つのも暑さの仕業か。かっかせず、いつもよりじっくりと考え一歩進もうと思う私であります。

昭和

何故かふと思った。昭和という時代があったなぁと。中小企業の多くの経営者の皆様はその昭和の時代を駆け抜けた方々だと。昭和の終焉の歳、まだ学生であった。毎晩毎晩、実験と論文執筆で明け暮れていた。それこそ明け暮れていた。誰にやれとも言われずに、勝手に研究をし続けた。原子の配列が乱れ、それが配列し直すとき莫大なエネルギーが発生し、ミクロな結晶核が出来る。光メモリディスクの誕生の瞬間だが、そんなことはどうでもよく、ひたすら自然現象の脅威に感動していた。それが昭和であった。

どんどん海外をキャッチアップして、間違えようのないものづくりをしてきた方々は、持ちえたものを離さない。その結果、満ち足りた世において、新規の挑戦が成されない世の中になっている。挑戦することが素晴らしい事とは言わないが、新しいものを手に入れようとすれば、今を何か捨てねばならぬ。捨てるという行為には勇気が伴う。ちょっとしたことなのだが、それが出来ない。

新規事業と簡単に言うが、即ちそこには廃棄が伴う。長い年付きを掛けて身に付けたものを、ポンと捨てる勇気があるか。勇気が必要と思うか、今、何かを身に付けたのだから、きっと他のものも身に付けられるだろうと、あっけらかんといられるか。そこに「新規」があるのだろう。新規は恐ろしい。身に付けた途端に古ぼけたものになる。直ぐに過去に覆われる。

今日も何かが起こるのだろうが、明日になれば今日は過去だ。常に古ぼける。だから新しくならねばならない。今を後生大事に持つのか、常に新しく変身し続けるのか。それは人それぞれなのだろうが、苦しく厳しい道があるとすればそちらを選ぶ。昭和を思い出し、そんな気持ちになった朝であった。

消印有効

とある事件の報道で土浦郵便局がTVに現れた。その昔々、論文の校正の後、「今から本局に出しに行け」という下命によって、2級先輩と供に、天王台から真夜中に国際郵便を出しに行った、その青春を思い出させて頂いた。当時は郵便であったのだ。まだネットという存在が無く、FAXかテレックスか郵便か、どれかの選択の時代であった。のんびりに感じるかもしれないが、消印が全ての時代で、ど田舎であれば中心都市の本局のみの対応で、これはこれで必死な時代であった。

インターネットなる代物ががまの油売り大学に入ったのは、大学としては日本で最初のグループであり、高エネルギー物理学研究所がご近所ということもあり、優先的に入れて頂いたということを記憶している。全てが文字ベースで画像ブラウザが出てきたときは感動した。その進化はべらぼうに早く、それこそあっという間に進化していった。買い物も何もかもネットの時代になるなと感じたが、今ではそれが当たり前で、前提となって若者は生きている。

思い出話をする気は無い。AIもその頃には既に研究が始まっていて、後のNTTがフロッピーディスクでAIと銘打ったソフトウエアを配布したのを覚えている。反応を全て記録して、パターン認識の権化であったが、前に使った人の癖を、次の人が面白がっていた程度の代物であった。人が集まって「頑張りましょう」というイベントは、一体いつまで続くのか解らないが、そんな時代が良かったなと、数年後には懐古になっているのかもしれない。

もの作りは上手になる。繰り返していればそうなる。しかし、大転換はなかなk起こらない。昨日、掲示されている企業のニーズを拝見したが、ニーズそのものが「おやっ」っとなる状況では、技術のステップアップなどは起こりようが無いなと感じた。売れているから変革に挑まない。その姿勢で日本は滅びるのだろう。売れているから次を考えるのだと、K大先輩は仰り実行された。その姿勢が途絶えた風土には悲惨な結末がお似合いだ。そう思う。

岡崎

明確に愛知県を旅の目的地としてやってきたのは18歳の夏であった。青春物語みたいだが、中山道を下り犬山、名古屋、岡崎と巡った記憶がある。他にも桶狭間なども廻った。今、その近所に居を構えているのだから、人生、わからないものだなと、これから先もどうなることやらである。暑かったという記憶は全くない。恐らく、そうだったのだろう。ガソリンが安い土地柄だなという記憶ははっきりとある。

岡崎では八丁味噌屋さんが、今のように綺麗に修理される前で、風格満点の店構えに感激した記憶がある。城から八丁、成る程、八丁味噌かと。偽物が認定されてしまう日本では文化、伝統はないがしろにされてしまうが、大切にしなければならないと、応援していきたい。

久しぶりに岡崎に出かける。2年に一度の岡崎での産業展示であり、矢作川を越えると約束した4年前から続いている間柄である。見掛けの景気が良くなっていて、なかなか深いお付き合いには繋がっていないが、部分的には太いパイプも出来てきた。三河武士のお土地柄であるから、そう簡単には尾張と握手して頂けるとは思っていない。真摯にお付き合いを地道にさせて頂くだけである。

日本という狭いけれども国の目線で見ればお隣さんなのだが、大きな河川のあっちとこっちは昔から文化が異なる。異なるというか、異なるように町が出来てきた。そこに大きな橋を架けたとしても、人が渡らなければ、人が仲立ちして双方を結ばないと会話は始まらない。そんな今日明日、大学をお留守にしますが、よろしくお願いします。

梅雨明け

ちょっとした異常事態と言っても良いと思うのだが、この2週間、居室のエアコンが停止している。機器の交換ということなのだが、朝、6時半に部屋に入った時に、既に気温計は30度を指している。漏れなく熱中症が付いてくる新しい働き方改革か?じとじとと汗が流れ落ちる、その昔であれば8月に数日あるかないかという気温の状況だが、昨今では普通の気温となっているが、こうして物書きをしている間に30度を超える状況になってきた。

御器所駅で地上に出ると、どしゃぁっと夏の風物詩のセミの命の合唱というか叫びというか、梅雨があけたぞと、そこまで頑張って宣言しなくても良いではないかと、そんなに頑張らなくても良いよと語り掛けても伝わりそうにない喧噪である。セミの声の音波が空気に交じり、何か、体にねばりつくような感じがするのだ。

室内で30度越を体験していると、まぁ、貧乏学生の頃を思い出しますな。もっともガマの油地方はそんなに暑くはならなかったのですが、安アパートのブリキの屋根は、直の日差しよりも強烈な熱波を室内に送り、とっとと出ていけという、そんな雰囲気でしたな。大学以外に行くところが無く、結局、延々と研究室に籠っているという状況になり、現在に至る。

被災地の皆様を想えばエアコンのダウンなどなんてことは無いのだ。こうして普通に生きていることの有難さをかみしめなければならない。母の実家に到達する途中に巨石がごろごろあり、「子供の頃に土石流があったのだ」との話は耳と目から離れることは無い。自然の力。人は挑んではいけない。挑むと大やけどをする。災害の最中、常に思う。人は弱い。それで良いのだ。

天災

羽田の近所に居た時、流石のゼロメートル地帯だけあって、大雨イコール洪水であった。河川を掛け替え、長大な堤防と下水の完備によって、1970年過ぎにはほぼ洪水に出会わなくなった。今、日本を襲う洪水などと生やさしい表現では意味を成さない自然災害を見て、この国大丈夫かと感じる。

角栄さんが言っていた日本列島改造ってこんなしょぼいものでは無かったと思うのだ。国民に生活的にも経済的にも安心と安全を与えるものだったはずだ。安心の無い国家は最早国家とは言えない。一体、何処に税金が消えていっているのか?

安心は全ての政治の根幹である。安心と安全を混同して使う方が多いが、これは明確に異なる。安心は前提である。安全は作り込む「出来事」である。まるで次元が違う。その点において、安心の無くなったこの国の行く末は極めて暗いと言わざるをえまい。

不安に満ちた毎日は辛い。辛いどころか生きる気力すら無くなる。不安を安心に塗り替えていく。環境の役割である。一つ一つということだが、町全体が土砂に飲まれる環境を作り続けてきたのが我が国家である。経済優先で安心は置いてきぼりであった。これからもきっとそれを選択するのだろう。さみしい限りだ。

ものの価値

社会の変化激しく、研究室の中が開発現場になり、そのままプロダクトアウトしてくる。AIを筆頭にITの世界ではそれが当たり前になっている。工作機械の売り上げが堅調でということで、景気が良いとなっている日本であるが、円高差益とエレクトロニクス産業の活況に引きずられ、何時まで続くのやらと言うところ。業界の方々は2,3年がとこでしょうということなので、まぁそうなのだろう。

工学がどのように発展していくかなど、3年後の予測すら立たない現状ではあるが、マスプロダクトの「マス」が昭和の時代から一桁上がっていることは事実だ。世界中が工場になってものを作っている現状だが、人口減少が世界で顕在化し始める時、その時代で30代の方々の労働環境ってどうなるんだろうなぁと、思いっきり他人の情景ではあるが、想像してみたりして。

バブル直後でも実は作るものはあったのだ。エレクトロニクス機器はその能力を最大化させていたわけでは無いので、小生とて、LSIのフォトレジストを開発する10人程度の町工場に内定は頂けたのだ。世界人口減少が始まる時、知識の終息と選別が始まるだろう。縄文期に向かって真に欲するものだけが残る社会になる。その時に残る道具こそ本物だ。それを見極め、今から150年後に投資するのもなかなかよろしい判断だ。

ものが売れていて、作るものが沢山ある時に、哲学を語っても誰も聴かない。それでも学者だから戯言を言う。自然が人間が住む領域に牙をむき始めているのは明らかだ。恐竜の時代には成されなかった、先住生命を燃やして現世生命の都合に使う暴挙。災害だなんだと言っているが、それは人の価値観であって、地球はそんなことは考えない。丁寧で謙虚が大切だ。それを忘れた人類の終焉は案外近いのかもしれない。そう思う。

遅すぎる惨劇

7月に入った途端にセミの遺骸に遭遇している。今朝も幾つかの、雨に濡れた遺骸を見た。仲間もまだまだ見つからなかったろうに。どかっと暑くなって、仲間と出会える季節と勘違いしてしまったのだろう。街路樹の根元などは相当に暑くなっているだろうから、公園などとは条件が大きく異なるのだろう。孤独死は路上で見かける。

時代に取り残されると悲惨だが、早すぎても悲劇は起こる。時代に即して当意即妙ということが一番だが、それでも早すぎる方が救われる。報われないが心は穏やかである。報われることを期待するのが間違いであって、社会の流れなど待っていたら濁流がやってきて翻弄される。そうなってはいけない。常に先手を行かねばならない。「今までこうだったから」という考えを押し付ける上司は消えねばならない。時代は進むのだ。

どれくらい先が良いのかと言われても困るが、現時点で、何処かの会社と実用化研究に入った物理は、小生が21歳で見出したものだから、既に30年を超える歳月で「早かった」ということになる。こうなってくると工学技術進化を待つしかなく、待ちに待ったというか忘れていたというところ。これは流石にやりすぎかもしれませんが、まぁ、もうちょっと遅くても良いかもしれません。研究者としてはまぁ、良い事象と言えましょう。

早すぎる悲劇に比べれば古典過ぎる悲惨さで、文科省局長の悪事が明るみに出た。首相選挙の目晦ましなんでしょうけれど、よくもまぁ、古典的な裏口入学をやったもんだ。そんなことがあるんだなぁと、まぁ、賄賂が通じるお上なんだということは分かったわけですが、何があってもやってはいかんというところですな。遅れる悲惨より早すぎる悲劇。スピード感。これに尽きる。

たまご

どうでも良い事だが、その大昔、地学部という、実にオタクで日陰的なクラブ活動をしていた。自分で作ったから卒業アルバムには顧問と自分のツーショットが掲載されているという、なんとも笑える図式だ。何故、地学だったかと言えば、気象庁に出掛けて真面目に気候変動を学びたかったからだ。今でいえば気象予報士みたいなものになっていたかもしれない。その時は、その資格が無かったから、今に至っている。

現在、太平洋沖に鎮座している低気圧は、極めて近い未来の台風のたまごであろう。日本列島に横たわる、本来であればこのまま消えていったはずの全線を元気にして、梅雨空を演出するプロデューサーである。地球規模の話だからどうなるか分からないが、ひょっとすると梅雨末期の台風として世間を騒がすかもしれない。

現在、7号が日本海をじわじわと進んでいて、次の台風のことを言っても仕方が無いが、沖合のたまごが居なければひょっとすると7号が梅雨前線を吹き飛ばしてくれていたかもしれないのだ。たまごのお陰で夏が来ない。どかぁっと40度みたいな、凄まじい夏が早く来ないかと、灼熱オタクの小生は思っていたのに、たまごが邪魔をしてくれた。

教員室のエアコンが老朽化のため、稼働していない。現時点で気温計は29℃を指している。扇風機は偉大だ。空気を動かして、体表面から水分を蒸発させ、気化熱を奪ってくれる。働き方改革で24時間働いてもOKになった。昨夜も硬い床とお友達だ。エアコンなし、布団無し、それでも24時間働くというこの国家だ。台風のたまごはどのように成長するのか。沖合の海水温の様子を知るにはもってこいだ。今年の夏を占う絶好のチャンスだ。ちょっと注目しては如何だろうか。

洞窟の中で

サバイバルの鉄則はじっと動かず体力を温存すること。濡れず乾いた場所に居ること。何らかの方法で水を得続けること。恐らくそのリーダーは凄まじく冷静沈着、統率力抜群であったのだろう。出口の無い暗闇に10日間閉じ込められて平常で居られるか。一般民間人なら叫び狂って体力消耗、焦って転んで骨折などして、その怪我が元であちらの世界に旅立つだろう。

1913年、8月末に駒ヶ岳で発生した気象遭難も、大元は大人登山者達が小屋をたき火にして暖を取るという最低最悪の身勝手な行動から発生したものだ。集団の中に「自分さえ・・」という者が出た瞬間に死神は釜をもたげる。そこに続くものまでもが甚大で深刻な影響を受ける。それがサバイバルである。

東北震災においても少年の機転で救われた命があった。何かが起こる。第六感が働くとき、それに従うべきだ。まずいと感じたその瞬間に立ち止まり、次の瞬間に意思に関わらずシナプスの命令に従った活動に転じる。これこそが生命の源泉であり、サバイバルを語る者が行ってきた行動である。

事件のニュース当初に、自らならどうするかを考えた。様々、考えたが、結局のところ、水、食料の確保と確認。空気の流れの確認、排泄場所の確保、そして動かないこと。洞窟だから航空機が見つけてくれる確率はゼロ。1週間は確実に動けないことを前提に行動にでる。ライトも消して暗闇で過ごす。電池を必要とする電子機器は全くの無力だ。水に塞がれているから、その水位を可視化し続けることも重要だ。サバイバル。それは何時でも起こりうる。この次も生き延びる。間違いない。