加工考

半導体業界は活況である。ハードディスクを半導体に置き換えて、高速・省エネを獲得する流れは止まらない。一旦置き換えれば、保守が待っていて、これは暫くは新規開発が置いてきぼりとなりそうな、日本の場当たり主義が炸裂し続けるだろう。気が付けば売るものが無くなっている、いつものパターンが見えている。 

一方でナノメートル領域の加工を印刷業界がし始めている日本もある。時代は実に美しく楽しい。ある技術を守るか、攻めるか。明日、存続している研究も企業も、攻守が決める。当たり前なのだが、人は守りに入る。今の時代にそんなものはない事に、判ってはいるが、目先の利益にしがみつく。結果、明日がなくなる。 

とある理由で、自動車の金型に触れたのだが、数ミクロンレベルのうねりとか、普通に有るんですね。半導体業界では有り得ないサイズの歪みとかうねりとか。小生的にはゴミより酷い状況が、定常状態にある。世界的にやってきている軽量化の嵐に着いていけない。それが日本の現状だ。 

こう書くと特殊なレベルのお話と聞き流すだろう。それらの民は既に滅んでいる。マスプロダクトが既にサブミクロンの世界に入っているが、日本くらいだろう、自動車の加工精度が世界の共通言語だと思っているのは。挑戦している者とそうでない方々。結末は見えている。

 

美しくないこと

産学連携において、大学をどう活用するかが極めて重要である。従来型のお付き合い型、ちょこっと知りたい型等々あるわけだが、とりわけ数社でオープンイノベーションというときに、その中核としての大学の活用を上手に出来ている企業は、最先端でありながら、5年ほどで驚くべき製品開発を成し遂げている。20億、掛かったとしても1億の大学への投資だけで商品まで行き着くのだから安い。

米国であれば6割の間接経費だから日本の大学はどえらい低価格でご奉仕だ。これはいかん。これが当たり前になっているからいかん。企業も、知恵は無料と決め込んで土足で踏み込んでくるが、これもいかん。いかんばっかりだが、実際、そんなところであろう。心が貧しいのであろう。

昨日、新幹線の隣の席のあんちゃんが、どかっと座って漫画雑誌を鞄から取り出し、品川から名古屋まで延々と読み続けていた。悪いとは言わないが、その横柄な態度は会社でも出ているのだろうなと辟易する。自分だけで生きている。そう見える。どれだけの大企業かは知らないが、一人で社会を動かしているというところか。

今朝、地下鉄のホームで「アンメルツ」?的な、恐らく、かゆみ止めではなく、肩こりというか筋肉の痛みを拡散させる液体だろう、ズボンをまくって膝周辺に塗りたくっている、恐らく会社員の方を見た。美しいものではない。美しさは何処に行ったのか。AIを使って社会を変革している者かもしれないが、美しくない根源になるのはどうだろう。日本はそんな国になったのだなと、なんだか情けなくなる。

リベラルアーツの意味

電動物がどんどん増えて、その電源アダプタも無限に増える。最近でこそUSB TypeCが若干、本当に若干なのだが幅を利かせてきてくれていて、LenovoとHPの電源アダプタを共用出来るとか、これは本当に助かっている。絶対にこれを買い足そうとか、新しいカテゴリの製品そのものが無くなっている今、今の活動をほんのちょっと便利にする程度のものを買ってみたりする。要するに、自らの活動をカスタマイズするグッズだけが増える。まぁ、こっぱずかしいから何を買ったかは言わないけれど、産学共同などはこんなパターンも大ありなのだとも思っている。先生方のお時間を奪うわけにはいかないから、なかなか契約は難しいけれど。

ここ数カ月、お話をさせて頂いた経済界の偉い方々からAIなんとかして頂戴よと言う切なる願い。医療の分野のトップの方でも「ワトソン君が居てくれるからね」と、劇的な変化に医療に掛かる学問分野体系まで変わるだろう、いや、既に変わっていると仰られる。大学における教育の在り方そのものが爆発的に変化している。OJTだのなんだのと言われるが、要は学体系そのものを変えないと世界の孤児になるということだ。既になっているのかもしれない。

恐らく日本だけでは無いように思うが、日本において顕在化し始めているのだと実感している。生まれた瞬間から進むべき道を与えられ、予定調和に不安を感じることなく日々を過ごす。ベンチャー創業の勇気はとても素晴らしいが、Tech系で立ち上がるのは大学教員くらいで、本気で冒険しているかとは・・どうなのだろう。それでも気合は素晴らしいと思う。応援したい。

今をちょっと便利にするところから、将来、こんなストーリーはどうだろうと夢を語り合える討議こそ、大学の在り方であろう。微分方程式をどう解くのか、材料の性質は云々はAIが瞬時に解を出す時代に、暗記学問は全く無用。しかし、頭脳とおもいやりの心との断絶が満ちている現代、世界の宗教、歴史等々、等々、リベラルアーツこそ重要だ。そして社会の課題を創成し、共創する、そしてその解決のストーリーを描ける能力こそ教育するべき。一人、一社で価値を創り出す時代ではない。当たり前だが。

幕張にて

幕張メッセは京葉線海浜幕張駅からほど近いところにある。近くは無い、ほど近いと言うくらいだ。ビッグサイトでいろいろと行われるようになり、会議イベントの多くはビックサイトに移ったこともありとんとご無沙汰であった。放送大学関係で、ネットワークを活用した教育協議会みたいなお仕事で、恐らく10年近くなるのでは無いか、余りにも久しぶりで「駅からこんなに遠かったっけ?」となるほどに久しぶりだ。

新幹線活用は大変に便利なのだが、この京葉線という奴は、JRがオフィシャルに有楽町からが便利ですという程に得体の知れないところにある。人の数も半端なく、津波のようである。東京ディズニーランドを過ぎるとやや乗客が減るが、それでも結構な混雑ぶりである。関東はやたらと人が多い。帰りの時刻には新幹線発車まで10分というところで、発車まで1分以内で飛び込むという荒技。京葉線ホームはいただけない。

最初に幕張メッセに行ったのは国際会議での発表だったと思ったが、それは間違いないと思う。イオンビーム関連だったような気がする。まだ、がまの油売り大学時代だったようにも思うし、名古屋に移ったばかりの頃だったか、いずれにせよ、25年~30年も前のことだ。メッセの歴史をひもといてみると、恐らく、がまの油売り大学時代の出来事であったらしい。

国は何かを言う。言われるのはこちら側で、必死に動いたら結果はこんなもんだくらいには動くのだが、泣き言はなかなか通じない。自ら天下に向かって「これが出来る」と叫ぶなかれ。他人になんの影響も伝えない輩が「何か出来る」と叫ぶ。世界が求める真実は遙か彼方にある。それがいまの日本だ。

リコール

トヨタ車がワイヤーハーネス不備で102万台のリコールを受けるという。我が国の産業の、間違いなく頂点に君臨する企業の落潮ぶりと言おうか。世界中で狙われた日本の失策ということなのだろうか、天狗になったらすくわれるのは足元であって、ビジョンは一度決めたら永遠という、美しき日本の在り方を示しているといえばそれまでだが、その結果、ハーネス容量が足りないという、大学1年生でも考えそうな設計ミスは頂けない。

いろいろな方に言われる。そして見下される。大学人などが趣味の研究で何を言おうと、会社はそんなバカはしないと。バカだって人は殺さない、それを大量生産などしない。バカとおっしゃった方々が、絶対に安全だと仰った、彼らの生産物が走行中に燃える可能性を呈したということは、どういうことなのだろうか。

反省することは山ほどある。それは我々大学人にある。現場で設計等々に関わった者の中には、わが大学の卒業生も関わっていたことだろう。それなのに自動発火装置を装填した自動車を街中に放ったのは、わが大学の教育であったということになる。これこそ反省するべきである。エンジニア教育は当然のことながら、倫理教育もなっていなかったということだ。

簡単に研究・開発と言う言葉を吐く者が居る。研究と開発とはまるで違う。それが解っていないと、こんなハーネスで宜しかろうとなってしまい、多くの人を苦しめる。台風でタンカーが関空の橋に激突し、取り返しのつかない状況を巻き起こした。これもエンジニアの犯したことだ。原発事故で技術に絶対は無いことが解ったのに、未だにその反省は無い。これが教育の成果?違うと叫びたいが結果は102万台のリコールだ。ソーシャルな教育と倫理教育。それだけで良い。大学でなすべきはそれだけだろう。それを蔑ろにしてきた結果が102万台。そんなもんだ。

台風

久し振りに名古屋市内で台風大暴れでしたな。時速50㎞を超えていたとのことで、その荒れ狂う時間はそれほど長いものでは無く、河川の大反乱などはなく、有難いことに台風一過の日を平穏に迎えていることに感謝です。まぁ、対象のゴミ?が街中に散見されるわけですが、家屋の倒壊などは見られず、あれだけの風雨に耐える近代家屋の強さに感動するばかり。

近年、目立った災害が無く、名古屋水害の後には地震も含めて大被害は無いですな。これは極めて不可思議な感じがいたします。また、一方で、当たらり前の気も致します。信長、秀吉、家康を生んだお土地柄。勿論、当時と今とでは地面の状態は全く異なるわけですが、大災害がやたらと襲ってきたらいくら治世が正しくとも街として発展しないでしょう。現に秀吉は京都に城を築いた途端に地震に襲われていますな。

昨日は台風の直接の影響を避けようと、13時前には地下鉄の駅から地上に出たのですが、その際の風には驚かされましたよ。進めない。ビル風とは明らかに違う、空気が固まって襲ってくる、そんな感じですな。ビル風はミルフィーユの如くに層状に感じます。台風は湿度も高く、固まった空気を移動させる。これでは車も吹き飛ぶわけですな。

もう、異常気象ということではないでしょう。定常的に発生する普通の気象現象。それが現在の強力な台風でしょう。連発してやってきて日本を翻弄する。改めて山間に人々が住んでいるという真実を知りますね。土木工事によって済む場所を増やしてきた。地球温暖化が量的に拡大し続ける今、考え方を根本から改めるべきなのだろうと思いますが、この国ははてさてどうなるんでしょうかね。自分自身で明日を創る気合、それを一人一人が持たない限り、あんまり明るくない未来がやってくる気がする。そんな気になる強風の昨日でありました。

心の中

心の中では当たるも八卦、でも、それを気持ちに組み込んで頑張ってみようかなと言う2600年の歴史を持った易ではあるが、見られる覚悟は必要だ。まぁ、いろいろあるでしょうけれど、小生のお袋なんぞは易が好きであって、しかも、都合の良いことだけ信じるという、都合の良いことと言ったらない。多くの方々が同じ思いを抱いたのではというお袋の思い出である。

兎に角、都合が良いのである。TVで最悪となっていても新聞で第一となっていればそれを信じる。易者って何なのだろうと、正直、何故、こんな商売が存置できるのか分からないが、しかしながら、こうして話題にするくらいなのだから、取り敢えずは信じてしまう、この小生が居るということだ。信じるというより、まぁ、そんなもんかなと、例えば朝の瞬間に思うだけだ。出勤途上の空を見たとたんにそんなもんは二度と思い出すことは無い。結局は、まぁ、そうだろう。

占いは、なんか信じてしまうのだ。景気が良かろうがどよんと死にそうな予想だろうが、こんなことが今日は発生するのかと、胸に刻んでそう信じるのだが、ところがそんなことになった記憶はさっぱりないのだ。大学生の時、ラジオの占いを大学に行く前に日記に記録し、夜にどうだったかを書いたのだが、当たったことなど一切ない。無いのである。だから占いは競馬の予想より悲惨なのだ。

しかし、根拠が無くても自信満々、あるいは、調子が良いみたいに言われると、取り敢えずそうしておこうと思うではないか。ドツボは予想が出た時には、何があっても、今日はついていないからなぁと考えておしまいなのである。そんな気持ちだから当たるに決まっているのである。そうではなく、真に当たる予想・予約そ除いて真に当たるかもしれないと感じるのはいったい何故なのだろうか。この何故さが重要で、人の気持ちを知るに伝わる。皆で出雲民族を大事にしようではないか。我が国のまほろばである。ただ、それだけだ。

お久しぶりです

久し振りの3泊4日。名古屋駅に降り立った時の過労感凄まじく、ちょっとハードな日程でありましたな。イノベーションジャパンでは所員一同気合で頑張りましたな。感謝申し上げます。金曜日はビックサイトから西国分寺経由、北府中まで灼熱の中移動し、何と、2泊3日宿舎から一歩も出ず、日曜の15時半に研修所から出るときには「シャバに帰るぜ」などと府中ならではの親父ギャグが出ますな。 

最近は日帰り出張が基本になっているので、3泊のホテル暮らしがきつく感じます。プライベートタイムほぼゼロみたいな感じで、お偉い方々と共に過ごした3日間の合宿研修。学ぶというよりグループディスカッションですので、もうえらいこっちゃ。我が国の国立大学がいかに厳しい状況にあるか、本学、すごくがんばってるぞ~と感じました。更に気合を入れなければと思いましたな。 

中身はお伝え出来ませんが、朝から晩まで、それこそ休憩もなくひたすら修練。多くの方とお話を交わさせて頂き、貴重な経験となり、企画をして頂いた国大協の関係者の方々には大いに感謝です。ただ、もう二度とやりたくないなというのも本音のところで、事前学習からレポートまでこの3日間のために費やした時間は相当。 

休みなくやってきて月曜からまたお仕事。途切れなくきついなと思ったら、人間ドッグの結果も悲惨な状況で戻ってきて、もうなんだかやんなっちゃうという週の頭。気合で乗り切れるか不安ですが、なんとか週末までがんばろうという私であります。