国慶節

国慶節で中国は7連休。建国記念日を強引に土日にくっつけたとしても最大3連休にしかならない我が国より遥かに豊かな国家である。何と7億の方々が旅行をされるという。必ずやってくるゴールデンウイークですな。日本ではゴールデンウイークがクローズアップされているが、季節を考えると良い時期のような気もするが、毎年毎年、飛び石だったり分割だったりと、来年の計画を考えようという気にはなれない。豊かな国家には国民を休ませる施策がきちんとあるのだなと、個人任せの休み方改革では、国民はいつも通り仕事をし続ける。

し続けないと終わらないのだ、いや、し続けても終わらないのだ。恐らく、死ぬまでそうなのだろう。国家の借金はいまや企業の箪笥貯金にまで手を付け、後世の方々は産まれる前から骨までしゃぶられる始末。100歳までは最低限休みなく働き、今日現在においては100歳を超えたら漸く旅行でも如何ですかというのが国民が選んだ政権の主張である。民主主義で選択された生き方であるから従うのだが、従っていると労災認定されるから働いた時間は申告してはならないというおふれもある。はてさて生きるのが難しい国家である。

のんべんだらりとしていていはお休みなど決してやってこないので、メリハリを自ら作り出すしかない。遣り甲斐というものを見つけ出すことが出来れば少しは気持ちが前向きになる。陰口ばっかりで不平不満だけの働き方ではストレスリッチで過労死一直線。自分の考え方と違う、昔は良かったなどと時代の変革を無視するのでは、組織としてはご退場願わねばならぬ。これは自らも常に思っていて、猫の目よりも激しく迫りくる親方にかじられぬよう、先へ先へとかじ取りをせねばならぬ。そうなるとやっぱり遣り甲斐というよりも大波を受けるストレスリッチということか。

昨今の初等教育において、自らの意見を明確に出すこと、そしてそれを認め合うことを体得させようとしている。一億同色で育てられた小生達の時代とは随分と進化したものだと感じる。これは他人を押しのけても自らの意見を通そうということではない。それを肌で感じるには塀の中に居るだけでは無理で、自分よりも遥かに思考力豊かな方々と接し、学び続けねばならぬ。やはり休まることは無いのだ。時にはぽかぁんとしたいものだが、台風25号がまた海の向こうからやってきそうだ。自然の猛威と人的猛威。本当に恐ろしいのはどちらだろうかと、結局は猛威よりも早く働けということなのだろうなと苦笑いする私であります。

台風一過の夜

同じ感想を抱いた方がいらっしゃるかもしれないが、NHKの気象ニュースとネットのウェザーニュースとの「極めて大きな」違い。16時くらいのNHKでは名古屋は最大風速7m程度とTVの情報チャンネルでは出していた。一方、ウェザーニュースでは17mくらいと出ていて、21時くらいのリアルな数字は15m程度だ。AIを使わないで気合を入れているNHKということなのだが、どんなに東大教授の理論で突っ走っても、地球環境を経験的計算値で当てはめようというのが神への冒涜と思う。AIを神への冒涜と言うメディアの方が大勢いらっしゃるが、小生は全くそうとは思わない。単に過去の事例が物語ることを伝えてくれているだけだ。

人類が自分の成したことを経験として残し始めて何年が経とうか。もう一方、理論という、人類の己惚れから得られた自然現象の数値化とどっちが正しいと言われると、精々百年未満だが、経験を信じたい。所詮そんなもんだろう。いばりくさって「これは大丈夫」と作った車の車軸は折れ、ブレーキは効かず、飛行機のエンジンは空中分解だ。それが偉い方々と、それを信じた方々のモノづくりの結果でしょ?

ほんの少し前に、某親方日の丸のお若い天狗君が「加工とは高速性だ!」と己惚れた。ほほう、面白い。天下を掌握するべきかの方々の代表が、高速であれば安く、そして人は死んでも良いという。それが日本だ。それを払しょくせねばならぬ。苦労して血を流して、その結果、安くできて、高価に売る連中だけが正しいという日本の在り方。そりゃぁ、過労死もするって。

お恥ずかしい話、小生も三十数年前はそう思っていた。それが当たり前と考えていた。まだまだ工業製品が出来上がるのが当たり前ではなかった時代、多くの方がそうではかなったか?全く恥ずかしい。今は違う。全く違う。一つ一つ、理路整然として完全無欠のモノを丁寧に作り、それを受け入れて頂けるかただけにご提供申し上げる。休みがあって脳も疲れを癒す時代にならねばならぬ。まぁ、多くの日本人は反対するでしょうけれど、どうぞご自由に。台風の最中、そんなことを思った私であります。