近しい方から「某所で蓄音機の音色を楽しんできました」と素敵なお便りを賜った。良質なSPレコードを追い求めた人生の半分以上であるのだが、このようなお話を頂くのは本当に嬉しい。そのお話を頭の中で反復しながら、エジソンがシリンダ蓄音機で追い求め、そしてキャビネットタイプを構築し、歌手とレコードの聴き比べを行い、半数が判断できなかったと言われてもう直ぐ100年である。音楽を楽しむのに、真実も何も無く、そこには素晴らしさがあれば良いわけだが、真実の音響というオルソフォニックが提唱されて来年で100年である。
蓄音機と言うとラッパがレコードの上で揺れながら、ブリキを賑わす音楽が再生されるというご認識は、NHKの罪だと思っている。TVのビジュアル的にはそれで良かったのかもしれないが、当時の歌手や演奏家が録音技師を納得させなければレコードに音楽を残せなかった時代。真剣勝負の一発録音。その迫真の演奏こそ、ある一定以上の機械で再生されるべきである。勿論それはアコースティックな蓄音機である必要は無く、良質な再生機構を有するエレクトロニクスでも構わない。大切なのはレコードである。
時代劇が廃れて、大河ドラマと言う大ウソが世の中にまかり通るわけだが、まぁ、そもそも時代劇に真実は無いからどうでも良いのだけれど、大衆娯楽としての銭形平次などは愉快であった。野村胡堂氏が音楽人生の顔をあらえびす氏として活動されていた時代、正にSPレコード全盛の時代であって、その時代の方々のコレクションが、ご遺族から一般に公開を始められて久しい。音楽を身近なものにしてくれたレコード文化の華やかかりし時代を伝えて頂き、感謝しかない。
某所の蓄音機も、その時代の「マニア」の方からの承継なのだとのこと。当時、蓄音機は時計屋さんが修理を担当していたと言う事を恩師から伺っている。技術の頂点が時計にあった時代、精密機器に関して、それに手を入れられる人は時計職人の皆様であったと。今のLSIの時代、そんな手に職は残されているのだろうか?AIが絵を画き音楽を作曲する現代において、重く壊れやすいSPレコードなどゴミの如くであろうが、そこには真実がある。AIが生み出すものも真実なのであろうが、SPレコードに触れられる時代に生きて良かったと、今は思っている。