柳ケ瀬再開発

昨日、岐阜に行ったのだが(こればっかり)、駅の近くの開発の目まぐるしいことよ。なにやら、名鉄岐阜駅周辺にドカンとマンションを建てて、柳ケ瀬の南辺りに人を呼び込む予定とのこと。駅の北西にタワーを建てたら殆どがT社系の通勤者が買ってしまって、地元にちっともお金が落ちなかったそうな。その二の前にならなければ良いなとちょこっとは思う。

即ち性善説ということなのだと思う。疑ってそれはやめ様、あれは駄目だと旗振り役が言っていては何も進まない。やってみようかと言えば兎に角何かが動き出す。動き出すはずだ。人生など短いから、なんでこれが出来ないんだと嘆くことがあるとは思うが、そこは一つ、波平さんの年齢を超えても、あぁ、新しく体験することがあるのだなと思えば、何も嘆くことはない。

むしろそもそも生まれた時代背景があまりにも違うのだから、怒るという感情そのものが受け入れられるはずは無いのだ。背中を見て育てなどと、ちょこっと熱くなったとしても、それは全くの無駄である。今日日の若者は他人の背中など見るはずはない、見るのはスマホの画面だけだ。だから怒る感情そのものが無駄、自らのベクトルに向いてくれと思うあなたが悪い。時代「はずれ」だ。

柳ケ瀬に「そろばん」屋さんの大きな看板を見た。そろばんならなんでも揃う。ライバルが離脱していけば、頑張っていればナンバーワンでオンリーワンになる。これはいつの世も変わりそうもない。ロボットが走って階段を駆け上ってくる時代である。人間の頑張りは先を想うことしかないと感じる。人も家も暗いうちは滅亡はしない。右大臣実朝の悲哀を今思う。