電気屋さん

日経新聞を拝見してヤマダ電機がEV販売を手掛けるとあり「成る程!そうきたか」と時代の動きを感じた。そうそう、そうこなくてはということだ。インホイールモーターに電池がくっついて、AIが運転してくれる代物は、最早、自動車整備工場など無用としてくれるわけだ。専用の資格は必要とは思うが、内燃機関とはまるで異なる仕組みになるわけで、街の電気屋さんの生き残りもそんなところにあるかもしれない。

その昔は商店街なるものがあって、ナショナルだの日立だのの看板を掲げた電気屋さんと呼ばれる存在があったのだが、それが新たな賑わいを持つ可能性があるということですな。自らを診断して、エラーが発生しそうになったら、勝手に街の電気屋さんに車が自動で走って行って、予兆診断された部品を交換してくれる。恐らくは、部品の在庫があるところに走っていくのでしょうね。その先がヤマダ電機ということなのでしょう。

修理や車検が電気屋さんというのも痛快である。屋根の上の太陽光パネルから自動車迄扱うようになってくると、生活家電という概念が街と一体化して愉快である。自動車同士がAIで会話して事故ゼロ社会を目指して欲しい。居眠り運転という概念が無くなって欲しい。マイカーという概念すら無くなるのだろうから、自動車関連から税金をやたらとふんだくっていた国家の有り様も変わっていくのだろう。これも痛快である。

スマホが人々の生活に溶け込んで、その生活スタイルを変えてくれたが、所詮はポケットの中の電脳であって、スマホが身体を運んでくれるわけでは無い。既に電気自動車は走るコンピュータではあるが、ハンドルの無い自動運転車が出迎えてくれて目的地まで運んでくれる。体調の管理も自動で行ってくれて、自動車自身だけではなく、乗った者の健康まで見守ってくれる。ヤマダ電機が医局に見えるなんてこともあるのかしら?兎に角、ほうっと思った記事でした。

工学は食糧を供給できるか?

名古屋市から少しだけ東に行くと、豊明市というところに出るのだけれど、畑のど真ん中に物流倉庫が出来たりとか、道路が出来たりとか。一年中草ぼうぼうで、管理をしている人が居なくなったのかなと思ったり。食糧自給率が3割程度しかないこの国で、こんな事で良いのかと思うわけだ。人件費が高くて農家なんかやっていられないというのであれば、すぐさま土地を返納して頂いて、意欲ある人達に食糧生産の場として有効活用して頂きたいわけだ。

肥料の問題や水の問題が大きい事も解っているが、それは旧来の作物に活用されずに海に流れていく肥料が8割以上の状態をキープしようとするからで、そこに何らかのテクノロジーを導入したら如何かということだ。話は例によってそれるが、健康に関するテクノロジーを作ろうとすると、何処からともなくお役所がやって来て、そんなことをやったら病人が減って医者が困るからやめろと言う。波力発電をやろうとすると何処からともなく怖い方々がやって来てやめろと言う。

こんな状況から脱せねばならないわけだが、トラクターによる開墾、圃場整備などはGPSを活用して自動化出来るわけで、肥料と水の問題を何が何でも解決せよという、お役所の背中押しがあって、規制緩和があって、水利権だのなんだの、本来、地球のものなのに個人に帰属させようとする既得権益も壊していけば、食糧自給率などすぐさま上がるのではないか。天変地異があるからそんなに簡単では無い事は承知の上だが、農地が気が付くと工場群になっているのは頂けない。

VRでアバターに仕事をさせれば良いというお話がある一方、食糧を生産するという必要性がゼロになるということではない。ひょっとすると既に薬品接種で食糧を口から獲得しなくても仕事は出来る時代になっているのかもしれない。トラクターとドローンに、加えてどのような機能を加えれば、圃場作業員はゼロに出来るのだろうか?リアルに想像してみる。なかなか面白い。

PCレスキュー

職場で使っているPCが12年選手になって、いよいよがたが来た。当然の事ながらWindows11はインストールできず、10のままアップグレードをしながら使ってきている。残り僅かの職員生活だから、今更PCをリプレースなどしたくない。そう思っていたらCPUファンがお亡くなりになった。しかも謎の壊れ方をして、USBケーブル経由でコントロールしていた精密装置のコントローラが壊れてしまって、いよいよ被害甚大である。

まず取り掛かったのは精密装置コントローラのリプレースである。幸いに、グレードアップしようとしていて、購入していたコントローラ一式が手元にあったので、交換に取り掛かった。不便はあったものの、動いていると面倒が先に立って装置交換をしていなかったのだが、何かのお告げであろうと交換してみた。すると、予想通りに動かない。意味不明な説明書を読み込み、設定をいじり、ローカル駆動が出来るところまで辿り着く。

機械とネットワークを繋ぐわけだが、これにはいろんなお作法が必要で、まぁ、あれやこれやと過去の積み重ねを吐き出してみたら、ノートPCから制御可能になった。こうなってしまうと、今度はデスクトップPCの整備がおろそかになってくる。人間とは何と横着なのだろう。しかしながら、デスクトップPCに入っているデータが欲しいわけで、なんとかCPUファンを入手して駆動させた。

丁度、Windowsアップグレード中にお亡くなりになったものだから、その過程で立ち上げたら、なにやら青い画面から真っ黒になったり、あぁ、絶望感ということで、諦めかけたところ、なんとか立ち上がってくれた。データバックアップ用のNASを用意して、なんとかデータを吸い出せて、ご臨終になってもなんとかなるだろうというところまできた。PCは所詮は箱なのだけれど、長く使うと愛着がわく。大切に使わせて頂こうと、綺麗に拭って微笑んだ。

教育万歳

教育論というものがあって、中国から官位が伝わってきた時に伝来したと言われていますが、その原本を拝見したわけでは無く、ガマの油売り大学で教員コースの講義で学んだだけだ。個性的な先生方の講義は今も目に焼き付き、耳に残っている。先生方の身振り手振りがビジュアルで浮かんでくる。オリジナルの素晴らしさということなのだろう。全ての先生がそうであったわけでは無い。しかし、確実にいらっしゃった。

元教員となって久しく、教育業務はご法度なわけだが、依頼を受けて特別講演という形でお話をさせて頂いた。ややこしい話は飛ばしてしまうが、技術経営コースでの講座なのだが、やりたくてそこに居る人達だけの集まりに向かって語らせて頂くと、消費したエネルギー以上がこちらに跳ね返って来て、益々、体温が上昇してくるのを感じる。上昇し過ぎるとあちらに行ってしまうから、受けたエネルギーを更に増やして聴衆に跳ね返す。すると更に強いエネルギーが嵐の如くに身体を叩きつけてくる。心地良い。

僅か45分であったが、最終講義の場を頂戴し、こんなに有難く、そして忘れることが無いであろうその瞬間を共有させて頂いた学生諸君と、先生方に心より御礼を申し上げたい。教師に成りたくてなったわけではなく、恩師が勝手に決めた道なのだが、いつの間にか熱中できる天職となっていたのかもしれないなと、激しく疲労した自分を振り返って実感した。辛くて厳しい道のりであったが、それが性に合っていたのかもしれないと初めて思った。

まぁ、聴かされる身になってみると、宇宙人が宇宙語でまくし立てて、こんな生命体が地球に居たのだと珍獣に出合った気分であろう。驚天動地、阿鼻叫喚では無いが、そんなスペクタクルを味わって頂けたかもしれない。ドーデ―が「フランス万歳」と主人公に板書させた気持ちが分かった気がする。教育万歳。それに尽きる。

ここまで

気の良いおじさんはもう辞めた。我慢の限界を超えたというわけでは無いのだけれど、もう良いのではないかなと、そう感じたわけだ。天下国家にこうなって欲しい、組織力を最大化させて頂きたいと必死に汗をかいてきたつもりだが、それは勿論、個という限られた範囲であって、気に入らないのは当たり前だし、気に入って欲しいとも思わない。時代が変わってきたのだからそろそろ隠居ということだろう。それはそれで良い。

「君達はもっともっと幸せになれる」と次世代にエールを送った太宰の気持ちがわかるお年頃になってきたということかもしれない。内的要因ではなく、外的要因に屈する組織が哀しくなったというだけだ。そもそも論、俗人性が強すぎてはいけないということだろう。ただ、やりたいと思ってやったことは無いのだ。やれと言われたから、やらせて頂いてきた。全力を出してきた。うまくいったことも、思った方向にいかなかったことも当然ある。外界からお声がけを賜っているのだから、外的には間違ったことをしてきたわけではあるまい。

先日、とあるNPO法人の理事殿にお会いしたのだが、コロナ禍で猛烈なダメージを受け、更に「想い」や「機能」を隠すリーダーの退任がその最中にあり、事業承継がえらく大変であったと伺った。数億の減収になり、人的資源の確保は当然のことながらできず、コアコンピタンスも分からない中、経営に携わりてんてこ舞いの状態であると。批判するのは権利であるから当然の行為。しかし、明智光秀はいかん。

嫌だから滅ぼそう、後は知らないということにならないか?大きな転換には思わぬことが付随する。まぁ、お手並み拝見なんだけど、織り込み済みであったとしても、思わぬほころびを生むものなのだ。満点は無い。無いから発展するのだけれど、及第点以下だと滅びしか無い。無理を通せば道理が引っ込む。当たり前のことなんだけどね。土日なく働いていると頭が沸騰してくる。何とか冷やしたいものだが、なかなか難しい。そんなもんだ。

受益者負担

受益者負担って言うのは簡単なのだけれど、負担の部分がどの程度かにも依る。少子化対策でお金をばらまいたとして、受益者は将来の日本を背負って立って頂けるのか?お金を出したらいきなり子沢山日本が復活すると思ってんですかね?自分自身の小ら設計すらままならないのに、お金と引き換えに人口増やせってどんな命令なのだろう。

それに比べて防衛費の方が何となく解り易い。国家国民を護るのにはそれなりの設備品が必要だ。だから税金から吸い上げますというのは納得できるのだ。全ての民が均等に責務を果たし、そして見返りがある。受益者としての負担は当然だろうという事だ。世界のバランスを見ながらどんなところにお金を使うかということは正に国家レベルのお話だ。

話が飛んだが、どんな未来社会があって、そこに生きる人達にはこんなサービスを実現したい。だから、日本の将来への投資として国家国民を挙げて支援しようと、そんな大所高所からの導きが必要なのだと感じる。それは全く聞こえてこない、感じない。増税したら選挙に落ちるからということが大前提であり、必要な増税を悪と捉える教育レベルの低さも嘆かわしい。

女性活躍の順位もどんどこ落ちていく。政治と財界のポジションということなのだけれど、それもその上位に就きたいという意欲を掻き立てる社会構造になっていないことの表れであろう。小生の周りにはミサイル級の方はいらっしゃるのだが、まぁ、滅多にいらっしゃらない。ガソリンの補助も打ち切っていくから、どんどんと全ての物価が上がっていくだろう。高物価薄給の国家において、受益者負担は正しい考えだ。為政者は断行するべきだ。

水素はやってくる

原子炉の高温動作で水素をじゃぶじゃぶ発生させようというプロジェクトがあるわけだが、原発の良し悪し議論をすっ飛ばして、水素さえあれば良いという風潮はどうなのだろう。まぁ、とは云うものの、水素燃料電池の高効率化がドンドンと進み、水素燃焼エンジンも実証段階は突破したように見えるので、何が何でも水素をじゃぶじゃぶと発生させるという取組は間違いでは無かろう。

インフラを変え行動を変える必要が出てくるが、行政の動きが全く見えない。旧態依然が良いのだという日本古来の風潮というか、変わる事への拒否反応というか。ボスが下知して言いたい放題、やりたい放題が好きな文化。ボスのお仲間同士が慣習的にその当たりをとりしきって気持ち善がる厭らしさだ。水素燃料が主流になれば、ガソリンの既得権益が無くなるので、環境に良くても反対とかね。

水素じゃぶじゃぶは必ずやってくる。いろんな問題はあるものの、それが良いと分かっているし、水素原子は宇宙空間で最も豊富にあるしね。地球上には水という形で主に存在しているけれど、宇宙空間に解き放たなければ無くなるものでは無いし。窒素とくっつければアンモニアに向かっていって肥料になるし、炭酸ガスと反応させればギ酸になって化粧品や薬品になるしね。

石油由来のエネルギーで産業革命が起こったわけで、それが水素由来になっていく過程で、単に掘って使うところから作って使うという人間本来の活動になってきた感じがするわけだ。世界の動きはとても速く、その速度感覚に日本は付いていけているのであろうか。何時まで経っても批判ばかりのマイナカードとか見ていると、失敗を許さない旧態依然の石頭に辟易する。失敗を恐れ石橋を叩いている間に、世界は空を飛んで行った。そんな気がする毎日である。

インドネシア

陛下がインドネシアに国賓として招かれていらっしゃるとのこと。赤道近くの灼熱の国を訪れたのは10年も前であったかと、自らの老人化を納得するところである。日本で言うところの赤門大学に相当する大学において開催されたインドネシア-日本・総長会議なるところに代理で出席させて頂いたものだ。シンガポールを経由してジャカルタに入り、そこからジョグジャカルタまで「コモドオオトカゲ」がプリントされた飛行機で移動した。

印象に残っているのが古都ジョグジャカルタの意味。ジョグジャが平和、カルタが街。平和な街という意味の街であると伺った時、日本のように街の統合で名称を安易に変えるということはない。植民地支配を受けていたことを忘れない為なのかもしれないが、国民の想いを一つにしていこうという意識を感じ、感動した。

そして大学においては、学生には自転車をレンタルし、学内において重量物を運搬する際には、電気自動車で搬送するという「ブルーキャンパス構想」を10年前に既に実施されていた。自分達の街を任せる若者を育てる大学の有り様を、国がしっかりとサポートしている。そんな国家の想いを感じた。当時の資料で恐縮だが(出掛ける前に調べた資料があるので)人口2億3千万の1/3が若者であるという、若者の活気にあふれた国であった。

日本を顧みると、若者がどんどんシュリンクしていく。ガソリンエンジン車はどんどんと増え続け、煤煙をまき散らすことを止めない。自転車通勤時にコロナ禍のお陰でマスクをするようになったが、呼吸が極めて楽になっていることに驚く。マスクをした方が呼吸が楽という現象に驚かされる。ブルーキャンパスなど遥か彼方。陛下のご訪問によって、両国の絆が太くなっていくことを願うばかりである。

教育は国家百年の計

ちょっと前に話題になったけど、昨年中の出生数が80万人を割り込んだ。17年後にその人達が受験するわけだが、大略60%が大学進学志望という、現状の数値を当てはめると、20万人程度、現行の大学から学生が減る勘定になる。すると財務省的には、大学は200校強、要らないでしょとなるわけだ。大学教育と経済活動をリンクさせないとそんな考え方になるし、そうなってしまっているとするならば、国家としてイノベーションの土台となる若い人達の教育は要らないと思っていると考えたくなる。

従前より、一人をオールジャパンで育てていく体制になっていかないと、大学教員側も質が低下するのではとお持っている。研究室ってとても良く出来た仕組みであって、毎年、二十歳過ぎの若者がやってきて、まるで異なる人種体験を始動側はするわけだ。若者の思考の面白さは計り知れず、その面白さを引き出して、更に知恵を載せていって、次世代のあるべき姿を更新していくことが大学のあるべき姿なのだと思う。

地域の大学、世界規模の大学とか、本社はいろんなレッテルを貼ってくるが、大切なのはそこで学ぶ若者が、近未来に経済活動に従事して、我が国を背負って立つという意識を持つことだ。当然の事ながら、大学だけに背負わされてもそれは的外れで、三つ子の魂百までだから、お母さんのおなかの中からもう既に教育が始まっていると考えるべきだ。高大接続などと言っていないで、少なくとも小中高大接続でなければならない。大学入試が変われば高校は変われるとか、責任の押し付け合いは止めるべきだ。

物真似万歳、図面万歳の経済国家に、イノベーターは無用ということか。今の企業はもう変わらないから、ベンチャー云々言い出したのかもしれないが、ベンチャー君達が関われるビジネスの範囲はそう簡単に大きくならない。ビルゲイツ氏が蛇口から出てくる水の如くと考えているような首相の口ぶりだが、そんなに簡単なわけは無い。お互いが影響し合う

解放自縛モードへ

以前よりも不幸なことが起こり始める。悪夢を見るようになり人が離れていく。それはご先祖様が離れていったからだと、極めて近しい人とそんなことを学んだ。ご先祖様が怒っていると頭を何かに強打するそうだが、庭木の剪定をしていたら、ガツンと木の棘が頭に食い込んだ。ずっと使ってきたアイロンが壊れて、Yシャツのしわ伸ばしが出来なくなった。う~ん、なんだかろくなことが無いなとちょっと神妙な気分になる。

面白いもので、その前には急に観音様だの文殊様だの神仏詣でがしたくなったりと、まぁ、そろそろ人生の終焉の時期だなと感じる意識が沸いてきたり、鈴の音が頭上から聞こえたりと、いよいよ怪しい気の流れがやってきたのかなと思ったりしていた。土日が無くなって、心身ともに不健康みたいな状況が襲ってくるしね。ちょっと申し訳ないが、気の良いおじさんは止めにしようと思っている。

壊れて困る家電製品の筆頭が冷蔵庫だとは思うのだが、今使いたいアイロンも、壊れてしまうと変わりのモノが無いだけに、これは困ったことになるなと実感した。まぁ、ウルトラ高価という程のものでは無いから、ネットでランキングなどを調べて、珍しく店舗購入に向かったわけだ。不幸の呪縛は強力で、2店舗巡って欲しい機種は無く、3店舗目で漸く出合った。ご先祖様の怒りの呪縛から解き放たれたかなと思って使ってみると、その使い心地の良いこと!

ものは考えようとは言うが、一旦、暗い思考モードに入ると、容易に復活できるものではない。しかし、何時までも自縛しているわけにもいかない。来週は気の良いおじさんのせいで、自らを苦しめる出来事を呼び寄せているしね。そんなことからはもう自らを解き放とうと思う。他律機能は、本当に捧げたい人だけに使わせて頂きますので悪しからず。