7月が終わります

気が付けば7月が終わってしまう。小学生達の夏休みは残り一ヶ月しか無いということだ。その昔、もう、思い出せないくらいに昔だが、一ヶ月はやたらと長かったような気がする。夏休み以外の一ヶ月のお話だが。つい先日、お正月という状況であったはずなのに、既に7月が終わるとはどういうことだ。何らかの締め切りを毎日抱え、締め切りが積分されて、完全なマヒ状態だ。宿題と違うのは解くべき問題も自分で考えねばならぬことだ。大人が生きることはとても厳しいと、ガキの頃は分からなかった。

与えられて解く。機械と材料があって、買ってくれる人が居るから何かを作る。それが未成熟社会の有り様だが、成熟社会になっていくと、なかなかもってそうはいかない。10万個の部品の発注は今日までねと、上位の会社に言われれば、もう真っ暗闇。これは小学生には無い出来事である。真っ暗闇感覚はあったかもしれないが、それでも向こうに灯りが見えた。

見える灯りが無いならば、自らが灯さねばならぬ。それが大人の世界というものだ。むしろ、灯りが無いからこそ、進む価値がある闇である。闇に出会うことは素晴らしい。誰も歩んでいない世界ならば、どんなに恐ろしく、危ない領域であっても開拓するべきである。誰かが行ったら付いて行こうなどと悠長なことは言っていらっれない。進めば良いのだ。

ただ、無理はいけない。無茶は良いが無理はいけないのだ。無理を通せば道理が引っ込む。命の道理を引っ込めてまで無理をしてはいけない。無茶は笑えるが無理は怒りと憎しみだけを連れてくる。そんなもんだ。

台風一過

名古屋の南東部地域に限って言えば、急ぎ足の風台風というところでした。様々な地域で大きな爪痕を残した台風でしたが、先の破壊的大雨の記憶も新しく、国民の自然の驚異への備えのレベルが上がったようにも感じられる報道が少なからずありましたが、なんでまた?ということも無きにしも非ず。自然の猛威には勝てるはずが無いのです。Google Mapでも何でも良いので、地球全体を見て下さい。そこから自分の足元を見て下さい。どうやって、この大地に勝てますか?

太陽の猛威も凄いですな。日曜日、お昼少し過ぎまでは晴れて暑く、ぐんぐんと水蒸気が上がっていて、これは来るなと思った矢先、土砂崩れのような雨が瞬間降ってきました。本当に瞬間でしたが、これが最近の気象現象の姿と、2,30年前とはまるで違う空の景色に、ある意味、見とれてしまいました。地学部を作って気象を学び見上げた空とはまるで違う。多くのセンサ情報をネットで見ていられるから、多少の安心感を得ているものの、これが全くの暗中模索であったならと恐ろしくなる。

それにしても名古屋地域と言うところは、希な水害はあるにせよ、台風という輩の直撃を見事に避ける、天然の要害だなと、熱田大地に名古屋城を築いた先人に敬意を表しますな。淡水があったところに人が住み着いていったわけだが、西暦2,300年には既に熱田の南に拠点を持っていたことにはなっているが、古墳などの状況を考えると、もう100年くらい新しいような気もする。宮崎から来た一族ではあろうが、3本の大河を要し、肥沃な平野と海は極めて貴重な領土となったことだろう。

昨夜は台風一過の澄んだ空に大きな月が現れて、昨夜の大風のことなど、それこそどこ吹く風、過去の出来事など思い出させることもない。昨日のことを思ってしまうのが人の常だが、猛烈な勢いで世界は進んでいる。その流れはあるものの、やはり丁寧に一つ一つ仕上げていく気風は忘れてはならないと、訪れた大転換の機会をどのように捉えていくか。再び灼熱の一週間の初めに思う私であります。

台風12号が来ます

台風が来るかもしれないと書くのが良いのか、台風の影響を受けそうだと書くのが良いのか。意識したことは無いのだが、後者の方がこの週末は適していそうだ。シミュレータの高度化によって、かなり細かい雨量予測が出てきているが、まだまだピッタンコというレベルでは無いから、予測を鵜呑みにしての行動は危険である。

先日の大水害から左程日にちが経っていないので、先の罹災地のありようがとても気になる。愛知県はほぼほぼこの数年、巨大な災害には見舞われていない状況にあるが、今回の進路予測では進行右側にあたるので、どかんとやられるかもしれない。高潮にも注意しなければならない季節であるからこれまた気になるところである。

台風というよりも、やはり思い出すのは名古屋の大水害であって、大学から一歩も出られない程の、滝の様な雨は忘れることは出来ない。今回は台風であるので、広範囲に降り続く可能性があり、川の上流での雨量によっては排水処理能力を超えるかもしれない。そうならないことを祈るばかりである。

土日であるから、宿舎に籠もっていれば良いのだろうけれど、まぁ、読書でもしていようかというところである。温暖化の影響で海水温が高く、日本に近づいてもパワーを落とすことの無い台風。名古屋近傍までパワーアップし続けてやってくるだろう。要注意である。名古屋では夜半から雨になる予報である。早めの帰宅が肝要である。

火星に水

火星に安定して水が存在するのだそうだ。氷点下68度だけれどもカルシウムが高濃度に溶け込んでいて液体の状態で存在しているのだそうだ。火星は一度も大衝突を起こしていない、初期太陽系の姿を残していると言われているが、と、なると、太陽系が出来た時から既に水があったということになる。極めて愉快な結果で、なんだか、そこいらじゅうに生命なるものが存在して居そうな、そんな気配である。

宇宙がどうのこうのという前に、砂漠をなんとかしろというお話もあるが、NASAの地球環境状況報告がとても面白かったのでご紹介である。1880年以降の30年平均気温から、現在、大略0.8℃の平均気温上昇が観測されている。その原因がなんなのか、様々な憶測が飛び交っていて、温暖化ガスなんて関係ないというお話もあった。小生も太陽活動の「たまたま」元気な時期にあたったのかくらいに思ったほどだ。

様々な観点から、太陽の元気さ、即ち、太陽から届く光そのものの影響、火山活動の影響、森林伐採の影響などが個別に評価されて、結局のところ、これらは関係ないということが極めて明瞭に定量化された。そして、確実に影響があると出てきたのが温室効果ガスの影響である。平均気温の上昇カーブと、大気中の温室効果ガスの上昇カーブがぴたりと一致するのである。

ただ、これとて自分で観測したわけでは無いから、ガセネタなのかもしれないが、まぁ、そうだろうなと納得するしかないのだろうなとは思った。カリフォルニアでは50℃を越える気温が観測されているが、日本の40℃の夏は来年も確実にやってくるということが学術的に証明されてしまったとも言える。火星の氷点下68度の涼しい環境とは裏腹に、地球では灼熱の夏が続く。人為的だということが恐ろしい。人類は耐えられるのか、それが妙に気になるところである。

間もなく量子コンピュータ

窒化物半導体製品製造拠点が東山の大学に出来た。関係各位とお話をさせて頂いたが、こんな機会に出会うことは普通はあり得ないと、中堅研究者が語ってくれたことが妙に嬉しかった。極めて希な機会に出会うことを、当たり前と思わずに、感謝に転換していくことが出来る資質は、持って生まれたものだろう。言って育つものではない。

努力で身につくものとそうでないものがある。それこそが個性であって、もしも他人への嫌がらせという個性でなければ、それは尊重されるべきだ。訓練して身につくものは、恐らく2,3年でやってくる量子コンピュータの時代になれば意味を成さなくなる。仕事のあり方は劇的に変わるだろう。規定を作る等、人工知能に任せれば良い。つまらない講義の担当も同様だ。暇になりそうだ。

この量子コンピュータの出現も折角の機会なのだと思っている。天気予報はますますもって外れなくなり、様々なビジネスが産まれるだろう。予測では無く、未来を決定してくる。タイムマシンである。プロ野球などは練習風景を学習させたら期末の結果を出してくれるので、無駄なTV中継などが無くなって良いかもしれぬ。

要素技術を製品に展開していくことは、開発力を失った企業群にとっては、これまた良い機会であろう。要素研究は借り物でやって、商売は自力でやる。少しは競争力が増すように思う。今のところ、さほどの性能では無いが、そんなものは直ぐに解決することを歴史は語る。安いから異物同士を組み合わせる。出だしはそうだ。しかし本物がやってくるとそれは淘汰される。歴史の通りだ。

火星

地下鉄の駅から南に向かうと、間もなく最接近の火星がでかい。前回の最接近の時にも意識していて「でかい」と思ったのだが、久しぶりに出会う近くの火星は月にはそりゃぁ負けるが真っ赤にでかい。人工衛星が地球が出来る頃をイメージできると想定している小惑星に近づいて、電波で情報を送ってこようが、肉眼で見る、一度も再衝突を経ていない、原始太陽系の状況を維持する火星を、例えやたらと遠いところにあろうとも、肉眼で見る迫力の素晴らしさである。

考え事をしながら空を見たら、それこそギラっと赤く輝く火星に目を奪われた。皆既月食という天体ショーを間近に控えた月の煌々たる輝きも、滅多に近づかない火星の煌めきに比べれば当たり前感が極めてでかい。人間の行いが如何に小さい事かと苦笑いである。最接近というわけではないのだが、その日に出会えるかどうかはわからないので、ここ数日、意識して空を見上げるのが良い。

星々は昼間も無くなっているわけではなくて、太陽に隠されて肉眼で認識出来ていないだけなのである。あるのに無いと認識しているだけ。人はすぐに他人を批判するが、それは自分の目に自分が写っていないだけのことであって、自らが見えないから、見えるものを批判してしまう。賢者は自らが見えているから反省しかない。

肉眼で隣の星を大きく感じるのは普段は月くらいなのだが、火星が「ばぁん!」と大きく見える様には感動する。いや、小生は感動するというだけで、馬鹿じゃないのと思う人がほとんどだろう。宇宙は偶然の産物であるが、それが輝いて見える時、同じ光源の下に存在している星同士なのだと思うと、なんとも美しさを感じるのである。孤高であること。、かくありたい。

背中合わせ

ほんの少し前、恐らく先週だったのではなかろうか?仮想通貨が世界の当たり前になり、コンビニを中核として、公共交通機関が発展していったら、洗濯も食品も保存なんて概念が無くなって、常に新鮮な食品流通に向かって、そんでもって医療費が削減・ゼロ社会になるんじゃないの?とおしゃべりをした。もしも保管庫が必要であってもそれは食材を放り込んでおいたら、ネットに接続された環境で、コンビニでビール買って、宿舎に着いたら冷蔵庫でピザが焼けるみたいな。

そうしたら既にあるんですね。Heating and Freezing at a Timeですと。常日頃、実感しているのは何かを思いつくと、世界で同時に3名が思考し始めて、ゴールに到達した奴が結局は勝つって図式。このスピード感が完璧に皆無、所謂全くやる気ないってのが日本企業かな。挑戦ゼロの日和見主義。個人の影の努力が給与に反映されない日本型革新的労働環境。挙句に賭博で銭を使わせるくらいしか思いつかない。脳の退化が大好きなお国柄には呆れかえる。

何も、冷蔵庫がオーブンや電子レンジに成ることが日本から製品化されなかったからここまでぶぅたれているわけでは無いのだが、個人的には産業戦略工学専攻があった時代からしゃべっていたことなので、それが実現したのだから喜ばしいのかもしれないが、相反する出来事が背中合わせから面合わせになると、思いもよらないビジネスって出てきそうだなって思うのです。まぁ、冷凍食品の解凍を電子レンジで従来からやってきたのだから、破壊的イノベーションというわけでは無いけどね。でも本格調理ロボットの第一歩だなとは感じます。

目指すべきは医療費ゼロ国家だと本気で思う。産業自治を体験し、先進国と言われた国家が目指すのはそこだろう。人が人として助け合い、笑顔で過ごす社会のゴールの在り方だ。まぁね、人間がちょちょっと台所に立てば良いだけなんだけどね。その「ちょちょっ」がこれからどうなるのかなと思った時、背中合わせを顔合わせに変えていくことで生まれる価値って、頭を使う点において面白かろうと思っている私であります。

愉快

カジノが出来て無限に働けて、そんな法律がどんどん通る。国民は減るのに、議員はばかすか増える。意味不明のこの国の行く末は極めて暗い。熊本から名古屋への車中「滅びるね」と主人公に働き掛けた漱石であるが、まさにその方向にまっしぐらだなと感じる。徒党を組めばなんでも許される。孤高の人は石をぶつけられ粉砕され消えていく。そんな世の中であってはならない。

昨日、久しぶりに「こだま号」に乗車した。普段、「のぞみ号」だけを使わせて頂いているわけだが、ぐんぐんと加速していく、その感覚が無い。おぉ、成る程、各駅停車ってこういうことなんだと、なんだかおもしろかった。いろんなお話を頂くためには、全力で突っ走っていてはいかんのだと。人間には人間の速度がある。各駅停車、良いものである。

数十分で新幹線を降りるというのもなんだか愉快である。地下鉄に乗車しているよりも短い時間で、圧倒的に距離を稼ぐのだ。時間を売っている。それが新幹線と言う代物だろう。これまた極めて愉快である。誰もが平等であるはずの時間を販売しているのだ。自分で操縦することなく、金銭で連れて行ってくれる。大いに愉快である。

月曜日がお休みだったから、4日活動したら休日がやってくる。これも大いに愉快である。愉快ばっかりで週末を迎えるのは幸せなのだが、今日もお出かけでお話をしないといけない。なんでこんなことになってしまったのかと、ちっとも愉快では無いが、命を頂いたことに感謝せねばならぬ。そう思う。

兎に角暑いぞ

何も言う必要はないが、百葉箱の中で40度を超えるお土地柄が名古屋のご近所にある。40度であって、4度ではない。最早、わが国では、気温と呼べない領域の気温帯が、極めて身近にあるのだ。太陽のエネルギーの物凄さを知るだけなのだが、具体的に40度を超えていますとネットなどで見るのだが、鶴舞のキャンパスにおいても、アスファルトジャングル的にはそれを遥かに超えるのだろう。昨日は、正直、暑かった。

蝉の声もなんとなくだが静かに感じる。まぁ、これに関しては時期のこともあるので、蝉が暑さに屈しているということではないだろう。それでも焼け付いた大地に穴を開けて地上に出てくるのは難儀であろう。かっちんかちんの真っ白な地面をみると蝉の頑張りを応援したくなる。抜け殻に拍手したくなる。

暑い暑いばっかりだとなんのこっちゃとなろうが、365日の内の出来事だから、まぁ、暑い暑いで良かろう。山から下りたら温泉にいくのだが、サウナよりはるかに暑く感じる。焼け付いたアスファルトから上がる熱気は、中華料理でも作ってみるかと立つ、台所よりも厳しい。

まぁ、それでもいずれ収まるのは分かっている。だからこの暑さを楽しんでいたりもする。するのだが、エアコンの無い外回り仕事はやはり厳しいのだ。昨日も今日も、そして明日もだが外回りはお仕事なのだが、この季節はなかなかにして厳しい。さらりと笑顔で返すのが粋なのだが、今日もそれが出来るかどうか?粋で鯔背なとは言うけれど、刺?などはもってはいない。気合で過ごす一日だが、皆さま、日射病にはくれぐれも気を付けて、水分沢山取ってくださいませ。

東海地方考

紙と鉛筆だけだからお金は掛からないと、天高らかに仰る偉人がいらっしゃる。全ての知識を自ら生み出し、他を参考にすることも、他から学ぶことも何も必要なく、全てを生み出されるのだろう。凄まじい能力だ。当然のことながら、図書館もネットも不要なのは当然でしょうね。お金が掛からないと仰るのだから、世の中の学術雑誌も学会活動も一切合切不要なのだろう。

まぁ、そんな事を言い張っても仕方がないのだが、要するに誰もがお金を知らぬ間に使っていらっしゃいますよということなのだ。電車に乗る。そのネットワークもモーターを動かすコントローラもお金が無いと動かないのですよ。そりゃぁ、巨大で数億円もする装置を直接は利用にならないかもしれない。しかし、携帯電話の電池ですら、そんな装置を使った研究から実用化まで到達しているのです。

他人のふんどしで儲けることを考えて、弱者に開発を無償でやらせ、上りで暴利を貪る企業のなんと多いこと。そんな方々の人の見下し方の恐ろしさよ。大学なんて何にも価値を生まないのだから、その成果は我々がタダで使ってやるから喜べとばかり、情報をかっさらいにやってくる。知恵を守らねばならぬ。人は財産である。

共同研究という名において、全てを持っていこうとするのではと恐怖されるのだが、海外企業よりも足元・地元の企業のほうがよっぽど怖い。何でも自分が生み出した如くに振る舞い、みんな持ってく。そして何も残らない。そんなことが繰り返されてきたわけだが、もうそれは辞めにしようではないか。研究には金が掛かる。いやらしい言い方だが真実だ。知恵を生み出した努力に正当な対価を支払わず持ち逃げする。もう少し、学問を大切にして頂けないですかね、世間の方々。頼みます。