当たり前なのかもしれないけれど、なんというか、生きることへの執着と、なんというか、欲の葛藤というかね。他者を葬ってまでも自分だけは生き延びようとかね、敵失を欲したりね。そんな状態にあって、ビジョンを語れないと、どんどんと焦りと言うか、ますます功を焦り執着と葛藤が色濃くなっていく。色即是空空即是色。見事な八文字であるといつも思うのだが、他との比較はノーアイデアの裏返しだし、今ではなく未来でありたい姿を思い描くべきだと何故、気が付かないのか。
未来へのバイアスもあるのかもしれない。学び続けない者は日々落ち続けるわけだから、努力し続ける者を引きずり降ろさないと、今すら獲得できないわけだ。最近、大流行のネタの一つが103万だか106万円だかの税金控除の壁なのだが、そもそも論、男子が表で働いて、女子は家庭に籠って子育てしていろという貧困な知性から生み出された政策であるのだが、それを未だに愚かな国民は守り続けようとしている。労働対価の賃金において、その場を維持する国家に納税せよということなのだから、そもそもそんな定額控除の思想そのものがバカの戯言である。
戯言論者にバカ呼ばわりされたくは無かろうが、事実であるから仕方がない。必死に今を生きる場が与えられているのであれば、正しい政府に対してであれば納税は当然である。生きる場はそこだけではない。ビジョンの中にこそある。与えられた地位や、金銭に拘泥する愚かさをかなぐり捨てねばならぬ。到達したいビジョンを高め続け、生きる意欲さえあれば良いことに気が付く。
他人のふんどしで相撲は取れぬ。一方、自らのふんどしで相撲を取っている輩を見るのは哀れで仕方が無い。哀れで気分が悪ければ退場するのが最良の選択肢である。ものづくりの時代は遠く去り、ことづくりも幻想である。ことを活かせる場をビジョンとして描き、そこで溌溂とことを成す若者と、ものづくりを成す。場づくりこそ生きる理由である。執着と葛藤を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。