納会日

昨日は突如吹雪いたり霙だったり、夕方には赤い空だったりと、それでも夕暮れ時は冷たい空気感。まぁ、冬なんだから、年の瀬なんだからと言えばそれっきり。一言でいえば寒い昨日でしたが、今日はそのおこぼれくらいの寒さで、年末まで一段落らしい。31日は雨が降るかもしれないという、年末年始が妙な天気になるのはあんまり記憶にない名古屋市ではありますが、今年はちょっぴりお湿りがあるかな。インフルエンザ予防には良いかも。

日めくりカレンダーは使っていない。使っていた時もあった。あれは毎日めくらないといけないので、そのしなければならない感が嫌で、近年は使っていない。毎日、毎週何かをしなければというのが嫌だ。ましてや、毎週何時にテレビの前に集合みたいな、大河ドラマなど大嫌い。そもそも脚色がひどすぎて、謎の美化には吐き気がする。西郷なんてもんは天皇を騙って天下を盗んだ大罪人だが、それがNHKという国民から銭を集めて運営される主役になるというのだからあきれ返る。もっとも、今年は男子だったもんが女子と騙られたのだからそれよりはましか。

日めくりカレンダーではなくても、赤い31日の文字に向かって突き進んでいるのは間違いない。年々、1年間の長さが短くなってきているが、来年はどうだろうか。来年を語ると鬼が笑うらしいが、その鬼もなんだか年々優しくなるようで、笑ってもくれない。浮世の鬼がドミノ倒しで迫ってくる毎時毎秒だが、笑ってる鬼には出会えない。みんな真剣に襲ってくるから質が悪い。退治するより逃げる方が楽なのだが、逃げ道なく追い詰められるから仕方が無く退治する。これがまた、面倒だ。

地球と太陽の関係だから、朝が来れば夜が来る。永遠に暗いのかと思ったら、白々しく夜が明ける。明るい道は良い。しかし明るければ必ず暗くなるのが世の習い。であるならば、暗くてもそれで良い。人も家も暗いうちは滅亡はしないと右大臣実朝は語ったが、暗いうちに暗殺されたのだから世話は無い。来年も同じことを語るのだろう。一歩一歩である。それだけだ。

遺跡?

自然との共生という点において、先祖である縄文時代の方々に学ぶところは多い。共同で生活をし続け、地域間の交流・交易もある。独自の文化を創り上げ、三内丸山などは千年以上の固定集落を営んでいる。同一のDNAを持つインカの方々もその時代、1000年を超える戦の無い時代を築いていた。ノアの箱舟伝説を生んだ最後の大氷河期が終わった後の、海面上昇が終わった気候温暖の頃ということもあろうが、人間、やれば出来るじゃないかとそう思わせてくれる。

遺跡ファンというものではない。どのように共同生活を営んでいたのか、そのキーとなるものは何かを考える対象としているだけだ。三内丸山は今から5千5百年前から4千年前までの遺跡であり、その後、集落が打ち捨てられたことが判っている。三内丸山は国の特別史跡(言ってみれば国宝だね)になっていて、縄文時代と言えば三内丸山遺跡と言わる程だが、縄文時代から平安時代まで連続して栄えた場所だってある。今年の私的な学びの旅で出かけたが、キーは滾々と湧き続ける「水」ではなかろうかと感じさせて頂いた。勿論、土地の肥沃さは重要だが、水が無ければ農耕は不可能だ。縄文の後にも栄え続けたのは、西暦元年頃の出雲王朝との関係もあったからかもしれないが、王族も住み着くくらい、環境が良かったということでもあろう。

登呂遺跡は弥生の遺構として有名だが、集落の復元状況を見れば、今よりはるかにおおっぴろげで、プライバシーなどどこ吹く風だ。隣の悪行は直ちに知れ渡る。それを突破すると悪行をするより善行こそお互いの幸せのキーであるところに行きつくだろう。声高に叫ばれる助け合いということなんだろうけど、そんなことを叫ばないといけないような世の中にしたのが現代人種だ。我儘では無いお互いの善行。自分さえ伸びれば良いという勝手な考えではなく、普通が明日もやってくるという緩やかな進歩。間違ってはいけない。エントロピーは自然に増大するのだ。環境は常に悪化するのだ。同じ明日を得るためには、それなりの思考と行動が必要なのだ。

丁寧にものづくりを続ける。その丁寧の根幹は素材をきっちりと創り込むこととその特徴を最大限表出化させる加工こそがキーだ。縄文時代に既にヒスイを磨き、穿孔し、ネックレスを作り贈り物にする文化と技術があった。より人のためと心を尽くす文化を支えるのが技術の進歩だ。核ミサイルで自衛しあう国同士の集合体の地球に何故なったのか?これも研究テーマではあろうが、それは他人にお任せだ。身近なところから結束と平穏。難しいが、そのうち、成果がでよう。呑気だがそんなもんだ。

今年の流行りについていっていない

ビットコインもスマートスピーカーも未だに導入していない。ビットコインはともかくも、スマートスピーカーは自分の生活を快適にしてくれるかどうか直感できないからだ。クリスマスネット商戦でやたらとコマーシャルがやってきたが、自分の生活を安直に快適にしてくれる雰囲気が全く無い。真っ暗な時刻に起きて、気が付けばやっぱり起きる時刻なんて生活に便利さは関係ない。シャレでOK Googleなんてやってはみるが何がOKなもんか。

それは老人の戯言で、恐らく、今の小学校に通う前のお子様達には当たり前の光景なのだろう。いや、そうでなければ困る。世界の当たり前に触れ続けて頂かないと我が国は没落の一途をたどるのみだ。働き方改革なんぞAIに任せればよろしい。自分の仕事が無くなることを恐れる人の記事でネットは溢れるが、機械的に時間だけを要求される仕事なんて無くなったほうが良いに決まっている。AIがやってくれるならさっさとやって欲しいぞ。そんな来年になって欲しいと本気で願う。

人の好奇心こそ千差万別、80億通りあると思っている。だったらその80億通りの面白いとか、気ままに頑張れるとか、そんな分野に各個が就いてくれていればそんなに素敵な世の中はあるまいて。ネチネチ表面の凹凸を取り除く奴とかね。アウトプットが物凄く軽く得られて、他の人から見ればすさまじく厚い。そんな人の世にならないものか。

関数とは何かが変わればその変化に応じて変わる関係を表現しているわけだが、関数関係に無いものの生み出し方をしてみたいものだ。何かをやれば誰かが呼応する。それが無い状況で事を成し続ければ、誰も居ない砂漠を一人で歩いている、そんな気持ちになれるのかもしれない。いや、それとて数分は残る足跡を意識せねばならぬ。ネットの向こうに居るその人の顔は全く見えない。見えないがそこにある。OK Googleと語り掛けない自分は、まだまだ人依存性があるのだろう。そうでなければ戯言など語らない。AIスピーカーは何を生み出すのか?来年あたりそれが見えてくるのかもしれない。日本においてもそんな生活をしている人を見てみたいものだ。そう思う。

残り一週間

クリスマスである。妙に生暖かく、そして大風でホワイトクリスマスなどどこへやらである。フィリピンでは台風で大勢の方が無くなるなど、地球規模の気候変動が目に見えてきていると感じる。北海道沖合では2050年までに巨大地震がやってくるという。地球で命を頂いている身としては、ほんの小さな事であっても何か貢献しなければと思うのだが、さりとて何をしたものやら。自転車に乗ったり地下鉄に乗ったり。内燃機関に頼らない生活をするくらいのものだが、これで良いのかもしれない。

今朝のNHKでドイツのなまはげを見た。あれは怖い。大人でも相当に怖い。西洋人と東洋人の恐怖の対象の違いなのだが、あれはグロテスクだ。日本人が慣れている?鬼の形相とはえらい違いだ。小生的には西洋における悪魔のイメージで、あんなもんが「悪い子はいねぇがぁ」ってきたら卒倒するぞ。しかし、子供たちが宿題を隠したことを反省するなど、それはそれで良い。秋田では幼児虐待という馬鹿を言う連中に、伝統のなまはげが撃退されるなど、頓珍漢がまかり通る。日本が滅びるわけだ。

クリスマスなど関係なく、粛々と年始の準備に取り掛かる。年賀状などはまだ書かない。優先順位は小生にとっては極めて低い。おせち料理に取り掛かるのがこの時期だ。試運転的に少ない品目を作ってみたが、上々の滑り出しと言えよう。材料も揃いつつある。29日には一気に取り掛かる。そんな状況である。松飾も早々に設置できた。後は全てを待つばかりである。

今年、結局、出来なかったこと、おおこけにこけたこと、様々であったが、いよいよ後7日しかない。昨日、正月を迎えたような気がしたが、余りにも激動の年過ぎて、気が付いたらこんな状況である。残り、一週間をどう過ごそうかと全く意識せず、会議と来客に埋もれて過ごすだけである。日常など変わりようがない。自ら何とか出来る立場ではない。きっと来年もそうだろう。体調を崩さず、今年を終えたい私であります。

借金大国

社会保障費用で33兆円程度の国。税収がいつの間にか58兆円と報告されているが、本当か?と疑いたくなる。58兆円入ってくるだろうから、大略98兆円使っちゃうぜという予算編成だ。1万円貸してくれよ、絶対に返せないけどさと言われて金を貸す奴があろうか。そもそも困っている奴に貸した金は返ってこない。遊びに行くから貸してくれと言っている奴に貸す金は、どうせ返ってこないと割り切れるから質が良い。返すと言っている奴に貸すのは愚か者だ。絶対に返ってこない。

ふるさと創生1億円などと、バブルの金をばら撒いて国力を低下させるのも、政治家の責任では無くて、それを選んだ民の責任だ。民主主義だから、私はあの人に投票なんかしていないという逃げは通じない。だから憂うのである。米国の様にベンチャー企業を雨後の筍の如くに建てる教育をしろとそこらじゅうで叫んでいるが、ベンチャー企業が50億円稼いだ!と週刊誌の見出しで踊るが、1000兆円を超える借金を50億円でどうやって埋めるんだ?

この予算編成が済むとどどどっと社会が動き出して、その金を分捕りたい方々が群れて、あっという間にその金が霧散する。ついこの間綺麗になった道路に切れ込みが入り、ひっくり返して埋め戻すところに使われている以外に金の動きをダイナミックに感じることは無い。新幹線の台車が割れる時代であり、教育をしっかりと言いながら、少人数教育になれば廃校にし、教職員は削減の一途。そりゃぁ、必要なければ不要なのは間違いないが、土日夜無く活動を続ける小中学校の教員などを減らしてどうすんだ。シロートを入れることが相応しいなどと詭弁もいいところだ。そのような専門人財を教育学部等で育てることこそ、100年の計のスタートであるべきだ。

国家がそこに税金を払う人間を守ってくれるなら、それが国家だ。租庸調の時代からその体制は変わっていないはずなのだが、日本人であるという文化的素養を高める教育を疎かにして、守銭奴教育に入れ込み始めていると感じる。高い文化を心根に持ち、その人達が描く将来に向かって地道に国家を創り上げる。その起点を作らずに、似たような政策を別の省庁がうっていく。これではいくら貯金があっても足りない。むしろ借金しかないのだ。人は石垣人は城。その一点突破を骨格に進んでいこうと考える私であります。

人骨について

山の奥深く、滅多に人が通らないような斜面の杣道で白骨になられた方に出会うことがある。あると言ってもそう滅多やたらとご対面とはならない。今年の5月に浜吉田で白骨化された方が地面の中から出てきて、あぁ、津波の被害にあわれた方かなと胸を痛めていたのだが、なんと、室町時代の女性だということが放射性炭素年代測定で明らかになったそうな。昨日、丁度、生命誕生云々の話題を振ったのだが、室町時代の女性とは。

当初、事件性の可能性もあって、警察が確保したそうだが、事件性が無いので発見された町に返還となるそうな。いったいどうするのか興味を持ちようが無いが、成仏出来るようにと祈るのみだ。興味本位で町の歴史館みたいなところで晒されることの無いようにして頂きたいなと。歯の状態から当時の食生活は推測出来るので、そんな情報は後世に伝えるのが宜しい。定量的な歴史を持つ民族は強い。うやむやの歴史に形作られた日本の弱さを払しょくしたいものだ。

結局のところ、今年も山には行けずじまいであった。行ったら行ったでなんじゃいなということではあるが、孤立無援で孤独を味わうには、正に人が滅多に歩かない山は最高である。無理に孤独を求めてうろつく必要はないのだけれども、こちらが白骨の骸になってしまいそうな、そんな斜面や崖を這ってうごめくのは楽しいものだ。楽しいとは後で思うのだが、果てしの無い集中は無限の解放を生む。中途半端はいけない。孤独こそ栄養である。

無理してそんな栄養を補給する必要は無いのだが、好き好んで追い求めないと、なかなか孤独になれない昨今である。電子媒体が常に追いかけてきて、山のてっぺんでもネットに接続できてしまったりする。むしろ、遭難者対策でアルプスエリアは確実に繋がると言っても過言ではない。だから、奥三河などの蜘蛛の巣を払い、シダをかき分けるようなジャングルが良い。コンクリートジャングルは好きになれない。何か新しいこと。今日もやってみたい。僕もやるから君もやれ!

40億年

残り10年と思っていたら、その最初の年もあっという間に過ぎ去ろうとしている。研究成果は10年に1本だから(勝手な思い込み)、残りの10年で何をやろうかと人類の歴史から宗教やその他もろもろ、宇宙誕生から地球誕生、そこから何故か突如生まれた生命に研究テーマを追い求めているうちに、様々な妙な知識が身に着いた。これこそが学者にとっての生命活動である。愚痴を言ってはいけない事に埋没し続ける日々は何処まで続くのやら。思えば遠くへきたもんだと、今年は黄門行脚で角館を散策できたのは最も素敵な旅だったかな。

突然、角館の思い出に耽ってみたが、それはまぁ、うっちゃっておいて地球での生命誕生の話。小生の師匠曰く、「自己分裂したらそれは生命やで」と定義付けして頂いたので、小生はそれを踏襲している。自己分裂する遺伝子が宇宙の外から来たのではとも考えるのだが、地球が生まれる時にはどろんどろんの火の玉だったわけだから、流石にその時点で自己分裂可能な遺伝子が分解せずに残ったとは考えないことにする。冷えて水に満ちた後に落下した隕石由来かもという考えは捨てない。年代が問題だ。

カナダ・ケベック州の岩石帯から見つかった37億7千万年前というのが、ちょっと前まで最古の細胞化石と言われていた。ふむ、水が出来て約6億年か、良い頃合いだなと思っていたのだが、今年9月のネイチャーに39億5千万年前の生命痕跡が見出されたと発表され、その追観察の結果、正しいという判定が成されたのがつい最近。地球が出来たのが46億年前、冷えて海が出来たのが44億年前。約40億年前には生命が出現していたことになる。

億年という単位を生きたことが無いのでピンとこないが、恐らく、随分と長い。人間の生命活動期間なんて無いに等しい。無いに等しいのだが、やたらと様々な出来事に遭遇する。これまた少し前に、北海道沖合でM9クラスの地震がきそうだという。以前の地震が380年周期なのが、400年間発生していないからだと言う。億年単位からみたらくしゃみする間もない誤差の範囲。そんなことで一喜一憂する生命は40億年もかかって出来上がったはずなのにまだまだ雑念に駆り立てられる。それが進化というものなのだろうか。破壊された新幹線の台車の写真を見て、工学人はこの程度と、まだまだ研究テーマは無くならないなと、ぎゅっと握り拳の私であります。

爆音

研究室で呑みゼミを展開していたら、突如、ブラインドの向こうで雷が!と、マクスウェル方程式がさぁと語り合っていた我が仲間がブラインドをぺろっとめくって外界を尋ねると、どうもあちらの建物もこちらを見ている。あちらが見て、こちらが見ているということはその間の建物しかない。どうもとなりの建屋の4階が爆発音の出所らしい。朝日新聞DIGITALによれば怪我人は無いが、ガラス窓が割れて外に破片が散ったっらしい。

ドラフトに何かが溜まったか?その原因は当事者でないと分からないが、反面教師として当方もチェック機能を高めなければならぬ。これとても内的営力向上ということになるのだろう。構成員の安全確保は大前提だ。目に見える危険は除去も予見も出来るが、ガスと言うのは厄介だ。(ガス爆発かどうかは知らないぞ)何かが気化してどっかぁんとなるのは世界的に見れば年がら年中発生している。ましてやテロとなったらえらいことだ。

朝日新聞DIGITALにはどーんと雷が落ちたような音と表現されているが、まさにそれで、雷と隣の建屋で思ったのもあながち外れでは無い。今日は様々な会議があるので、その辺りでお話が出てきそうだが、重要な案件が吹き飛ばされるようでは困る。日本人の悪い癖で、目の前の興味に本質を見失う。議論されるべきはきちんと進めなければならぬ。

年の瀬にえらい事件である。どぉぉんの爆音は何度か耳に、そして目にしたが、何度体験しても嫌なものである。戦場ではこれが日常になってしまうのだ。そんな世の中になってはならぬ。シンプルに、大切にして頂けるものを創り上げる。工学に求められるのはそんなものづくりの根幹を成す学問の創成だ。そうでなければならぬ。そう思う。

今年

いよいよ営業週数が2となってまいりました。営業日数で言うと9日と、10日を切る勢いですな。来年を語ると鬼に笑われるので、時にはちょっと振り返ってみても良いのかなと思い、あんまりやらない今年の話。今年は本学システムが大更新ということで、演算能力が大幅アップ。一般平民にはその処理能力の高さはなかなかに実感は出来ないのですが、サービスが増えているので、来年は折角のサービスを使って行こうと思う。今年はいまだにiPhoneから入力した予定が学内公開の予定表に反映されず苦戦しているレベルである。話にならない。

システムの変更と言えば、産連センターそのものの内的営力向上のために破壊的な変更があり、機構という仕掛けに変更させて頂きました。細かい設定は話しませんが、兎に角、大きな変更で、10月1日以降、戯言が続いているという、20年前に脳みそが戻ってしまうという大事件。機構に戯言があって良いのかという様々な方面からの否定的なつっこみも、やっぱり完全に無視をさせて頂くという姿勢だけ貫いていく傍若無人ぶりは戯言において顕在。これは勿論、今後とも継続ですな。

お堅いことが2件続きましたので、極めて私的なお話を。尤も安直な調理と言えばキュウリの輪切りだが(本当か?)血圧が高いと人間ドックでいじめられたのだが、早く寝ろとかストレスを減らせという無理難題はほったらかして、食にちょっと変化を加えようと、ネット等を調べてみると、大根おろしが良いらしい(本当か??)おろし金は以前から気になっていたので、この際だからと様々チェックをし直した。何が良かったかは人の好みだから勝手にして頂いて、実際に手元にやってきた道具を使うと、これがまた、簡単簡単!大根おろしの苦痛から一気に解放され、来年の病院の嫌がらせに鉄槌を喰らわせようと鼻息荒い(愚の骨頂というな)。

ここまで思い出したのがiPhoneとシステムとの接合の不具合、職場の改革、そして大根おろしと3件しかないという年間の思い出というところが恐ろしい。そもそも12月の半ばを過ぎたと言われても、つい、先日、正月に富士を見たという程度のところである。一年は4、5日しか無いんじゃないのというバタバタ感である。世界がどうの、国内がどうのと戯言をぬかしてみても、結局のところそんなもんだと、戯言の神髄を追求する私であります。

大鹿村

最近、行っていないけど、時々、また行ってみようかなというところが大鹿村。中央構造線沿いの村で、名古屋からだと中央道経由で、案外、容易に行けたりする。昨日、某所で話題になった「その土地の塩」がある山奥の土地だ。南アルプス赤石岳の入山口でもあるその土地は、噂ではリニアモーターカーのアルプストンネルの廃土を運び出す基地となって妙な賑わいになっているらしい。

ちょっとしたドライブがてらというなら、松川インターから東に向かい、渋川温泉や中央構造線博物館を楽しんで、ちょっと南に向かい、中央構造線の露頭を見学して、元のルートを戻るのが良い。日本が形作られたそのダイナミックな歴史を目の当たりどころか、足で跨ぐことが出来る。三六災害と呼ばれた大災害の被害は、その表土を剥ぎ取り、日本という島国の構造形成の過程を表出させた。

もしもステアリングを握るのが好きという方であれば、そのまま国道152号線を南下するのが良い。安康の露頭が川沿いにあり、そこも見学されると良い。そのまま地蔵峠を越えると途切れてしまう152号線から離れ、しらびそ高原に向かうことをお薦めする。1000メートルの断崖道路は、他に見られない景色を提供してくれる。高原からは南アルプス連山を飲み込む如くの絶景だ。冬は路面が完全凍結するのでお勧めしない。是非、雪が解けた5月連休頃にお出かけすることをお薦めする。しらびそ高原からは遠山郷を通ってかぐらの湯でゆっくりとされるのが良い。塩分たっぷりの源泉を飲むことができ、大地の活動を実感できる。

ここからは青崩峠方面から佐久間ダム方向に向かい、その昔、日本一小さな村と呼ばれた富山村跡(現、豊根村に吸収)を見学して、豊根村の湯~らんどの小さな露天風呂を楽しむと良い。大地の活動をより実感されたい方は、和市に抜けて岩古谷山のハイキングをお薦めする。道路が良くなって、危険個所をスキップできるようになったから気軽なドライブで楽しめる。やっぱり自動運転より、大地と一体となるドライブは楽しい。そんな楽しさのある社会であって欲しい。妙になんでも自動化はどうしたものか。人間であり続けたい。小生の意識である。