研究室で呑みゼミを展開していたら、突如、ブラインドの向こうで雷が!と、マクスウェル方程式がさぁと語り合っていた我が仲間がブラインドをぺろっとめくって外界を尋ねると、どうもあちらの建物もこちらを見ている。あちらが見て、こちらが見ているということはその間の建物しかない。どうもとなりの建屋の4階が爆発音の出所らしい。朝日新聞DIGITALによれば怪我人は無いが、ガラス窓が割れて外に破片が散ったっらしい。
ドラフトに何かが溜まったか?その原因は当事者でないと分からないが、反面教師として当方もチェック機能を高めなければならぬ。これとても内的営力向上ということになるのだろう。構成員の安全確保は大前提だ。目に見える危険は除去も予見も出来るが、ガスと言うのは厄介だ。(ガス爆発かどうかは知らないぞ)何かが気化してどっかぁんとなるのは世界的に見れば年がら年中発生している。ましてやテロとなったらえらいことだ。
朝日新聞DIGITALにはどーんと雷が落ちたような音と表現されているが、まさにそれで、雷と隣の建屋で思ったのもあながち外れでは無い。今日は様々な会議があるので、その辺りでお話が出てきそうだが、重要な案件が吹き飛ばされるようでは困る。日本人の悪い癖で、目の前の興味に本質を見失う。議論されるべきはきちんと進めなければならぬ。
年の瀬にえらい事件である。どぉぉんの爆音は何度か耳に、そして目にしたが、何度体験しても嫌なものである。戦場ではこれが日常になってしまうのだ。そんな世の中になってはならぬ。シンプルに、大切にして頂けるものを創り上げる。工学に求められるのはそんなものづくりの根幹を成す学問の創成だ。そうでなければならぬ。そう思う。