大晦日

8時前頃に少し雪が舞いましたが、直ぐに陽が出て、天気予報が悪天候になると叫ぶものだから拍子抜けしてしまった。まぁ、例年の大晦日や元日とは違う天気になりそうなのはそんな気がしている。25日からお休みを頂いていたものだから、大晦日の午前中におせち料理を造り終えた。これは珍しく速い記録である。料理と言っても好い加減なものですけどね。シロートの趣味だからほっといて頂戴というところだ。

お正月休みというのは、他の休みと違って課せられた仕事が山ほどあって嫌である。休みと言うからには何もしないのが良いのだが、そうも言っていられない。生け垣の刈り込み、樹木の剪定、枝のチップ化とか、肉体労働も結構厳しいし、台所仕事は冷えるという一言に尽きる。ただ、やらないと次の年に悲惨になるのは目に見えているし、おせち料理なんて言うのは伝統芸だから、一年抜かすとえらいことになる。継続は力なりというところですな。

年中行事を繰り返すという行為も、先人への尊敬があって成り立つわけですよ。素直になれて感謝の気持ちを持てて、喜びを形にしてお返しする。商売の基本がそこにあるわけで、産学官金連携の骨格がそれなんですね。社会の道理に逆らわず、しかし、新しいことを創造する。その時も無理せず道理を通す。若者人口がどんどん減っていって、大学なんて要らないよと叫ばれる昨今、やっぱり鶴舞大学は良いよねって期待して頂きたい。その気持ちの中心が道理なんですよ。

特別な日って考え方は好きでは無いのですが、大晦日だけは、何故か意識してしまいます。それで良いのだと思うように為ってきましたな。思考の原点回帰がここで生じるわけで、絡み合った糸をほぐして、ゼロから数字を生んでやろうと、やんちゃ坊主にリセットする。徹底的にお勤めをして、そしてお神酒でお清めをする。正月をお迎えする。そんなところかな。皆様、力強く一歩一歩取り組んで参りましょう。宜しくお願いいたします。

鬼を笑わせる

本年最後の出勤である。在宅勤務に入るという事で、本年最後の戯言になるかもしれない。戯言だから予告をして何かを書くという事ではない。適当なのである。要するに適当である。いい加減だから良いのである。予言ではなく戯言だから良い。当たりそうなことはと言えば、恐らく、来年は仕事で活用するPCを買い替えそうな気配がある。大昔世代のチップセットだと、最近のソフトウエアの能力を発揮していないわけで、何だか勿体ない。それを言うなら、適当な文章を書きまくるだけのために新しいチップセットは勿体ないのだが、まぁ、オタクだからね、その辺りはね。

他はスマホかな。2015年以来買い替えていない。随分と長持ちである。気に入っているとかそんなこともなく、新しい機能についていっていないので、買い替える必要を感じていないのだ。設定アイコンの右上に①という数字がずっと残り、セットアップ作業が1個残っていますよと言われ続けて5年が経つ。どうでも良いのだ。最近はCDから移しまくった楽曲を消し始めるという状況である。空き容量を増やそうという事ではない。聞かないから消している。所謂断捨離である。CDはあるわけだからそれを聞けばよいだけのことだ。不便はない。

購入するだけのモノの話はつまらない。やはり創造こそ人生であるから、それは明日になっても変わらない。常に新しく考える。物真似では無い。まぁ、こんなものが出来たら良いなというものに水素がじゃぶじゃぶ出来る「何か」はいいなぁ。太陽の光とその表面があれば、水素がじゃぶじゃぶと出る。大気に出してしまうと引力に勝って宇宙に逃げてしまうから、ちゃんと捕縛しておかないといけない。その為の容器だのバルブだのも必要だ。水素禍が起こってはいけない。なんか出来ないかなぁと、ふとした時に考えている。そのうち、思いつくような気もするのだ。

栄養的食糧自給率100%の国になって欲しいという願いもある。英国から仏蘭西へ物品の輸出が制限されたというニュースがあったが、ウイルスは何処を通って生きてやってくるかわからない。その今でさえどんどん海外から食糧のみならず、凄まじい量の物品がやってくる。何故、ニュースにもならないのかさっぱり分からない。戯言を言っても世の中が変わるわけでは無いのだが、塵も積もれば山となるで、今日で780件の投稿をしている。大馬鹿ものである。来年も馬鹿は続くと思います。そんなところです。

お節料理に向けて

秋の好転で野菜が大量に廃棄されているとのこと。農家は赤字で大弱りだそうな。一部の野菜ではあると思うのですが、実に悲しい事である。レストランでの調理済食材や小学校の給食などの廃棄食材が家畜の食事に回されていると聞いているが、どんな調味料を使っているかわからないものを家畜が食し、それを人間が食するという恐ろしい輪廻がある。野菜にしても様々な化学肥料などが使われ、何を食べているのか分からないような状態だと思っている。

大量に処分されるということで、焼却処分にならないとすると、何処かに埋められて、それは地域の地下水に入り、結局、川に入り海に流れ、魚がそれを吸収していく。その魚を人間が食するという、やっぱりどこか変だと思う。そもそも農地という税金を安く扱われている貴重な土地を占拠したものを捨てるというのは許されることではあるまい。命を粗末にするという基本原則が許されないのは当然だが、納税者としても腹が立つ。

タダで配れとは絶対に言わない。それはあってはならない。報われない努力は無いほうが良いのだ。血の汗を流しながら作物を育てたのだから、それは誰かの栄養になるためにお金と変換されるべきだ。生産者の皆様に還元されねばならない。このあたりが自然相手の農業の極めて難しいところであろう。

高価で買えないものは別として、大根やニンジンなどは普通に食するものである。その大量廃棄はいただけない。様々な保存食の在り方も古くからあるわけだが、こんな場面にベンチャーを志す学生の投入は如何だろう。なんとかならないものか?そう思う。

抱負もどき

折角、前向きというお題で今週をスタートしたので、後ろ向きにならないような話をしたいのだが、なかなか思いつかないところが情けない。そりゃあるんですけど、文字にするとね、ほらね、いろいろとあるでしょ。まぁ、内緒のお話はそうしておくとしましょう。大したことは無いんですけどね。苦難が多いわけですよ、様々なところでね。妨害が入ったり、正しく評価されなかったりと、必要以上に努力を強いられる。

しかし、その努力を強いられたおかげで何とか両足で立っているみたいなところがあるんですよ、自惚れた個人事業主では無いので、謙虚にもなれるのですね。威張った方は大勢いらっしゃるけれど、同じ看板背負って頑張ってみなさいな。なかなかできることではありませんよ。看板が如何に大事か。そしてその看板を失った時に立っていられますかね?本当に痛い目にあって、いじめ抜かれて今があるなら、その人は威張らないし、大概のことにはへこたれませんな。

へこたれる理由が解らない。強い人は弱い人の気持ちが解らないと言う人が、これまた沢山いらっしゃるわけだけど、じゃぁ、弱い人は弱い人の気持ちが解るのですか?理不尽にいじめ抜かれた人でないと解らないのじゃないかな?弱いものいじめとかね、本当にいじめ抜かれた人はやらないですよ。いつもお腹に痛みを抱えて、重荷を背負って歩いている。そんな人は弱いものいじめなんかしないよね。する気にもなれないからね。

抱負というものではないけれど、来年は普通に大勢の人と対話をしたいですよ。画面越しでは無くてね。出張が多すぎるのはもう沢山だから、ご近所が良いなぁ。前向きな方と今よりも良いもの、ずっと素敵なものづくりがしたい、夢を叶えたい、夢を作りたいなんて若者も良いなぁ。そんな仕掛けを打っていく、それが抱負だね。でもこれはいつも思っていることだったりするけどね。

前向き

大掃除の時期だが、活動は益々盛んになり、新しいことがどんどん見つかってくる。仕事納めなど何時の事やらと思うのだが、いやいや、そこはそれ、きちんと区切りを付けることが必要だ。残り一週間となってしまったので、今年のお話をとは思うが、そんなお行儀の良いことはそれこそどうでも良い。今年を振り返って来年に何が出来るものか。振り返らない、来る時を過ごすだけである。

来る時はどのようなものであろう。最近、朝焼けがとても綺麗で、特に冬至の昨日などは澄み切った空に紅が射し、ちょっと照れくさいような空気感であった。日々、陽が長くなる。そう思っただけで、もう、過去のことなど忘れてしまうでは無いか。コロナのお陰で自転車通勤が復活し、気分は上々である。街角では古い家が壊されて、新しい住まいが建っていく。至る所で里山が切り崩され、人が住み始める。人は減っている筈なのに住まいだけは増殖し続ける。恐ろしい。

来年も今年同様に行動が制限されるのだろうけれど、出張くらいは普通に出掛けたいものだとは思っている。しかしどうなることやらである。恐らくはなし崩し的に始まるのだろうけれど、世界の予測で、日本が一番最後まで感染で苦しむ国とか言われているわけで、なんとか鼻を明かしたいものだと思う。前向きに何を成すべきかを、自分が出来ることは何かを基準に考えるべきだ。

閉じ籠るなどと表現するからいけない。じっと読書で脳に栄養を与えるくらいに考えれば良い。映像だけ眺めるようなことがあってはいけない。それは観光に行った時に取っておけば良いと思うのだが、バーチャルリアリティー元年になるとか喜んでいらっしゃる方が多く、リアルの楽しさを知らない方の多いことに愕然とする。前向きが良い、人は前にしか向けない。目は顔の前にしかついていない。だから前に行く。それだけの事だ。

冬至

今年の冬至は21日の今日。一陽来復の日でありまして、この日を境に太陽の力が戻ってくるという意味だそうで、運気も上昇なんてゲン担ぎの代表格の日ですな。江戸時代の皆様は、夏野菜のかぼちゃを保存して、冬至に食することで冬を元気に乗り切ろうなどとしたそうな。冬の七草なんて、もうむっちゃくちゃで、最後に「ん」をくっつけて、うどんまで入ってる。流石江戸人、粋ですな。

かぼちゃと小豆を炊いた料理を「従兄弟煮」と言うのですが、なんで従兄弟やねん?なぁんて無粋な事は抜きにして、美味しいものを頂いて元気に成るのが良いでしょうね。腹が減っては戦が出来ぬでございますいから、何でも食べられるものを頂くのが良い。遠慮せずに食べたいと思えるものがあれば、それは幸せな証拠。遠慮なく頂きましょうよ。

それはそうと、いよいよ今年も大詰めになってきて、ジタバタしても仕方がないという状況ではあるのですが、なんとかなるかと思ったお仕事も、技術的な壁にぶち当たって越年の勢い。まぁ、そんなものでしょう、新しいことをやっているわけだから。そればっかりやっているわけではないですからね。しかしながら、コツコツと真面目に実行していくと、何かが見えてきて、それが積み重なっていくのですよ。前進は必ずある。

そう思える冬至であることが大切なのかも知れない。冬至って今のところ、地軸が大きくずれない限り必ずやってきて、運気が上昇だなんて間抜けなことを言えるわけですな。そんな時、前の年の冬至からコツコツと積み上げてきたものがあったから、次の太陽に感謝できるのだなって思えるのが良いのではないでしょうか。今更ジタバタではなく、毎日コツコツ。それに勝るものはない。ちなみに、小生の出勤は今週までです。悪しからず。

残り2週間

いきなり雪が降ってきますな。昨日は久しぶりに白く化粧をした街を拝見出来ました。圧接が凍り付き、危険な街角になるのはいただけないですが、降ってさっと消えるくらいが冬に見られるくらいならいいかな。この「消えてしまう」ということが何とも美しい。何が何でもしがみつくようなことではなく、瞬間的に世の中を変えて、さっと消えていく。季節を確実に進めていく。人の心に足跡を残す。素晴らしい。

関ヶ原の向こうに長浜というところがあるのですが、一夜にして50cm以上も積もった。まぁ、あの辺りは昔から降るのですよ、やたらに。親父から聞いたことがありますが、戦前は一晩で1mなんてのは当たり前だったとのこと。それから比べれば、琵琶湖から名古屋に掛かる範囲においての積雪はとても少なくなったのではないかしら。出張が無くなっているので関ヶ原での電車の減速の影響を受けることが無くなりましたが、あの真っ白な景色は、実は大好きなのですけれどね。コロナ禍で失った体験の一つかな。

天気予報によれば、取り敢えず今日まで強い冬型の気圧配置ということで、明日以降は少しは体に優しくなるのかしらと思いながら、やっぱり冬は寒くあるべきだとも思ったりする。年々の事なのだが、クローゼットを眺めてみると、昨年の冬において手を通さなかった厚めの衣類が複数見いだせるのだが、今年は着るなと思ったりもしている。一冬、一夏、着ることが無かった衣類は捨てるべしと、断捨離派の方は仰るのだが、小生はそこまで達観できない。

今年も残すところ2週間となってしまった。2週間が過ぎれば大晦日だ。気忙しいのは毎日のことで、年の瀬だから何ということはない。精々、おせち料理を作るだけが日頃からの微分値となるが、昨年以上に何処にも出かけない年末年始となるであろう。今年の仕事は今年の内に片づけたい。そう思うのだが、なかなかそうもいかない。寒いなどとは言ってはいられない。寒気を楽しみながら、気合で乗り切る。何時まで経っても成長しない自分に苦笑いである。

冬空久し振り

一昨日の夜から感じたのですが、漸く、冬がやってきた感が御座いますね。昨日は名古屋において初雪が観測され、今朝もそれなりに立派に寒い。冬はそうでなくてはと思う。凍る地方は凍らないといかん。富士山だってどんどん森林限界が上がっていって、まぁ、それは良いけど、様々な、人間にとっての病害虫が、我々が知っている限りにおいて温暖化によって広がっていっている。天然記念物が枯れたとか、そんなことがニュースになる。

今よりも遥かに温暖な気候の時期も地球にはあったわけで、凍るのが良いとか暖かいのが有難いという価値観は小生にとってのものであって、生命進化からみたら些細と言う程のものにもならない。今を一所懸命に生きるしかないわけで、その中において、人との繋がりを大切にしていきたいなと思うばかりのことですよ。かたちあるものは必ず滅びる。それが真実であって、永遠と思うからいけない。

GoToが云々言われるけれど、旅行業者がお友達の代議士が文句を言ったとか言わないとかが直ぐにネットニュースで流れるわけだけれど、大きなお金で世の中が動いているんだなと、そんな流れを再確認できるだけですな。貧乏人は麦を食えということを平気で仰る代議士意識はちっとも変っていないし、国民側も自己都合で法律が出来れば良いなと思っている以上、まぁ、そんなところでしょうよ。心が寒いよりは気候が寒い方がかなりましなのだと思ったりもする。

寒くなったと言ったって、数十センチの雪が積もるわけでもない。24,5年前には20cmくらい積もった日もありましたよね。チェーンを巻いて街中を走った記憶があるくらい。流石に路面が凍結し始めると、自転車は危険なので地下鉄に潜るわけですけれど、北関東の学生時代は平気で走って転んでましたけどね。ちょこっと寒くなったくらいでいろいろ思い起こしてしまう。平穏無事も良いけれど、ちょっとは擾乱が入った方が人生愉快かもしれない。冬空を楽しみましょう、そんな気持ちです。

遥かなる自然エネルギー活用国家

自然エネルギーを活用する国になっていきましょうという舌の根も乾かぬうちに、採算に合わないから洋上風力発電機は撤去だという。そもそも論なんだけど、石油や石炭を燃やして電気を得ることに対して、自然エネルギーという、特に今回のものは風任せであって、そんなものに採算を考えていたら、地球環境に優しく成ろうなんてことは語ることすらおかしいのだ。自然に厳しいから採算に合う。そんなもんだ。

世界的コロナ禍で、経済活動の停滞によって発生させているCO2が7%削減されたそうな。これは凄まじい量である。火力発電所何基分に相当するのだろうと、感動的な数字を見て、人間の活動が温暖化ガスを発生させていたのだなと改めて納得した次第。CO2を発生させずに、コロナ前の価値を生み出す工夫をしなければならないのだ。
数年の試験で効率が悪いから撤去しようという発想は一体どこから来るのか?

再生可能エネルギーという言葉を使っていますけどね、石油を燃やしてCO2を出して、植物に吸わせてそれを地殻に閉じ込めて1億年後の人に使って頂くとすれば、それは再生可能エネルギーとも言える。勿論詭弁ですよ。焦っちゃいけないと思うのです。教育も何もかも。大切なのは衣食住がきちんと獲得出来ることなのでしょうけれど、何度も言うけど、食糧自給率が30%程度しか無い国が、外から鎖国されたらどうするんだろうと思うのですよ。畑を広げようにも、無限に日陰を作る太陽パネルがずらっと並んでいる。

個別の家屋を持っている人には、少しは補助をして、屋根に太陽電池と縁の下に蓄電池を置かないといけなくしちゃうとかね。洋上風力でどっかから圧力がきたのでしょうけれど、田畑を潰してソーラーパネルを張るとか、工場にするとか、いい加減に止めてくれないかなと思うのです。もうちょっと賢くなりませんかね。本気でEVを走らせるつもりでいるなら。この国、何処にいくのやら?

お買い物考

半年点検という謎の制度にプッシュされて整備工場に運び込むわけですよ。特段何もありませんという、まぁ、当たり前の返事を受けて、凄い商売の制度があったもんだなと、どんなに苦しくても一人勝ちする会社は凄いなと思うのです。これ程のサブスクを考えた自動車企業と政治家って、もう出てこないんじゃないのかと思うくらい。

EVシフトと言われているわけで、恐怖なのは、ある時期からガソリンを使っている自動車の税金が恐ろしく高く設定されるのでは無かろうかということ。自動車しか高価なものが売れないこの国においては、きっとわけのわからない税金体制が敷かれるのでしょうけれど、先進国などと自惚れているのなら、えいやっとやったほうが良い。街の制度も思い切り変えてね。まだ時間があるのだから法律くらい何とかなるでしょう。学者なんか要らないと言っているわけだからね。

小生が住んでいる駅の近所は、自動車販売店がそれこそ目白押し。残念ながら雀の目白押しくらいしか見たことはないが、ちっとも面白くない町並みになっているわけですよ。一軒くらい、コンビニになれよと思っていたのですが、どんどんと自動車販売店が並び立ち、つまらないこと甚だしい。要するに「郊外」ということで、これから車を買う人達が多いということなんでしょう。リサーチは凄いからね。街がどんどん広がっている現状に置いて、車を買う人は一定数居るんでしょうね。

今買っても良いのかねと、なんだか心配になってしまうわけです。そりゃ、いきなり水素車を買う余力のある人はそれを買うんでしょうけれど、あんな代物、買えたものではない。インフラが今の所整っていないしね。となるとEVなのかもしれないけれど、発展の度合いが余りにも大きすぎて、半年も立たずに旧規格品みたいな状況において、車は今、買うものではないなぁと思いつつ、景気を支える高額商品が他に無いってなんだか悲しい世の中だなと、年の瀬に呆れる私であります。