こうありたい将来を応援する

世の中にJABEEというものが御座いまして、「専門的な課題について自ら情報を収集し,解決方法を立案し,それを実行し,得られた結果を基に,さらに発展的な課題を見いだす能力を身につける​」なんて目標に向かってカリキュラムを作った事がある。未知の問題に取り組む力を身につけよう!というスローガンも着いている。要するに「いろんなことに興味を持って、自ら働きかけを出来る人になってね」ということだ。

情報の氾濫は物凄く、何が正しいのか判断することすら難しい。情報発信限としてまぁ、それなりだろうという新聞だったりを中軸として活動するのですが、それでも「本当か?」という報告書だったりをそれなりの個所からダウンロードさせて頂いたPDFファイルから見出すことがある。自ら云々はエンジニアリングデザイン能力の根幹なんだけど、技術者として倫理をベースに考えられるようになる、興味を持って活動できるようになるというところをしっかりと伝えねばならない。

科学技術に携わる者としての誇り、責任、道徳をあわせ持つ人間性を身につける努力をするというのは、人間として当たり前なんだけど、大量破壊兵器をも作り出せる能力を持った技術者は、ぶれることなく実践しなければならないわけだが、何処までぶれずにそれを貫けるか。学生時代のご指導は大きな影響を持つ。

「自分は将来こうなるだろう」という状況イメージを氾濫する情報から作り出すのではなく、情報などに触れることなく、自らの目と感覚で「こうなりたい、こうあるべき、そのためにはどうすれば良いのか」というところから一歩を踏み出す、そんな若者で溢れかえるキャンパスであって欲しいと願うのだ。誰がどんな風に幸せになるかを考え、自分は何を成したいのか。そんな想いを若いうちに持って、何年掛かってもそれを実現する、それを応援できる社会構築に貢献したい。正直、そう思う。

Google Meetの高圧設定

いろんなWeb会議システムを使わせて頂いて、あんまり使っていなかったというか初めて使うのがGoogle Meet。何故だか知らないけれど、とある関係組織がこのツールに傾倒していて、利用しないといけない状況に追い込まれた。設定マニュアルとかを見ないと使えない初めてのツールで、関係組織に問い合わせをして、あれやこれややって、漸く使えるようになったという代物だ。

恐らくなんだけど、セキュリティをとっても高くして頂いていて、その関係組織らしいというか、まぁ、安心なのだろうということで、まぁ、嫌だけど、その考え方に従うのだが、やっぱり嫌だと感じる。アクセスできるPCは1台だけとなってしまうと、そのPCのあるところ、若しくは持ちあるけるツールのみとなる。凄まじい数の端末を使ってお仕事をしないといけない立場の人はどうなんでしょうね?

Webで討議する内容が内容なだけにセキュリティはより高くという設定なんでしょうけれど、こんなことなら仕事、引き受けなければ良かったくらいのことを思っていますよ。後の祭りですけどね。こんなところにも日本社会の意識のDXが必要だなと思うのですよ。セキュリティを甘くして欲しいなんて決して言わない。鶴舞大学の多要素認証を見習って欲しいということなんです。

世の中に「出来る」ツールがあるのに、それを使わせずに依頼を受けた側に不便をもたらしておいて知らんぷりをする。それが今年のルールとして昨年決めたから、それはご意見として来年の改善項目にするとなってしまうスピード感の無さ。顧客目線より自社目線。日本の縮図ですな。久し振りに痛烈な地雷を踏んだ思いがする私であります。

ミス

ビジョンは常に発想し続けていないと、真実のビジョンには到達できない。個のビジョンであっても、学ぶことに謙虚でなければ、そこには決して到達しない。尊敬と謙虚、その心根を持つことは学びの原点である。そうであっても努力あるのみで、常に考える、考え続ける、そして忘却する、そしてまた刻み始める。その繰り返しである。

ミスはある。何故か?絶対的なビジョンなど無いから。ビジョンは動的で進化し続ける。しかし、それを決めつける。それは人間が「得失を決める」から。地球の営みに得失は無い。進化の必然はあっても、得失など無い。特徴しか無いのに、得失と言って価値づけしようとする。過去のビジョンでも良い。それを達成するためにはどうしたら良いか、何を認識すれば良いか、それを具体的に発想していかないと、ミスを繰り返す。

組織の中におけるミスは、指示者と行動を託された者とのゴール設定の認識の違いが大きい。ミスと判断するのは指示者であって、指示者が定量的に認識し合えるゴール設定をしておけば、そのゴールに到達していればそれはミスでは無い。しかし、到達しているにも関わらず、時間軸の進行によって「もっとこうあるべきだ」と指摘したとすると、それは梯子外しであって、指示者としての機能は無いと断定して良い。勿論、その者を雇用している長の責任なんだけどね。改善しなければならない。

仁者たれというのは極めて難しい。先が見渡せる者になればなるほど、広がっていく世界を追いかけようとする。すると今に留まる行為に対して、指示とは違う行動であるというような判断が成され、判断された側は恨みと憎しみのみを抱く。あぁ、組織とはなんと難しい生き物か。しかし、一歩一歩行く。それだけのことしか出来ないからね。それで良いのだ。

起業についての一考察

鶴舞大学にはビジネスモデルを構築する講義があって、そのモデルを拝見することがあって、つくづく実感した。若者の思考とおじさまの思考の乖離は極めて激しい。それはとても埋まるものでは無く、こんなことからも、第二創業などに挑戦するのであれば、新時代の旗手をメンバーに加えるのが宜しい。それがままならないのであれば、今の事業が滅びるまで頑張るだけだろう。400年を超えて存続する企業におかれては、その創業時の理念と要素技術の選択が如何に素晴らしかったかということだろう。

これは大学の初代学長の理念にも言えて、鶴舞大学は実に素晴らしい理念の上に成り立っていると感謝するのみである。一方で、新時代の旗手の皆様に触れてみると、発想が「想定内」というか、ネット世界の何処かにあるというか、情報の氾濫の中で、自ら生み出したものが何処かにあるか、あるいは無意識に見ているものを、結果、真似してしまったことになるのかは不明だが、驚くほどに図抜けた発想というものに出会えない。まぁ、図抜けるとアイデア倒れで潰れてしまうから、大勢に理解されるビジネスの方が、びっくりするモノづくり系ビジネスよりも御金を稼ぐという現状を考えると、それで良いのかもしれない。

オリジナルに拘泥すると、自己満足に走ってしまい、結局は良いものかもしれないけれど、誰にも使われない製品となる。商品まで到達しない、死の谷を越えない状況で、結局、消えていってしまう。毎年、50%以上の企業が、設立年度に消えているわけだが、少なくとも作っているサービスや「もの」が活躍しているイメージはしっかりと捉えてビジネスを起こして頂きたいものだ。先行する大企業の成功事例などは参考にしなくて良い。もうそんな時代ではないのだから。

江戸時代、ビジネスは天秤棒からというのが普通の事で、稼ぎから、店賃、仕入れ代金等々を抜いていくと、普通に担いで売り歩くだけだと殆ど儲からなかったそうで、そこから人とは違ったものを売る、あるいは加工製品である寿司を売るとか、より顧客に近く、そしてリピーターが存在するビジネスに進み、店を持てる商売人に成長していったのだそうだ。若者が、同年代の人達に受ける範囲をターゲットにして起業することは間違いではない。ただ、ステップアップしていくストーリーは描いて頂きたい。天秤棒は年を取ると担げなくなる。老婆心である。

開催式考

ナショナリズムという単語を四年毎に聞いてきたが、今年に限っては五年目にずれ込んだナショナリズムではあるが、やっぱりグローバルというより、まずは自国の選手の挑戦に力が入る。応援という生やさしいものではない。もう、魂が一体化したような、そんな応援をしている自分に呆れるのは、オリンピックをおいて他は無い。アスリートの皆様にとっては余計なお世話なのは間違いの無いことなのだが、国旗が揚がれば嬉しいですよ。国粋主義者でもなんでもない。オリンピックってそんなものじゃないかな。200を超える国の人々が日本に来て頂いている。それだけでも素晴らしい。

スポーツとは全く関係の無いところのお話だが、首相は何を語っていたか?絶対にオリンピック起源の新型コロナ感染者は出さないと。マスコミは忘れたふりをして、マスコミも黙ってしまう。それがこの国の民度だ。嘘をついたら嘘つきと追及すれば良い。それがマスコミの務めだ。国家を想い尽くした田中角栄氏は抹殺したくせに、現政権に対しては何故黙るのか。薩長のクーデターが未だに威力を発揮しているのだなと、ざんぎり頭を叩いた幻影を未だに神格化する恐ろしさだ。オリンピック開幕を宣言された天皇陛下の御起立に追従しない、首相である。それを選んだ国民の民度の低さを嘆いている。国民全員が国家のあり方を否定した瞬間が、世界に放映されたわけだ。

他国でのオリンピック開催であればこれほど気にはならなかった。自国でのオリンピックであって、開催が延期され、アメリカのテレビ局の圧力で妙な時間帯から始まって、天皇陛下に深夜までお出ましを頂き、健康を阻害することを容認する首相は、天皇陛下の御離座に従わない意思を示した。国家の歴史への反逆であり、マスコミは圧倒的な迫力を持って糾弾せねばならぬのに、翌日の新聞の見出しには何もなく、ネットニュースに若干の影があっただけだ。恐らく、この戯言の読者にも意識は無かろう。

日本という国は、まぁ、今上天皇陛下の血筋の議論は兎も角、神代が作られた国の、その神の遺伝子がそこにあり、統治は民の代表にありながら、中心には神がおられるという形態があってこそ、海外から「真っ当な国家」として認められているのである。国民の代表である首相が、天皇陛下の御離座に従わず、着座して都知事と談笑する様の国際報道程、国家反逆として認識されるべきでは無いのか。あぁ、久しぶりというか、真っ当な戯言である。国民は刮目せねばならぬ。その様な首相を選んだ自らの愚かさに対して。良き、オリンピックの開催であった。小生はそれを体感した。

観察

いよいよ明日からオリンピックですな。選手村だのなんだの、結局はむっちゃくちゃで国民を絶滅に追いやろうとしている努力を痛切に感じるわけですが、首相の仰る通り、始まって終われば、素晴らしい政治家の皆さん、有難うって、ワクチン接種をお受けになられた皆様はそれなりの活動をされるんでしょうね。働き盛り、税収貢献者が東京ではどんどん倒れている。それが推奨される世の中は嫌だなと正直思う。

文句はこれくらいにして、折角、始まってしまうんだから、TV桟敷、ネット桟敷で応援というか、観察しましょうよ。観察、共感、行動。これを実践する数週間に致しませんか。世界のトップアスリートが一堂に集うわけです。ネガティブ要素はこの際度外視して、強さ、美しさに「何故?」と考え、観察してみましょうよ。一挙手一投足を見るって言葉では簡単なんだけど、実際にそれをやるのって大変な事。でもそれが出来ることが、ニュービジネス創造の一歩なんだよね。

例えばアスリートが100mを突き抜ける時間って僅か10秒なんだけど、その10秒を11秒にしないために、アスリートはどれだけのトレーニングを積んだか。トレーニングにどれだけの設備、人が関わったか。そしてゴールした後に何が実現されるのか。ストーリーを頭の中に構築しながら観察する。いや、トップアスリートを観察するなんて失礼極まりない言いようなんですけど、観るより観察するくらい凝視していないとストーリーに共感などできやしない。

観察、共感、そしてその共感から自らが動き出せるか?スポーツの力はそこにあるのだと考える。共感でき活動に転換出来る人は、恐らく、いや、間違いなく、社会での働きも素晴らしいものとなっているに決まっている。努力をイメージ出来、尊敬できるからこそ観察出来る。そして共感できる。あなたはどれだけ共感できるか?お試しあれ。

自虐しない

中村雅俊さん主演の青春ドラマ(古過ぎ)の中に、「オメダ」さんという役があって、これは「ダメ男」の、まぁ、ひっくり返したというか、「俺は何をやっても駄目なんだ」と、自虐自慢の役柄なんですな。自分で自分を貶めて、人から指摘される前に自分からの自虐発言以上のダメージから回避していく。痛みの加減が解る自分が自分を傷つける心の自傷ですな。と思っていたんですけどね。

こんな風に考えることも出来るのかなと。自虐するんだから、恐らくなんだけど、自己分析が出来ないということなのでしょう。何かの活動をしなければならないと、他所から指示が来た時に、それを実現する地力があるのかないのか自己判断出来ないから、「どぉせ駄目男だから出来ないよ」と口から出てしまうのではないか?

行動しないくせに人の批判をするのと等価だと思うのですよ。働くって漢字は良く出来ているなって思うのです。人が動くって。まず、動くってことは何かの目的が発現されたわけでしょ。それが指示されたゴールに向かった第一歩だとするならば、それは働き始めたということなんだと思うのです。これは全く自虐とは正反対。あがいてみて、それで駄目なら、そもそも力が足りなかったということであって、自虐する必要は全く無い。努力して、力を付ければ良いだけの事。

叱るだけとか、文句を言うだけとか。漫才にもならないやり取りというか、一方通行がみられるけれど、自己認識が出来ていない方の常套手段であって、そんな人のお話は聞く必要は全く無い。だって、他人を認識しようともしないのだから、何を言っても無駄なお方認定をさせて頂いて、接点を可能な限り希薄にするしかない。自虐はいかん、絶対にいかん。そう思ったりしたら、何に恐怖を抱いているのかそれを明確にすることだ。きっとそれはとても嫌なことだ。でも嫌なことが可視化出来たら、それは幽霊では無いから対処できる。必ず出来る。嫌なことから動き始める。それが働きであって労働だ。

オリンピック

今週末にオリンピックが「日本」で開催されるんですよ、何だか信じられません。いや、これだけのパンデミックの中で、世界中から人が集まって、一箇所に集まってスポーツ競技をするんですよ。集団免疫獲得国家では無いこの国で実施をする決断。経済活動優先という、ビフォーコロナ時代のレガシーってことなんでしょうね。お金儲けをするとなったら、儲けに加担する人だけが国民で、そうで無い連中は非国民で、その声を聞く必要は無いという為政者のお考えなのだから、これは従わないといけないんだろうね。まぁ、やるんだったら、そりゃ応援しますよ、ナショナリズムの極限の祭典だからね。

月曜日は元来、祝日で赤日だった訳だけど、開会式に合わせて祝日まで動かしてしまう。コロナ禍が無ければとても盛り上がったのは間違いないでしょうけれど、この状況ではね。連休は嬉しいから文句は言いたくは無いけれど、為政者として、昨年の延期を決めた首相の「ワクチンが出来ているだろうから、来年への延期で全く問題無い」という計画をきちんと検証していただきたいものだ。IOC会長は「アスリート分のワクチンは確保したから日本の国民には迷惑を掛けない」と仰ったが、どうやらそれが全く存在せず、国民への接種は後回し。

特に働き盛りで、税金納付最前線で戦う戦士達がどんどんと変異ウイルスで重症化して、納税活動が停止している。政治判断が極めて難しいのは誰もが分かるのだが、ご高齢の皆様の年金も現役の方々が賄っていることを考えると、その判断は正かったと胸を張って言えるのか?綺麗事で当たらず障らずが選挙の得票活動の鉄則だが、後の日本はどうなってしまうのかと、不安はどうしても大きくなる。働き手の減少は致命的である。

いつも使っているマーケットのレジに「GoToキャンペーンチケット使えます」と貼られている。使っている人を見たことは無いのだが、国を閉ざすのが遅れ、国民の移動を率先したからこそ、国内感染者増が続いた。先の首相の「ワクチンは直ぐにでも立ち上がる」とTVの自信満々な姿勢わ忘れられない。その首相も風向きが怪しくなってリタイヤした訳だが、オリンピック後は国民は全員忘れているから、再び返り咲こうとしていらっしゃるらしい。いずれにせよ、集団免疫はできておらず、そして、変異株による蔓延はこれからだ。これからの数週間、監視し続けないといけない。不思議なオリンピックだ。記憶に残さなければならない。

無忖度

とあるところの議論に参加させて頂いた。議論と言っても、選択肢の中からどれを選びますかというものなので、御大層な事では無い。どれを選びますかと聞かれたら、前提として何の為に選択しなければならないのかというところに真っ先に行きつく。その判断材料から、このような理由で小生はこれを選択いたしますということになる。発言の順番など関係無いのだ。忖度などしない。何故なら学者だから。金満家や政治家に忖度しないのが学者である。貧乏の特権だね。

簡単なことで、無理を通せば道理が引っ込む。それだけの事だ。私情では無い、目標が示されているならば、その目標に最も早く到達する方法を選択し、それを提案させて頂くだけの事。偉い方だからリスペクトします。それも当然。しかし、人へのリスペクトと、より大きな目標のどちらが大切かと言われれば、目標であると答える。それも当然だ。社会の価値が見えているならば、その価値を高める手段を選択しなければならない。誰に何を言われようとそれをやるから学者なのだ。

こんなに大仰に書くと、一体、何を決断したんだと勘繰られてしまうが、最初に申し上げたように御大層な事では無いのだ。だからこそ決断出来るんだけどね。まぁ、御大層な内容であっても行動は変わらないんだけどね。一々行動規範を変えていたら面倒だ。目標があればそれに沿った発言をするし、目標が無いなら判断基準が無いとしか言えない。ビジョン無き組織は無いわけだから、そこに目を向ける。それだけの事だ。

企業様のホームページを拝見すれば、必ず理念が書かれている。その理念の書き方が微妙で、「世界の平和を追求します」なんて書かれてしまうと、「どこの会社でも一緒でしょ?」となる。そのお会社ならではの理念、ビジョンで無ければならない。これが案外難しい。そのビジョンを達成するための行動規範を示せみたいな人も中には居るけどね、自分で考えたら?と突き放したくなるのだが、怠惰は勝つ。どうも世の中はそうらしい。悲しいことだ。

共感で意識改革

情報共有って、して欲しいけどなかなか欲しい情報が集まってこない。二次、三次加工されていたりしてね。情報では無くて「私考」の伝達になっちゃうんですな。生データの迫力は凄くて、トップが時間を作って生データを「自分で眺める」意識改革は絶対に必要。データが生み出す経営者のDXですよ、今、社会で必要なのは。そんな意識改革こそニューノーマルなんじゃないかな?

情報共有なんだけど、結局のところ共有し合う人同士の共感の度合いだと思うんですね。共感させようと努力しないといけないし、共感して欲しい人が、極めて感性が低かったり、価値観が全く違うとかね。そうなってくると情報共有なんて殆ど意味が無くなってしまう。データの加工という観点においては「生データを持ってこい」と言っているのに加工したり、加工して欲しいのに生データをぽんと渡されたり。共感の度合いの低さが生む技ですな。

子供の頃にどれだけ絵本の読み聞かせを親からしてもらったか、三つ子の魂百までという奴だと思うのですよ。最初の共感がどれだけ深いかに関わってくるんじゃないかな?だからこそ、育休が大切で、それが許される社会で無いと、次の世代は育たないよね。これも経営者の意識次第。半日の休暇でも負い目を感じるような職場において、育休なんて獲得出来る筈はない。リモートワークが自在に出来ることが分かった社会なのに、完璧にリバウンドしようとしている。

ワクチンを接種したらリモートワークはゼロにしようなんて職場は、世界からそれこそ共感されないでしょうね。人の活動環境のDXを否定するようなリーダーは存在悪だな。既に職場には大量のデータが死蔵されていて、その活用という点においては、まずリーダーが時間を作って、それを眺める。意識のDXから。何も解析の専門家に任せる必要は無い。情報を脳に取り込んで活性化させる。そこからニューノーマルがスタートするんだと思う。そんなもんでしょう。