無忖度

とあるところの議論に参加させて頂いた。議論と言っても、選択肢の中からどれを選びますかというものなので、御大層な事では無い。どれを選びますかと聞かれたら、前提として何の為に選択しなければならないのかというところに真っ先に行きつく。その判断材料から、このような理由で小生はこれを選択いたしますということになる。発言の順番など関係無いのだ。忖度などしない。何故なら学者だから。金満家や政治家に忖度しないのが学者である。貧乏の特権だね。

簡単なことで、無理を通せば道理が引っ込む。それだけの事だ。私情では無い、目標が示されているならば、その目標に最も早く到達する方法を選択し、それを提案させて頂くだけの事。偉い方だからリスペクトします。それも当然。しかし、人へのリスペクトと、より大きな目標のどちらが大切かと言われれば、目標であると答える。それも当然だ。社会の価値が見えているならば、その価値を高める手段を選択しなければならない。誰に何を言われようとそれをやるから学者なのだ。

こんなに大仰に書くと、一体、何を決断したんだと勘繰られてしまうが、最初に申し上げたように御大層な事では無いのだ。だからこそ決断出来るんだけどね。まぁ、御大層な内容であっても行動は変わらないんだけどね。一々行動規範を変えていたら面倒だ。目標があればそれに沿った発言をするし、目標が無いなら判断基準が無いとしか言えない。ビジョン無き組織は無いわけだから、そこに目を向ける。それだけの事だ。

企業様のホームページを拝見すれば、必ず理念が書かれている。その理念の書き方が微妙で、「世界の平和を追求します」なんて書かれてしまうと、「どこの会社でも一緒でしょ?」となる。そのお会社ならではの理念、ビジョンで無ければならない。これが案外難しい。そのビジョンを達成するための行動規範を示せみたいな人も中には居るけどね、自分で考えたら?と突き放したくなるのだが、怠惰は勝つ。どうも世の中はそうらしい。悲しいことだ。