今の時期、明け方西の空に月が浮かぶ。それを見ながら鶴舞にやってくる。なんと心地の良い事か。南門から入ってぐるっと東を向くタイミングがあるのだが、まだ真っ暗である。そんな雰囲気が良い。一体、いつまでこんなに自らを酷使し続けないといけないのかと溜息もでるが、素晴らしい月と対峙していると、なんだかそんな想いも馬鹿馬鹿しくなる。44億6千万年も地球の周りでこちらを見守っているのだ。凄いではないか。
巨木巡りが愉しいのもそんなところかもしれない。生きて触れることが出来るということで、お月様よりは身近で、且つ、畏怖の念が湧いてくる。某所で巨木に接しようとしたら、御猿さんの群れに遭遇して魂消たが、山の住民たちも、巨木があることが嬉しいのであろう。長くそこにいらっしゃるというだけで凄い。人の営みをじっと眺めつづけていることが凄い。千年の間には、今よりも暑く、そして寒い時もあったろうにと、天のくしゃみに右往左往する人類の弱さよ。
脱炭素とSDGsでお金儲けをしている人達は叫ぶわけだ。まぁ、水力発電のエネルギーだけで作るアルミのお話が新聞に出ていたが、ダムを作るセメントからでるCO2は換算されない。ロックフィルで石と粘土でとは、発電できる量はたかがしれているからだろうが、結局のところ、何処まで換算するのですかということだろう。作って、賞味期限が切れたら潰す。そんな消費社会を止めたら良いのにとは思うのだが。
カーボンニュートラルというのであれば、海底のミネラルをふんだんに含んだ日本の大地に生えまくっている雑草を使って何か出来ないものか。海外では竹を使って、集成材にして家具などを作っているが、家具にする過程で使うボンドなどが気になるわけだが、炭素固定としては良い方向だなと思うのだ。海を綺麗にするには山からだから、日本の森林に手を入れて、綺麗な山にするところからでは無いか?月を愛でる文化はあるのに、地球を愛でない。月を見て、大地を愛でる。そんな気分に浸りたいものだ。