土地の声を聴くこと

80歳を越える、地方の結を纏めて来られた方のお話は、教訓とか、教えとかなどという軽いものではなく、生き方にずどんと天から重石をおろされたような、そんな有難さがある。戦前の結が戦後に再構築されて、この10年くらい前まではなんとかなっていたものの、同年代が、まぁ、鬼籍に入られたりして、思うように活動が出来なくなった。気が付くと、大学出のお若い方々は、インフラ構築によって都会に通う便利が良くなり、土地に居付かなくなり、親御殿達は引退を覚悟されたと。

もう駄目かと思ったら、定年を過ぎた先人が、トラクター等の、特殊作業者の免許を獲得し、売りに出された農地を獲得し、酒米を作りお酒を造るようになってきたと。放棄されたままだと雑草が生えて、そこから種が、現状の農耕地に広がり迷惑をかけるわけだが、気合を入れて農地を獲得し、天下万民の為に尽くせる自分自身をリスペクトしていらっしゃることだろう。サラリーマンを引退しても、大地が求める限り、土を見る人間に変化していくということだ。

三年連続、不作、大赤字となると、心が折れるはずなのだが、そこは公的金融機関が耐えていてくれたので、今は黒字逆転、投資元としても胸を張れるという。若手がどっかに行ってしまったのだが、60歳越えの方々が、今の仕事に残って煙たがられるのではなく天下万民の為に輝くとなったらどうであろう。不動産屋がやってきて、肥沃な土地に工場や住宅を建て、国家崩壊の露払いとなっていくことを指をくわえてみているだけの生き方はやめようではないか。

これは難しい。誰もが燃える男になれるわけではなく、食糧自給率100%を目指す取組に直接的に参画できるわけではない。しかし、それを束ねる方々に、もう一度挑戦してみようとエールを送ることはできる。今、日本の農地はぎりぎり土俵際、徳田藁の向こうにある。国家の安寧を考えず、自らの次期選挙での議員ポジション維持だけに走る者への投票はもう止めましょうよ。地方の農地が亡くなっている。無くなるのではなく、亡くなるのだ。それは国民が選択した方向だが、小生は納得できない。反旗を翻す。