薬師寺第124世管主 高田好胤氏に出逢ったのは14歳の時だから、50年近く前ということになる。未だにその情熱溢れる語り口を、そのご尊顔と共にはっきりと思い出せる。生意気なガキだから「北枕は寒い方に頭が配置されるから健康に良いのだ」とお釈迦様の涅槃と合わせてされたお話に、わずか2mの距離で影響があるわけが無かろうと思ったのだが、隙間風が当たり前の修業の場においては寝所において、北風が入り込むのは当たり前で、なんとなれば北枕の意味があるなと、漸く悟った。
生意気ということに執着していたわけでは無かろう。終着など何もなく、行き当たりばったりに生きていたに違いないのだが、それでも高田氏のお話に引き込まれたのは、その人の熱意だったのだと思う。熱力学の講義では無いのだが、熱はエネルギーであり、高い場所から低い場所に移っていく性質がある。熱意が人を動かすのは、自らよりも明らかに熱意が高い人と何等か共鳴したからに他ならない。どうでも良い輩は、人を説得できないのは、共鳴が無いからともいえる。
選挙なんて正にそんなものだろうと思う。言っていることはそれぞれにしっかりとした主張があって、それこそ熱意を持って立候補するのだが、候補者と共鳴するチャネルが無ければ「何か言っているな?」で通り過ぎてしまう。これには聴き力の無さも関係する。利己主義で他者を想う気持ちが無い者には聴き力が無い。聴き力が無いものに何を語っても無駄だし、他者と共鳴出来ない無聴き力者は哀れとも感じる。
昨年、久しぶりに薬師寺に出掛けたのだが、高田氏が情熱を掛けて浄財を集め西塔を建立され、その後、国宝東塔が修築され公開されたからなのだが、その地に立つとその時の講話が鮮明に蘇ってきた。それ程に強烈に魂に刻み込まれた講話だっということであろう。共鳴出来て良かった。そんな方と対面出来たことを今更に幸運と感じている。魂を磨かなければ。そう思う。